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「足尾銅山鉱毒事件」で明治天皇に直訴した日です!

2011年12月10日 23時53分48秒 | 今日は何の日?
1901年(明治34年)12月10日、「田中正造」が
時の天皇 明治天皇に、我が国「公害の原点」と言われる「足尾銅山鉱毒事件」を
直訴した日が今日でした。

民衆の為の政治家を志した正造は、県議、県議長を経て、第1回衆議院選にも当選。
以後、6選される。

足尾銅山からの鉱毒で、下流の農業、魚類などが壊滅状態になり、
操業停止を訴えるも受け入れられず、ついには天皇への直訴に至る。
直訴に関する当時の最高刑は「死刑」であり、正造は真に命を賭けて行動したのである。

その当時は、絹、銅は輸出の花形だった。
足尾銅山は、銅の4~5割位を産出していた。

その後、鉱毒事件は社会問題にまで広まったが解決せず、
反対運動の中心地の「谷中村」を始め栃木県、群馬県、埼玉県、茨城県の境に、
鉱毒沈殿用の渡良瀬遊水地を造り、村は強制廃村される。

やがて正造翁も、71歳10か月で波乱万丈の世を去った。

時は流れて、今年3月11日あの大震災で、貯蔵していた鉱毒の堤が切れて流失。
まだまだ、鉱毒事件は現在まで続いています。

毎年、禿げた山に植林をして緑を蘇らそうと頑張ってはいても、
禿げた山では、雨が降っても保水力が無く、根付くにはかなりの年月が必要になる。
徐々にではあるが、その成果も見られつつあるようになってきました。

※1、◆ 中学生(現高校生)の反応と感性
  直訴の報を伝え聞いた盛岡中学生の石川啄木が、
  「夕川に葦は枯れたり血にまどふ民の叫びのなど悲しきや」

※2、沖縄に嫁いだ娘の夫君、ご両親、それに弟が来県した際に、日光の山上から
   足尾方面を見た時に、その禿山と鉱毒事件を説明し、
   「田中正造」の直訴事件を説明したら、当時中学2年の弟は学校の授業で習ったという。

  栃木からは一番遠い県になる沖縄の地で、そんなことまで教えていたとは知りませんでした。
  大変感銘を受けた覚えがあり、嬉しかったことを思い出します。

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2011年、12/10 今夜は皆既月食です。
今初めて外に出て見ましたら、大部分が欠けていた。
というよりも、戻っている途中かも・・・。

今朝は、かなり冷えました。
我が家では、この冬初めてストーブを出しました。
(まだ点けてはいませんが・・・)



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