オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

儲からず持ち出しばかりで忙しい

2022-11-02 10:57:00 | 身体障害者でも、介護と看護の日々

 

 仕事いがいのことが忙し過ぎて、ややこし過ぎて、銀座の店を出てカギをかけて歩き出しておいて・・・さて、今から何処へ行くんだっけか?・・・ということがある。

 決してボ~っとしていてそうなってるんじゃ~なくって、色々と並行してやることが多すぎて、そうなってる。

 

 都心の一戸建てで一人暮らしの義母のところへ顔を出してきたら、居間の机の上に走り書きのメモがあった。

 欲しいものがあったら、そうやって書いておかなければ、すぐに忘れるから! とは言うが、そのメモを眺めながら・・・あら、これはなんて書いてあるんだっけ??

 書いた品物のことを、忘れている。

 

 別の婆さんは、わたしにもしものことがあったら、こことここに大事なものは置いてあるから、と言うから、二か所は止めて一か所にしておきなさいと言うと・・・大丈夫よ、カギがついてるから・・・そのカギをいつもなくして大騒ぎしてるのが、あんたでしょうが・・・。

 

 壁掛けの時計に日付が入ってないと怒りだし、あんな安物の時計じゃ~過去帳を見て先祖の供養もできやせん!! と怒っていたから・・・あれは爺様が自分で買ってた奴だぜ、田舎から持ってきた奴だ・・・萎れたナスビになっておった。

 

 首都高速の出口から、逆走して入って行ってる乗用車を、通り過ぎながら見て、おいおい! と戻ってみると出て来る車にパッシングを浴びながらノロノロとバックで出て来ておった。

 こういうのが、日常になってる。

 長距離を毎週のように走って、田舎の山々に登っていると、どこに行っても高齢者たちの運転する車にはヒヤッとさせられたり、首を傾げる運転は幾らでもある。

 十分に準備して走っているから良いようなものの、都会の運転を田舎でやってると大事故にもなるだろう。

 そういう時代に、我々は生きて居るということだ。

 

 寝てる時間が長くなってる高齢者に、床ずれ防止用のベッドマットを敷いてやった。

 いままで使っていた固めのマットは隣で寝てる婆さんが欲しいというので、それも交換してやった。

 今朝は二人とも熟睡して、良い塩梅で目が覚めたようだが・・・爺様はオムツに大量のおもらしをして、ベッドマットにも浸み込んでいたが、そこにもキチンと漏れ吸収シートを敷いてあったから、上手い具合に収まった。

 俺は普通の人間よりも多くの女を愛して、多くの子供らをこの手で育てて来て、自分自身が50代になっても、ま~だ我が子の年代の小学校や中学校のPTAと仲良く付き合って来てるが、休む間もなく、今度は多くの高齢者たちの終わりに付き添うことばかりになった。

 結局、自分自身の時間は山に登って海で泳いでいる時だけで、どんなに日常に疲れていても、それをやらなければ俺が無くなってしまいそうな、そんな状態で生きて居る。

 

 歪んだ猿の国、日本の中でも、最たる愚か猿の集団がいるが、これからの世界を考えることもなく、ノホホンと画面を眺めて、そこから似非知識と言う餌をもらって日常を過ごしている。

 昔から言う、河原乞食の集団とその取り巻きだ。

 これはもう、衰退し、行き詰まるしかない集団だろう。

 いいように利用され、踊らされてる成金・守銭奴の群れだ。

 いずれ内部分裂、ゼニカネの奪い合いを始め、殺し合いまでする愚かな奴らだ。

 巻き込まれないように、よ~く吟味して関わり合いを持つべきだ。

 メディア奴隷猿の、その薄汚れた尻は、とてもじゃ~ないが本家の猿の世界でも疎んじられるだろう。

 世界の状況を、毎日毎日歪み切った偏向報道で島国に監禁されてるような国民じゃ~な、キ~キ~。

 

 自分の親や爺婆、自分の家庭すら満足に関わり合いを持てない奴らに限って、自己弁護、詭弁を弄するように社会や他人への関わり合いを持ち出して、それを売り文句にする慈善事業を盛んにやってる。

 たった一人の女も愛せない奴が、他に女を作って過去を捨てる、それを繰り返してばかりの自慰に忙しいが、過去もすべて背負って捨てることもせずに、足し算だけで人間の社会を生きて居るのが、俺だ。

 引くことや割ることはせず、足してかける、そういう生き方を実際に続けている。

 大勢の前で素敵な演説をぶつよりも、大舞台で感動的な演技を見せるよりも、これからは大事に想う一人の相手に、目を見ながら今を囁く時代だ。

 それが出来ない奴らに限って、衆をたのみ、群れになり、メディアを使って自己主張をする。

 楽だからな。

 嘘ばかりの、胡散臭い野郎たちだ。

 

 高齢化でボケと思い込みと勘違いが酷くなり、自分自身を見失ってしまった老人を相手にして何年にもなるが、ひとつひとつ丁寧に、その生きて来た過去を少しづつでも思い出すような話をゆっくりと続けて来ると、まともになってくるもので、早々に、先入観と学問の知識で勝手に決めつけてしまうことは、一番によくない行動なんだが、介護や看護や医療では時間に制約があるから、どうしても言葉にして仕事を残さなければいけないということで、本人の意向とは関係の無いことで決めつけをしてしまい、それを引き継ぐ者はもっと勘違いしてしまい、高齢者本人は自分の中に閉じ籠って行って、そのまんま狂って終わりになる。

 まわりの人間の優しさや気の使い様とはまったく違った場所で、高齢者は孤独になって行ってる。

 病名もらって一言で片づけられて、それで満足してる現代人とは違って、そうでない人間らしい老いた獣もいる。 

 なにかをしたい、お手伝いしたい、若い人たちが言うのは簡単だが、その日常の関わり合い方の積み重ねの上で、それは可能になる細やかな話で、その時だけの嘘や詭弁や綺麗ごとでは、悪い影響しか残さない。

 細やかな気遣いというものは、自己満足や自画自賛に陥りやすいタチの人間には、最初から無理な話になる。

 そんなに簡単に、高齢者が心を開くと思っているほうが、どうかしてるぜよ。

 そこの介護士や看護師や、お医者さんたちよ。

 適当な仕事をやってんじゃ~ね~よ。

 

 本業も雑用ばかり忙しくなって、今年はぜんぜん、儲けも出ないし持ち出しばかり、笑うしかないざんしょ。

 今年は癌ステージ4をいきなり宣告された身内の者のためにボケた頭を最大限に使って走り回り、名医による一度の手術とその後の免疫療法で快癒させ、並行して直腸癌の93歳の爺様と88歳の婆様の介護と看護を身近で背負い込んで、最善とは? 色々と寝る間もなく考え動いて来たから、さすがに季節の変わり目にドッと疲れが出てきている。

 こういう時は、険しい山にぜ~ぜ~言いながら登るに限る・・・ということさ。