オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

いきなり価格交渉を始める日本猿

2019-03-14 10:55:45 | 地球と生きる

 

 ふくらはぎが筋肉痛のときは、プールで後ろ向きに歩く。

 30分以上も歩いておけば、すぐに回復する、これが俺のやりかた。

 と同時に上半身も柔軟を続けながら歩く。

 オストメイトは常に腹部を動かして柔軟にしておくことが大事なんだよ。

 ・・・ということで、日曜日の身体の疲れはプールで解消しておいた。

 

 日本は島国だから、自己主張が悪いことのような、出しゃばりという風に昔から教えられて育つ。

 自己を主張し、自分の生き方を説明し、相手を理解し、互いの接点を認め確認し合い、それでも双方が良いというのなら、取引の交渉に入る。

 世界の人間同士の取引とはそういう流れだが、日本のなかで通常に行われている取引では、いきなり交渉が始まってる。

 相手がどういう人間かも確認せず、自分がどういう人間かも説明せず、いきなり交渉が始まってる。

 その交渉とはゼニカネのことだけで、折り合いがつかなければご破算になる。

 ずいぶんと単細胞で、ずいぶんと浅はかで、単純な行動原理だ。

 人間の魅力とは、ぶつかり合って言い合ってるうちに解って来るものだ。

 ゼニカネ抜きで大自然のなかで遊んでるうちに解り合えることも多い。

 人間と人間が理解し合うということは、そんな楽なキレイゴトでは出来るものでもない。

 言いたいことを言い合い、主張し合い、汗をかき、息切れし、そのうえで理解し合う。

 小さな島国では、その大事な作業をしなくとも、生活できた、のは昔の話だ。

 エコノミックアニマルは、単にゼニカネを持つことが目標・目的になってた猿の恥ずかしい部分だった。

 その使い方など考えもしなかった猿の群れが、なんでも出来ると勘違いした結果の行動だった。

 この銀座には、相変わらずのそんな成金オツムタリンが仰山おるけんども、そんなもな~相手にせずに、悠々と生きてる大人もおなじ銀座に居る。

 足元見られて笑われてる惨めな大人は、さ~どっちだろうかね?

 ド阿呆ばかりに囲まれた、寂しい老後が待ってるよ。

 

 古来より、豪傑たる男子は、大酒のみ、酒豪が多い・・・これは大嘘だな。

 明治維新後、戦後の高度経済成長時代まで、国威高揚のために歴史小説や大河ドラマでそんな嘘八百を吹聴し、阿呆な国民の多くはキレイに騙されて居る。

 統治の形が出来れば、あとは雰囲気作りになる。

 今この世界の流れが厳しくなってる現代社会でも、そんな惚けたことを信じて居る間抜けは多い。

 本当の戦国時代の武将は、たいして酒は飲まなかった。

 下戸ですぐに顔に出る方が、まわりを騙しやすかったし、飲ませ上手にもなれておった。

 まわりを飲ませて様子を窺う、本音を聞き出す、自分自身はいつなんどき寝首を搔かれるかも知れない時代に、正体不明になるまで呑気に酒を飲んでる阿呆はおらんかった。

 日本中でドサ周りの営業をやり、不動産バブル期には日本一豪勢だったデベロッパーの東京支店を作ったり、その後はこの銀座で自営の周旋屋を30年近くやっておるが、海千山千の魑魅魍魎が跋扈するこの世界で生きて来ると、人間社会のモノごとの嘘はくまなく解って来る。

 自分がすべて体験してくれば、嘘はそのまんま丸見えになる。

 酒に酔わなければ言いたいことを言えない、気が楽にならない、これは幼稚なまんまの大人のやることだ。

 俺なんざ、まわりに人がいないとき、のんびり酒を飲むことはあるが、いまでは他人と酒を酌み交わすこと自体、なんの意味も感じない。

 赤ら顔になれば後は水でも飲んで時を過ごし、誰よりも先頭に立って大騒ぎして踊り狂い、歌い狂い、まわりの本性を暴いてしまう、これは不動産バブル期にやっていた俺の人心掌握術でもあった。

 当時の元気な自民党の大派閥の頭領たちの第一秘書連中ともよく酒を飲んだものだったが、飲んでもその場の雰囲気とは裏腹に、冷ややかな視線を交わし合っておったもんだ。

 それが愉しくもあった。

 素面でも、率先して阿呆になれればナンデモ出来る。

 ただし、懐には短刀を忍ばせてある。

 

 こ~んな阿呆ばかりの国になって、商売が上手くいかないという話を聞くと、死んでまえや! そう想う。

 いくらでも儲かる方法はあるだろう。

 そのオツムにある価値観や日常生活が間抜けだからこそ、行き詰まってる。

 その家の状況や、家族や子供らへの接し方を見てるだけで足元まで見透かされてる。

 恋愛ひとつ見ても、工夫も無い幼稚なもんだ。

 それで結婚したの? それで子供を作ったの? そういう浅はかな驚きばかり、子供のたくさんいる俺でも、呆れてしまうような身勝手な自分本位の恋愛ばかり。

 はっきり言って、この間抜けな現代社会で金だけ儲けるなら簡単なことだ。

 それが目的で良いのならば、簡単なことだ。

 俺はそんなものじゃ~満足できないとガキの頃から想って生きて居るから、こうなってしまった。

 良い車に乗って、大きな家に住み、ゼニカネたくさん抱えて、消費の額を増やして・・・それで??

 そんな家で育ち、阿呆くさくて興味すらなかったから、こんな風情の変なオヤジになり果てた。

 消費者がみな利口になったときでも、生き残って行けるだけの技術を身に付けておけばエエだけだろう。

 あとは無意味な価値観をすべて捨て、身軽に借金・負債も持たず、貸し借りも無く、愉しくやりたいことをやって生きておれば良い。

 自由自在、なんの怖れるものもなく、なんの支障もない。

 それが出来るようになるまで、身体が持てば、の話だが・・・最後は精力と体力の話になる。

 

 阿呆と同じ世界で同じ価値観で生きてるから煩悩に捉われ、行き詰まる。

 別の世界で別の価値観で生きて居れば、ただの喧しい芋虫にしか見えない。

 そろそろそんな感じになって来たな。