・・・オミクロンは怖いのよ!
婆様が興奮して言うもんだから、じゃ~オミクロンってなによ??
・・・オミクロンはオミクロンよ、怖いのよ
俺は、そんなあんたの鼻から覗いてる、鼻毛のほうがおっかない。
・・・ロシアがウクライナに攻め込むんだって!
どうせ弱虫アメリカの自作自演だろうよ、9,11テロから続いている。
ハリウッドも落ち目になったもんだ。
それでもアカデミー賞を欲しがってるの??
世界の先進国は、中央銀行が金融緩和を続けていた。
そこに新型コロナ騒動が人為的に起こされて、またぞろ国家は優しい顔して国民に支援や救済を行い始め、ジャブジャブのマネーは市場に溢れ返った。
ワクチン接種に逆らわせないようにと、経済を押さえて挙句にインフレ。
インフレになるのは、子供でも解る当たり前のことだろう。
働くことをせずとも、楽をして暮らせる癖がついてしまった企業や国民は、のほほんと投資に消費にと小さな欲望に溺れているが、ここで金融引き締めをやられるとひとたまりも無いだろう。
さ~、どうすんの??
そういう笑い話が目の前にある。
中国・ロシアを共産・社会主義国家だと蔑んでおった欧米先進国こそが、こぞって共産・社会主義化している。
男一匹、すべてを背負って独自に生きてやる、そういう男が少なくなったもんだ。
俺は日常の会話すら、つまらなくなっている。
金融は崩壊し、政治も経済も崩壊し、人が生きる意味や存在の仕方も大転換しなければ、もはやどうにもならない世界が現れている。
人類の話であって、宇宙や地球にはナンの関係も無い痴話だろう。
俺は常に宇宙や地球とともに、在る。
だからずっと稼ぎ続けている。
30年も前から、俺は世界人類はすべての大転換を迎えるだろうと言っておる。
時間のかかる話だから、その間を生き延びて笑っておらなければ意味が無い。
ガキの頃、小学校を6回転校していた頃、東大や京大や東京芸大に国立大学ばかり出ていた爺様や叔父さんらが集う家の長男で生きることに、飽き飽きしておった。
これをすべて一度リセットしてやらんきゃ~、家は崩壊するだろうと想っておった。
出来るかな? 10何代も続く家の歴史は重かった。
無意味な価値観の重みだと想っていた。
17の頃、広島の街で悪さの限りを尽くしておったことにも飽いて、大本山の禅寺で出家を考えた。
高僧との毎晩の禅問答にも飽いて、俺は世の中社会でグチャグチャになって、最底辺からすべてを作り上げてもっと強く生きる力を持とうと想った。
自分の手で堂々と飯を喰う、価値観の再構築と言う奴だ。
頭だけ、机上での行いでは価値観は身に付かない。
一匹の獣として女を愛し、子を作り、それを繰り返して生きて来た。
いつも大きなことは考えず、両手の届く範囲で、関わるすべてに真剣に接して来た。
その繰り返しがエライたくさんの関わる人たちとなり、そこからまた関わり合いが拡がって行ってる。
去年、93歳の直腸癌で認知も進んでいた爺様と、87歳でボケが来ている婆様を、コロナ下で東京のド真ん中に呼び寄せて、無駄にデカく2世帯が暮らしていた実家の整理と売却も済ませ、10何代の眠る山の墓にも挨拶を済ませ、俺が当主である以上は、俺が全責任を負うと、ガタガタ文句を言う奴はあの世であっても容赦はせん! と、語り掛けて片付けを済ませた。
答えは? 93歳の爺様は昨日も今日も、元気に歩いて来ると笑って出掛け、婆様は買い物は楽だし、マンションは暖かいと喜んでいる。
墓は共同の墓地でじゅうぶん、
実家にあった大量のモノはすべて捨て、写真や懐かしむモノすらすべて捨てて来た。
物凄い抵抗は、当然にあちこちからあった。
そこで死なせてやれ、なんでこの時期に・・・いろいろとあった。
人殺し、キチガイ、変態、残酷な悪・・・俺の63年はずっとそんなことを言われ続けている。
いまではナニを言われても、人間の世界での感情や感傷がなくなってしまってる。
ここまで来るのに、63年かかってる。
生きる価値観とは、常に他人や社会に仕掛けて生きて、そこで鍛え上げて行くしか作り上げれない。
宗教や哲学や、そこから派生する芸術を語ってる間抜けなおボンボン達には、決して身に付かないモノだ。
オツムだけの又聞き・受け売り・覗き見野郎とは違って、もう微動だにしない。
それは地球や宇宙と同化した、とも言える。
こういうことを一生で成し遂げるには、自営でナニにも拠らない資力を持ち、決して自分は安住の場所を持たないと決めて生きてなければ出来るもんでもない。
自分は楽して安易に流されて、適当に口先だけで誤魔化して・・・では、ナニも動かないだろう。
どいつもこいつも偉そうなだけでナニも出来なかったことを、俺が独りでやってやった。
もう本当の意味で、思い残すことも後悔もナニもかも、なくなった。
これはやった者でなければ解らない、震えるような満足感だろう。
そうしてこれから皆さんは、そんな家や親やの煩雑なことで、解決できない諍いや争いを嫌というほど経験しなければならないが、老いてから意を決してでは、出来やしないだろう。
家も身内もすべてを捨て去っても良いと、本気で想えるのか? たった独りで出来るのか?
そういう価値の大転換をしなければ生きては行けない時代になる。
そうして子や孫の代にまで禍根を残すことになる。
子供たちや若者たちが自由に生きやすい世の中の土壌作り、それは簡単なことではないんだよ。
先にすべてを壊しておいてやらなければ、ズルズルと、後悔ばかりの生を終えて行くしかない。
残念だったな、ということだ。
今日も空は綺麗だぜ。