オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

火事場泥棒ばかりの日本の猿回し

2024-03-01 10:58:07 | 銀座の周旋屋

 

 

 大工や左官、水道工事や電気屋、解体・引っ越し・土木工事やら、不動産の自営をやってると色んな腕の良い職人らとも長い付き合いがアチコチで出来ているが、今風のお洒落な企業にはよほどの急ぎでもない限りは頼むことはない。

 古い建物の手直し修理は、経験豊富で臨機応変な対応ができる職人の方が無駄なく安心して頼める。

 マニュアル通りに修理・補修よりもすぐに新品に交換をしようとする素人集団の企業なんかは、メディア猿なコミュニケーション能力の足りない素人ばかりを騙して儲けようとするが、そんな連中など相手にすることもない。

 素人と素人が取引して、互いに仲良く騙し合っているだけの無駄ばかりな日常だな。

 

 新型コロナ・ワクチン接種の馬鹿騒動の時でも、この国の政治家や官僚・役人、大企業の経営陣にメディア関連等の猿な衆らは、先頭を切って火事場泥棒を続けていたが、国家の財政が無茶苦茶なことになっていることを良いことにして、国民の税金は奪うだけ奪っていながらも、国家の金を火事場泥棒そのものの体でチョロマカシ続けている。

 おとなしい国民は、オモテナシの精神で、選挙のたびに応援・支援を続けている。

 馬鹿馬鹿しいとはこのことだ。

 気に入らない相手に攻められるとプチっとボタンを押して通話・交渉不能にするような時代では、いよいよ社会は崩壊するだけだろう。

 社会の膿が出尽くしたら、ナニも残らなかったというくらいに、この国の現実は厳しいさ。

 善良なるマゾで変態な庶民の皆様方は、よ~く覚悟しておきなさいよ。

 

 オリンピックには、選ばれた人間しか出場させないが、そこで金メダルをもらって喜んでたって、それが人類最高のアスリートではないことくらい、参加資格を貰えない連中にはよく解っている。

 なんでもそうだが、現代社会の競争を装った詐欺は、その同じ土壌にいなければならないという締め付けの上に成り立っている訳で、主催者の利益に反する者は最初から排除するという、居ないという前提の上で拍手喝さいを貰っている。

 アホウな猿くらいしか、出場しなくなってるが、画面に夢中の馬や鹿は多いんだよ。

 これこそ仮想の社会、平等や民主主義なんて最初からあるものでもない。

 

 普通の国では、紙幣・通貨を発行する中央銀行と、国家財務を司る財務省などは互いに監視し合う立場で国家の金融を運営している。

 世界の中でも日本だけは、日銀と財務省がタッグを組んで仲良し運営に精を出して、国内株式市場でも中央銀行が株式を大量に買ってインチキを続けている。

 紙幣・通貨を発行する部署と、それを使う部署が一緒になっている国家は、世界広しと言えども日本だけだろう。

 そのインチキな現状を黙って見ている外国資本は、当然のように賭場に参加して、頂くモノは頂いている訳だが、国家の紙幣・通貨を発行する中央銀行が自ら投資・運用をしている国家は、世界では日本だけだということは、覚えておくべき。

 カジノの胴元経営者が、大量のチップを持って賭場で派手な賭け事に夢中になっている姿は、参加者の本心ではどう思われどう対応されるのか?

 島国だけは特別に許される? 

 円安・株高でも、下がる筈の金(ゴールド)は最高値まで暴騰してる。

 日本人はビビって固まってる株式市場では、超短期筋の外国人部隊ばかりが日本株やらで派手に遊んでいる。

 企業の将来性やら内情を見て投資をしている訳ではない超短期筋ばかりだから、長居はしないし派手に上下動を仕掛けてトットトいなくなる。

 可笑しな猿の小島の、可笑しな可笑しな物語。

 

 何十年ものあいだ、毎週毎週と山や海で遊び呆けて生きて来ると、日本の田舎町でも色んな特徴があり、人間性も自然や地理による歴史が作り上げたということが肌で解るようになる。

 田舎町でも一つではなく、地形や自然環境によって、食い物やそこで暮らす人たちの特徴が違っていることが客観的に見えて来る。

 まだ俺も二十代だった若い時分に、海外に彼女が何人かいて、ひとりで毎月のようにフラッと遊びに出掛けていた時代があったが、それぞれの国でも同じように色んな地理や自然環境で歴史や人間性が異なっていることが面白かったもんだ。

 今では海外には興味がなくなり、日本の山や海の複雑な地球の造形に魅せられてしまって何十年になる。

 その行き帰りに立ち寄るどこの田舎町でも、俺には故郷のような親しみがあり、四季折々に変化する景色とおなじホッとする見慣れた日常を楽しんでいる。

 地球も人間も、六十年以上もアチコチで関わり合いを続けていると、みな馴染みのある近所のようなことになる。

 構えることなく、フラッと出掛けて、地元の人間よりも詳しくなってる地理や歴史をさんざんに楽しんで、変化を経験として新たに身につける。

 仮想の作られたインチキ社会で斜眼帯をつけられて日常を生かされている猿の衆は、どこに出掛けても増えている。

 現実よりもメディア洗脳の仮想社会で、皆さんは飼育された家畜のように生かされて日常を規則正しく管理されている。

 腹が減ったら喰い、寝たくなったら寝て、したくなったら勃起して、仕事したくない時は休む、そんなナニモノにも束縛されない愉快な自営を30年以上も生業にしていると、思考や感情の中身も随分と違ってくるもので、日常に見ている景色もぜんぜんに違うものだ。