ネット購読している今日の産経NetViewの、オピニオン欄『10年前のきょう』に、全日空グループのエア・ニッポンの定期便から日本初の国産旅客機「YS-11」が8月に退役する、という記事が載っていた。
YS-11といえば小生が青森へ転勤した昭和63年(1988年)。青森空港は隣で新青森空港(滑走路2000m)を建設中で、日本エアシステム(JAS)のYS-11が東京ー青森、札幌ー青森間などを飛んでいた。
当時は東北新幹線も盛岡駅止まりの為、小生の東京本社出張は大半が飛行機利用。その際搭乗したのは前半がYS-11。新青森空港が開港してからは、ジェット機のMD-81やDC-9に代わったと思う。
「何かYS-11の写真は?」と、趣味でもある飛行機の保存資料箱を探してみたら、滑走路が1400mでYS-11専用?のようだった初代青森空港の着陸するYS-11=写真、後方は八甲田山系=と、エプロンに駐機しているYSー11=写真下切り込み=があった。
お馴染みの「レッド アンド グリーン」塗装で、写真下の機首近くには『とかち』の名が…
ボーディングブリッジの先頭部分が見えるから新青森空港のエプロンかも知れない。
この小生の青森時代から数えて、かれこれ25年。YS-11は国内の定期便からは姿を消してしまった筈。新潟市から近いところでは、所沢市(埼玉)の所沢航空発祥記念館、芝山町(千葉県)航空科学博物館のYS -11が保存展示されているので、ぜひ今年は会いに行きたいと思う。
あと1週間ちょっとで新しい年度の平成25年度(2013年度)に代わるのを前にきょう、わが○○自治会の奉仕作業【ごみ収集カレンダー】のシール貼りが行われた。
作業は新潟市が例年、市内各世帯などに配布している「ごみ収集カレンダー」に、自治会として独自に毎月1回の『資源回収日』を“追加”するもの。この時期になると、自治会役員らの力を借りて市から届けられたカレンダーに【集団資源回収日】のシールをペタペタ。
今年の作業協力者は男女あわせて15名ほど。追加貼りするシールは細長、ミニ短冊サイズ、切手大の3種類。
細長いのは女性陣の担当で、われら男性陣はミニ短冊と切手大。簡単そうに見えるが、カレンダーなので日にち別の枠がついており、その枠内に水平に貼るのは結構神経を使う。
小生を筆頭に男性軍は、ただひたすら黙々と添付指定枠内へシールを…=写真。それにひきかえ女性軍は、世間話の花を咲かせながら、各自、手はちゃんと動いていた。
このあと予定されている年度内の自治会業務は、新旧役員引継ぎ会と『ごみステーション』1ヵ所の移設作業だけ。
今日は彼岸の入り。これまでにない暖かな朝を迎え、近くにあるお墓の掃除を終えたら「ドライブでも…」と思い、マイカーのところへ。
助手席側のドアが“半ドア状態”。さては?…と、車内の物品類をチェックしたが異常ナシ。
「ひょっと、したら!」の不吉な予感。エンジンキーを差込み、ひねってみたがエンジンがウンともスンとも音を出さない。
「やったァ!バッテリー上がり」 前にバッテリー上がりを起こした際は、隣家のマイカーの“救援”でエンジンをブルブルと震わせ事なきを得た。で、今回も考えたとたん脳裏に「待てよ今日は日曜日だ。マイカーでの出動は無い」と気づき、ご近所ヘルプを断念。
今回はJAFを使うことにした。永年会員なのだが、これまでに利用したのは1回、それも無料サービス該当のヘルプ。このバーテリー上がりも無料サービスの口。「日曜日だけれど、早い時間だから…」とJAFコール。
ついでだからと雪道用タイヤを履き替えることにし、物置の奥から油圧ジャッキーを持ち出してタイヤを交換。その作業が終わってほどなく、JAFが到着。持ち運びできるバッテリーを下ろし、バッテリー状態をチェックしたあと、充電ケーブルをつないで数分、充電が完了した。
車の時計が4:45で止まっていたから、半ドア状態で点いていた室内灯も、その時点で消えたのだろう。
そろそろタイヤ交換を~と思っていたので、バッテリー上がりが交換のきっかけをつけてくれた。これに懲りて、車のドア類は完全に閉めることにする。
写真は西川にかかる輪之内橋からの眺め。一気に『春の眺め』になっていた。