癌ステージ4の患者の、月末に行われる今年2回目の、最後の癌削除手術に向けて、この週末も変わらずに、里山を歩いて体力をつけてきた。
抗がん剤治療はせずに、免疫療法で隠れた癌を炙り出し、悪い部位を削除する。
だらだら軽金属を体内に注入していく、抗がん剤治療という金儲けに、無意味に利用されるのは御免こうむる、そういうことだ。
オストメイトになっても、自意識過剰に大袈裟に考えることもなく、ごく普通に毎週山に登り、海で遠泳して、笑って生きている俺の考え方が、そのまんまだ。
1500m以上の山々をずっと歩いていたから、昨日は強烈に蒸し暑く、風もなく、眺望もない杉林のなか、ひたすら大汗をかいて軽い熱中症みたいになってしまった。
手術をする方は元気いっぱい足取りも軽く、俺の方が哀れなバテバテだった。
頭痛がズキズキし始めたので、4時間ほどで早めに切り上げて、空いてる高速に乗って帰路についた。
とにかく暑かった。
用も無いのに、20キロはある高山用の重いザックを背負い、登り始めから息が上がって大汗をかき、久しぶりに里山の恐ろしさを痛感した。
50オヤジの後輩の周旋屋は、こういう里山ばかりを好んで歩いているが、やっぱり変態だと痛感した。
気分が最初から乗らないと、すぐに飽いて、挙句に物凄い汗の量だった。
絶景の高い山々の方が、絶対に良い。
帰路の高速で、婆さんから緊急の電話が入り、爺様が動かなくなったと・・・風呂に入ってさっぱりしたかったが、そのまんま、銀座の近くのマンションまで直行した。
まずは様子を見て、我慢してたションベンをして、それから椅子に座ったまんま動かなくなっていた爺様をさすって話しかけているうちに、頷いたり目を開けたりするようになり、ベッドに横にならせて身体をさすってやっていたら、色んなことを話すようになった。
その間、体温測定、血圧測定、今日の食事と排便について婆さんにも聞きながら、適切な対応をとった。
夕暮れ症候群と言われる高齢者の認知症状ではあるが、別に婆さんが大騒ぎするほどの病気ではない。
ゆっくりさすって笑って、ゆっくり優しく話してやって、なにも心配はいらないからと目をみつめてやる。
独りじゃ~ない、あとは俺に任せとけ、ナニも心配はいらんと、笑ってさすってやる。
・・・ありがとう、ありがとう、あんたにはナニからナニまで世話になってる・・・
そのうちに落ち着いて、笑いはじめ・・・あんたの顔を見たら安心した・・・と、冗談まで言うようになった。
その間、東大の病院の宿直医にも連絡をとり、ケアマネージャーにも連絡をとり、知り合いのベテラン看護士にも連絡をとり、していたが、結局は俺の登場ですべては解決したようなもんだった。
お騒がせ爺様を寝かしつけて、戻って鎮痛剤を飲んで、風呂に入って、俺も、とっとと爆睡した。
そろそろ、老衰も老衰、お迎えが近いということなんだろう。
看護に介護に、今日からまた仕事も忙しくなる。
明日は婆様を葬式で横浜まで連れていかんきゃ~ならん。
その合間にも、ほかの高齢者の面倒も見てやって、相変わらずに時間が足りない俺も、前期高齢者。
昭和の時代が、いかに幼稚で馬鹿馬鹿しい浅はかな社会を作って来たのかが、よ~く解る顛末ではある。
俺はそこまでは生きられないだろうし、すでに全身がボロボロになっているわさ。