大地震に襲われると、形あるものは破壊されてゆく。
地球や宇宙の蠢きの前では、人類の作ったモノなど木っ端微塵となる。
大きな地震が起きると揺れはしばらく続き、余震で崩れ落ちてゆくモノも出る。
金融経済の大暴落もまたそんなことで、一度底だと買い上がっても、最初の崩壊で致命的なダメージを受けたモノは余震でグズグズと崩壊してゆく。
怪しい高収入な綱渡りをしている人間は、堂々と救助を要請できずに孤立してしまい、人知れず静かに谷底へと堕ちて消えてゆく。
それにしても自慢の日経市場は幼稚な乳首探しに終始し、日銀の応援でそのほとんどを玩具にして来た外資の面々は、賭場とも言えない薄気味悪い幼稚さに退散して行くだろう。
いまは全てニュートラルで、関わらないのが当たり前。
幼児な守銭奴と大人の守銭奴の争いが混乱を極めているときは、遊びをする時ではないがな。
宴の跡が遊びの場。
与えられることに慣れ、与えられた窮屈な選択肢の中から選ぶだけの日常に疑問を感じなくなり、洗脳に溺れた感性が条件反射をする視覚・聴覚・味覚・嗅覚などを刺激されると、猿の衆は競って選択した消費行動へと集団で向かい始めるが、そこで猿の衆を争わせて闇雲に消費させることがメディアの役割だと気が付かないまんま、哀れな過ちは何度も繰り返される。
猿の島国の現実だ。
病が感染するとか進行するとかは大嘘な話で、免疫や抗体に異常を起こした生き物が、いろんな刺激に反応しているだけの笑い話だ。
ワクチン接種や予防医学とは、無意味に破壊と再生を繰り返す資本主義経済が生みの親だと知るべきだ。
洗脳から解け、余計なことなどナニもせずに寿命を全うする以外には、人間の自由など手には入らない。
ブラック・ロックという悪名高い投資顧問会社がある。
日本にも法人を持っているが、世界中で戦争や紛争や自然災害を装った事故などを仕掛けて起こし、事前に土地取得や再開発のプランを掌中にして蠢き、表には出ないように別会社などを使ってもっともらしい再興の英雄になってゆくという、悪行を続けて居る。
国境を持たず、大きな利益が出ると思えば人間など虫けらのように扱っている。
こういうイカガワシイ企業群や、それに関わる富豪や王族、キリスト教大本山や植民地を支配している原住民の長など、腐り切った人間があちこちで優雅に暮らしている。
それが幸せなんだと、馬鹿面さげて、まわりにはすでに健康なオツムの人間など一人もいなくなった組織の中で、笑い合って嘲り合って、人間の悪行の限りを尽くしても利益最優先で壊れたロボットのようにただただ数字を増やしている。
支配しているつもりだろうが、それすら洗脳によるアルコール中毒と麻薬中毒だと気が付かないのは、笑える人間界の愚かな景色ではある。
ハワイの大火災の地も、事前にそんな企業が広大な土地を取得しているし、ウクライナの地でもおなじように広大な土地を取得し終わっている。
能登半島の地震だって、そういう土地の権利関係を調べてみるメディアはいないのか?
追い詰められた旧統一教会の復讐と捉えている者も俺のまわりにはいる。
原罪・性善説なんて義務教育で教えて染めているのか?
平和が長く続くとオツムが染められてイカレタ奴もたくさん育てられ、都合の悪い状況になれば人身御供で利用される。
ユダヤ人だとかシオニストだとか簡単に決めつけて話しているが、ユダヤ人やシオニストだって色んな組織があり、敵対し合ってたり分裂は進んでいる。
過去の学習で身に着けたモノだけで解釈など出来る訳がない。
敗戦後の日本に住み着いて宝石商の商売を目立たないように続けているロスチャイルド家の枝分かれした老婆もいるが、いまや愚かな日本人よりも日本のことに詳しくなってるが、この島国の現状には呆れ果てて虚無の世界でヒックリ返っているさ。
資源大国のBRICS諸国は、米・英とそれに付き従う隷属国の欧・日によって、長い間その資源を安く買い叩かれて来た。
ウクライナ戦争が始まって対ロシアへの経済制裁が発動されると、ロシア産を安く買い叩いていた資源類が入ってこなくなり、割高な米産の資源類を買わされ続けてみな経済は疲弊し切っている。
逆にロシアは米・英・西側先進国群に輸出しなくなっても、BRICS諸国へと輸出は増え、その価額も米・英・西側諸国が叩いて買っていた価額よりも高く売れている。
実際に窮地に追い込まれて行っているのは、米・英・西側先進国の方だ。
こういう笑える現実を報道するメディアは日本には無いが、現実はそういうことになっている。
米やイモや小麦は腹の足しになるが、仮想通貨や紙幣や債券では、腹は膨らまない。
植民地化して奴隷から散々に強奪して来た歴史を持つ米・英・欧は、土下座してBRICS諸国に頭を垂れる時が来る。
それまでは相手にもされず、仲間にも入れず、日本のような優秀な植民地を吸い尽くして生き残るしか手立てが無くなってる。
一芸馬鹿のオリンピックメダリスト達の単細胞な興奮状態を見ていると、立派な奴隷になって喜んでるのね〜と、笑いも出ない。
生まれた時からすでに転居の多い家で育った以上、俺の生は常に少数派・反社会的な差別民や社会の除け者の側が定位置みたいなことだった。
幼稚園で3回、小学校で6回の転校、皆で仲良くなんて話は胡散臭いキレイゴトで、大人や社会の群れの悪臭が堪らなく嫌だった。
組織と組織の抗争や争い、大人社会はいつもそんなお遊戯に明け暮れていて、弾き出された人々は居ない人間として無視されていた、
公害による奇形、貧富格差や人種差別もそう、部落や犯罪者のレッテル貼りもそう、戦後の日本の高度経済成長と呼ばされたただの復興ゴッコには参加させてもらえなかった人々が、常に余所者の俺のまわりには多かった。
だからといって俺はそっちの側でもなく、増してや薄気味悪い善良なる庶民という猿の集団にも属せなかった。
居場所がないという思春期だったのも、そういう生まれ育ちが影響していた。
家はエリート意識の阿呆みたいに強い家で、貧しくもなかったが見栄張りボケ作の末裔だった。
ただ俺はそんな家にも居場所がなかった。
そういう居場所のない育ちだったせいで、こんな自由人に成り果てた。
大笑いだろう。
東京湾で漁をする猟師たちは、奥多摩の大岳山の特徴のある山姿を目印にして航行の指標にしていたとか、いろんな目印を個々で持って漁をしていたが、俺が海で泳ぐ時にも、常に遠近両方の目印を決めて、それで泳ぎ回っている。
潮の流され具合や風の向き、鳥の飛び方や波の音、雲の形を常に見ているのは山でもおなじこと。
ボ~っとしていることはない。
五感を研ぎ澄ましてそこで遊んでいるのは、山も海もおなじだ。
あちこちの高齢者の介護に走り回り、仕事は猛暑にはチョイと進まなくなってるから、こういう時は顧客の高齢者の慰問だとか、笑いながら蠢くのが一番だ。