レンゲの畑がなくなってる。
俺がガキの頃は、小学校への行き帰りでも、そんな鮮やかなレンゲ畑を走り抜けておったもんだが、いまやどこの田舎道を通っても、レンゲ畑など見ることもなくなってる。
恋文にも、レンゲの花のことを書いておった覚えがあったが・・・。
静かな山村では、むかしは軒下にガマの焼き干しを見ることもあったが、それもなくなってる。
オスとメスのガマが夢中になって愛し合ってる最中のものを無造作に掴み取り、愛し合ったまんまの二匹のガマを串刺しに焼いて干してぶら下げて、そんな美味を味合うこともなくなってる。
残酷と言えば残酷だが、満月の夜、産卵する生き物を食い散らかしてることを想えば、美味なのは頷ける。
鶏卵やイクラや数の子にキャビアと言った食物は、まだ卵のうちに人間に喰われてしまっておる。
痩せガエル、喰えもしない痩せガエル、喰われるくらいに太ってみたい・・・とさ。
・・・秘密をばらすぞ!
・・・密約を公表するぞ!
・・・メディアはこっちの味方だ!
こういう幼稚なセリフの前で、黙り込んでしまって、困窮する大人が多いのは戦後からずっとだ。
大人社会のあちこちで普通にある話だし、子供の世界でもずっとある笑い話だ。
自分がやられたら一番に困ると思うことを、相手にやろうとする、自らの弱点の暴露でもある笑い話。
その程度のことで、あんたは困るの?? そういう笑い話。
ならば堂々とあからさまに生きて、逆に他人のそこを突いておれば怖いモノはなくなる、そんだけのこと。
女や子供を人質にとるのは戦争ではよくやってる姑息な戦略だが・・・あ~、好きにしろよ! 俺とは別個の生き物だから、気にすることも無い・・・そう言い放って返して、逆に同じことを相手にしてやればイチコロになる。
強がりとか、我慢ではなくって、それがごく普通の心持ちで生きて居れば、なんということもない。
俺はそう生きて居る。
そう生きて居れる場所を自分で作り上げてきた。
そう生きるべしと、女や子供にも言っている。
ところがそうやって社会の中で秘密を隠し合って生きてる阿呆が多いから、そこに商売や政治にメディアまでが絡まってきて、こんな閉塞感満載の社会に成り下がっている。
女や子供が一人だけだから、それに無意味に固執して、ムキになってしまうのは、戦国時代からの普通の光景だ。
そこに悲劇が作られて、煽られて、先入観に屈服してしまってるド阿呆ばかり。
黙ってようぜ! 黙ってるついでにそれで儲けようぜ! 他もそれで脅して仲間を増やそうぜ!
調略・騙されやすい体質の人間の常。
良い時期はそれで良い、社会全体が、国全体がリズムを狂わしてくるとそれが致命傷になる。
みっともない私生活のばらし合い、覗き見・盗聴・スパイ合戦。
堂々とあからさまに生きて居れば、そんな場所に居ても飄々と笑って居れる。
人間の社会なんて、滑稽なもんだぜ。
あいつはナニを言ってもダメだし、すでにぶっ飛んで生きてるから効果などナニも無い、それが一番。
現代のメディアを賑わしてる下らない事象のひとつに、不倫だとか浮気だとかがある。
いつもそこでキチンと子供を作り、みな群れやグループのなかでもリーダーシップを取れるように育て上げておれば、ナニも言われることもない。
逃げて、嘘ついて、陰でコソコソするから話がややこしくなってるだけの猿の騒動だ。
俺はそうやって黙って生きて来た。
結果を見てくれればそれで良い。
それを批判する資格のある者は、いるのか? みな食わして来てる。
群れや社会とは、自分の結果などナニも無いくせに、目立つ他人にはそれを厳しく求める性質がある。
すくなくとも、あんたらのやってる一人や二人の子育てよりは、俺の方が人間としては遥かに完成度は高い。
そこから先は、それぞれのことだ。
俺はガキの頃、まず人間として弱みを持たない立ち位置で生きようと想ったもんだった。
その為に、どういう自己主張をしてゆくのかは、おのずと解っておった。
小学校ですでに転校6回を経験して居っても、いつもみなの中心に自分の居場所を作れておった。
そのくせいつでも独りになれる覚悟もしておった。
群れや社会で生きる、ただの簡単な方法論ではある。
そんなとこに、俺にとっての大事な話はなかった。
退屈な時間潰しの話だったな。
ヒソヒソ話しか出来ない奴らは、じきに寄ってこなくなる。
誕生日に、親にプレゼントをねだる風習は、健康な人間社会のモノではない。
誕生日に俺は親に感謝している、産んで育ててくれてありがとうと、そういう日なんだって、誰も言わないね。
だから・・・生まれて来たくて生まれたんではない!! という論法が出来上がる。
悪さしたら親や社会が悪いんだと、いずれは保険や保証に入ってるから・・・人を殺しても良いでしょ?
先や結論が見えている行動原理を止めずに続けさせてる大人社会には、うんざりする。
そういうことを考え始めて、かれこれ半世紀を過ぎている。
子供がまだ小さい折に、毎年のように沖縄に旅行に出掛けておった銀座の母子家庭の二組がおって、その内容を聞いておったら腹が立ってきて、一度その3泊4日の日程の頭の1泊2日だけ付き合ってやろうとなり、費用はぜんぶお前らで持てよ! ということで付き合ったこともあった。
レンタカーを借りてやって2日間で沖縄のめぼしいところは全部まわってやったが、行動しない親の元に育ってる子供らは、たくさん思い出を目に焼き付けたことだったろう。
先頭になってサンゴの海を泳いでやったり、親が子に見せてやらなければいけないことを、親に見せてやった。
ゼニカネ出して他人頼み、親からまず教育しなければいけないのが、現代の育児の実態だ。
地球のこと、日本のこと、な~んも知らんで、どうやって子供らを育てるつもりなのか?
帰りは当然、オストメイトの俺はスーパーシートだったろう。
身体に障害を負っても、やってることはそんなことばかり、オジサン、呆れ返ってひっくり返るがな。
ゼニカネ持っておってもそんなこと、可哀相なのは子供らのことだ。
今年も30日までは銀座の店にいるかな・・・。