いちおうは、癌ステージ4を宣告されてる転移患者だから、無理はさせないようにと免疫療法をやりながら、ラジウムやらナニやらの放射線を浴びて肺に入れる源泉に入浴させるついでに、1500m以上の高所の森の新鮮な酸素をたくさん吸わせるために、軽い山に登って歩くことを先導している。
緊急手術して、退院して、2ヶ月が過ぎた。
抗がん剤治療は俺の頭では到底に理解できない怪しい治療だったから、今後も免疫療法で行くことにしている。
生きるにしても死ぬにしても、どう生きるかは個人の自由。
たくさん笑って、副作用の起きる怪しい人間の世界の治療には関わらず、地球からの栄養で対応する。
俺が身体障害者となって再度山歩きを始めた時に登った山々がたくさんあるが、まず他の登山者には出会うこともないような辺鄙な場所から取りつくものが多い。
登山口と決めた場所に辿り着くまでに1~2時間くらいは悪路で、凄まじい運転は必要になる。
自己責任で生きることに慣れてない者は、それだけでクタクタになってしまうだろう。
登山用のグッズはアクシデントに備えてイロイロと車に積んであるが、悪路で起こる色んなアクシデント対応用のグッズも、積んである。
ナニが起きても、携帯の電波は繋がらない、誰もいない、神や仏すらいない、そういう状況で山に入って行くことは当たり前だ。
癌患者と同行する山歩きは、早朝の暗いうちから登り始めるなんて無理だから、昼頃に山の取りつき場所に着き、という行程になってしまう。
昨日も三連休の中日だったから、各方面の高速道路は酷い渋滞で、目指す山梨と長野の県境のエリアに向かうのに、最初は東北道でスタートした。
各高速の渋滞状況をリアルタイムで把握しながら、こりゃ~ダメだとなり、関越の藤岡までスイスイ走り、降りて十国峠を越える山道を選択した。
ぶどう峠越えという手もあるが、これはもっと難所の山道になり、いまは通行できなくなってるようでもある。
2時間ばかりは深い森の中を対向車に気をつけながら走った。
すれ違う場所が限られている。
鹿や猿ばかりがのさばって、悠々と走り回ってる森の道。
高速の大渋滞が嘘のような、前にも後ろにも車のいない山道だった。
崖が切り立った場所や、落石ゴロゴロ、両側から雑草が道を塞いでるような場所もあり、これで濃霧ともなればエライ目に遭うなと思っていたが、帰路、真っ暗な夜にそのエライ目に遭ってしまった。
川上村の、標高1300mにある大深山遺跡に立ち寄り、5000年前に人が住んでいた竪穴住居跡を見て来た。
人間の気配はなく、だ~れもいなかった。
川上犬という、柴犬の元祖でもある犬が有名だが、これはニホンオオカミの子孫でもある。
極寒の雪山で暮らす、足裏が強靭な血統を持っている。
川上村から奥秩父の高い山々を登り越えると、秩父エリアになるが、ここいらの神社の狛犬は犬ではなくって、オオカミが鎮座している。
俺の大好きなエリアではある。
岩ゴロゴロのアルプスやは若い人たちには人気なんだろうが、人生経験豊富な爺ィには、浅薄で物足りない。
ナニが出るかわからない獣ばかりの森を歩き回り、最後にドカンと大眺望、こういう愉しみの方がオモシロイ。
またはぶっ倒れそうになりながらも苦労して登った山頂は茂みの中、こういうのも良い。
人生そのもののようでもあり、大笑いできる訳だ。
身分を証して村役場の大切な展示物も見せてもらったが、来客も無かったようで鍵を開けて電気をつけてと、逆に迷惑をかけてしまった。
武田家の金山もあちこちにあるが、もっと古くからの金山もあり、こういう話をすると人気小説家や歴史研究家の身勝手な作り話を破壊してしまうから、真実はいつもなるべく言わないようにしている。
出鱈目ばかりが蔓延って、大学では専門課程だなんだと偉そうに嘘の上塗りをしていることばかりだ。
とことん調べて、とことん追求してない訳だから、安易と言えば、これほど安易な話は無い。
人間はすぐに楽をする生き物で、その調子の良いインチキだけで、獣の世界を生き残ってきている。
俺の様に、正直にそう言って生きてる人間は少ないだろう。
そんな人間の日常なんて、すべて笑える猿芝居ばかりさ。
喜怒哀楽? 哀しいこと? 酷いこと? 理不尽なこと? 辛いこと? みな、自意識過剰な猿芝居だ。
馬鹿タレどもが。
レタス畑が拡がる川上村から、奥へとずんずん入って行くと、甲武信岳や三国山へのメジャーな入山口があったり、馬越峠を越えると南相木村で縦走の愉しい山々があるが、道路工事中で今は抜けられない、おなじように反対の信州峠へ行くと縦走のオモシロイ山々の取りつき場所があるが、これを越えると増冨のラジウム温泉郷に行ける。
そこへ癌患者を連れて行くのも昨日の予定だった。
悪路の長い走行と、日本一標高の高い場所の縄文遺跡を歩かせ、そうして山を越えてラジウムの源泉に浸かる。
これ以上の免疫療法もないだろう。
帰路、ガソリンを野辺山で満タンにして、山道に入ったが、視界がセロになるほどの酷い濃霧での峠越えとなり、止まっては道を確認して、そうしてゆるゆる走ることで上野村に着いたのが9時を回って居った。
あちこちで鹿たちが心配そうに道端で見送ってくれておった。
無事に戻ったのは日付が変わる12時だった。
癌ステージ4で、これに同行して笑っておれるのは、たいしたもんだろう。
俺の毎週の山歩は、だいたいがこんな感じだから、馴れてる身内ならば平然と笑ってる。
楽して、安易に、病院や薬に貴方任せでは、玩具にされて終わるだけ。
そういえば、昔の湯治とは、そこへの行き帰りだけでも苦行だったからこそ、病は気からで効果もあった。
山の上の社への祈願にしても、費用を集めて講を組んで、代表者が苦行を行いに出掛けていたわけだ。
その楽して良いとこどりだけになってる現代社会の風習や伝統は、終わってしまってるだろう。
何年生きたか? ではなくって、どう心底から愉しく生きたか?
皆さんとは、生きてる意味や求めている欲望が違ってるんだろうよ。