修行の足りない生臭坊主らが行う、くだらない初七日法要や49日だとかの酒飲みゴッコなど興味はなく、江戸時代よりも前のホンモノの禅僧らが修行に歩き登っていた山々に、出掛けていた。
予定していた登山口に着くまでに道は雪道・凍り道で、4万キロ近く走ってる新車から3年目のスタッドレスで効くのかどうか、試しもあって山用の4駆で出掛けていた。
ぜんぜん問題なく、ぐいぐい登っていた。
最近の車は性能が抜群に良くなっていて、マニュアルの2駆で鉄のごっついチェーンつけて登っていた時代が嘘のように、楽にはなっているが、これからはスタッドレスでもチェーンは必携だ。
車を停めた場所の気温はすでに氷点下、登山靴に履き替えるために外に出たらツボ足、エエ感じだった。
とりあえずは脱出路をタイヤでならしておいてから、準備に取り掛かった。
爺様の魂を天に還してやる第一弾。
こうやって何十年もの間、関わって孤独死して逝った多くの人たちを天に送り続けているが、今回は年末の仕事も忙しく、葬式から1週間だから疲れがとれず、ま~ま~2000mにチョイと足らない低い山で、勘弁してくれや、という山歩になった。
アイゼンよりもワカンの方が良かったというような質の雪山になっていた。
新雪はキラキラ輝いていて、綺麗そのもの。
葉の落ちた木の枝に積もった雪が風で落ちてくるのを避けるように、そろそろ歩き始めた。
富士山は半分から上が雲の中。
空は回復基調の晴天。
日の当たる道は良いが、日陰になると雪はガリガリ、耳当てをしてなかったので、千切れそうに痛かった。
稜線に出て、頂上に辿り着くと、強風が襲って来た。
氷点下7度、暖かい方だろう。
山が鳴る、唸るとは言うが、穏やかに見える頂上では、山響き立てて風が襲って来ていた。
ま~、2000mにも満たない低い山だから、湯を沸かす時はその音に気をつけておればよろし。
ちょっと準備が足らなかったから、寒さは倍増していた。
登りも下りも、人間にはだ~れにも会わなかった。
筋力・体力もほとんど使うことも無く、元気なまんまで降りて来た。
春には80キロ超えていた体重が、なんやかんやで72キロまで絞れているせいだろう。
自分で描いてる天気図しだいだが・・・来週は完全武装して、新潟の山に出掛ける。
高所恐怖症だった爺様には、慣らしが必要だったろう。
夜に戻っての翌日、婆さんには笑って報告しながら、飯を一緒に喰った。
帰路、源泉に浸かる予定がオストメイト用の準備を忘れていたので、冷えたまんま戻ったが、俺自身も忘れ物が多くなったな~と、笑うしかなかった。
青森から長芋が届いたり、北海道から魚が届いたり、群馬から採れたての野菜類が届いたり、銀座の周旋屋にはこの年末もいろんなモノが届いている。
婆様も早めに祭壇を片づけて、とっととのんびり暮らしを満喫するらしい。
最期まで、お見事よくやったと褒めている。
頂きモノは、仲の良い近所の人たちにお裾分けするから、それはそれで忙しい。
料理好きの婆様も、爺様がいなくなって、料理をする気持ちが失せてはいるが、少しづつ、尻を叩いて動かすつもりで、お裾分けを運んで行ってやってる。
・・・過保護にするな! とは皆、年寄りが俺に言うことだが、その健康と暮らしについては口喧しく言ってるだけで、ナニをしようが、ナニに金を使おうが、他人様に迷惑をかけない範囲であれば、ナニも言うつもりもない。
知識が無い、経験が足りない、そういう高齢者ばかりを見守っていると、仕方が無いことで、長女みたいだとはまわりに言われることは多いが、その辺の長女よりも肌理細かい動きはしているさ。
家を出たのが10代の頃だったから、その後の離れて暮らした月日の違いが物事の価値観の違いにも大きく反映されておるから、会話をしながらその溝を埋めることをしているだけさ。
婆さんも、流石に俺の母親だけあって、1年で随分と垢ぬけた感覚で生きることを愉しんでいる。
ま~、あとは好きにやっておればエエのんさ。
徐々に生活のリズムが出来てくる。
どんな世界になろうとも、常に借金負債貸し借り無しで、独自のバブルを作っては笑い飛ばして生きている俺が、これ以上無いだろう読みで愚かな人間界を見下ろして、しっかり見守ってやるわさ。
さ、まだまだ商売の仕事が入ってきておるから、せっせと歩きまわるべな。
どんどん会話か成り立たなくなってる幼稚な日本社会では、すべてのルールは俺が作ってなきゃ、アホ臭くてやってられんわな。