近藤長さんのひとりごと

写真付きで、なにやらブツブツ

異常気象の影響?

2010-09-29 18:28:48 | まち歩き

Photo_3 朝の一仕事は、町内の用排水路わき雑草刈り。Photo_4自治会恒例?のボランティア作業で、役員と有志ら合わせて7人が参加。伸ばせば自分の腰より長く伸びた雑草や雑木を鎌や剪定バサミで刈り取った=写真左

 昨年も同じ場所で同じ作業を行ったが、草や木が昨年より伸びていたようだ。

 春先の低温などの異常気象の影響だろうか?雑木の幹が太いような気がする。研いだ鎌なので、太めの幹でも、斜めにグイっと引き上げればスパっと切れた筈。それが思うようにゆかない。低温に耐えるため、幹が“たくましく(太く)”なったのだろう。

 春先の異常気象といえば、拙宅から車で十数分のところにあるラムサール条約登録湿地「佐潟」では、【水性植物のヒシ】が大量に発生し湖面を占拠?している=写真右

 きょうの新潟日報によると、佐潟では過去にもヒシの大量発生はあったが、ヒシは水の浄化能力が非常に高いので、潟の水質にはプラスとか。それにしても、このヒシの多さにはビックリ!


西会津から田子倉湖へ

2010-09-27 13:06:40 | まち歩き

Photo_7 Photo_9  昨日は、心地よい秋の気配に誘われて、国道49号を西会津(福島県)へ例によって無計画で、突然のきままドライブ。

 旧新潟市内からなら車で走れば“手ごろな距離”。

 天気予報を見たら、きょう(27日)は「曇りのち雨」のようだったので、家内に「ちょっと鶴ヶ城まで行ってくるか」と。時間は10時半ごろ。「ちょっと、その辺まで走れば気が済むのでは? 弥彦山あたりに…」と、さほど乗り気でない家内の声。

 一度思い立ったら…の口で、「阿賀野川沿いに県境まで~」と、ほぼ一方的な決断を下して間もなく正午という時間にエンジンスタート。車窓からの景色を楽しむなら、高速道路より“した(下)道”の国道や主要地方道と決めており、この日も迷わず49号に乗った。

 沿線の田んぼでは稲刈りが大詰めで、黄金の稲穂の海をコンバインはミズスマシのように泳ぎ回っている。県境付近の峠で、持参したオニギリをほおばり、前方に連なる西会津の山々を…。山は緑で、猛暑でゲンナリした気持ちを癒してくれる。

 「もう少し先へ」と独断。後部座席の客人(家内)は、持参の菓子をポリポリ。まずは西会津の【道の駅にしあいづ】へ。まだまだ体力は大丈夫と、90度右へ大きくハンドルを切り、只見川やJR只見線に沿うように走る国道252号へ。

 何度もは通ったルートだが、来るたびにスノーシェード(雪除けの洞門)が増設され、急カーブは改良されるなど「車の走り」がグーンと良くなっている。

 特に昨日のドライブで“懐かしいなァ!”と思ったのは、田んぼで見かけた【稲のハザ架け】風景=写真右。田んぼが大きな新潟県の平野部では、コンバインによる稲刈りが大半。なので、このハザ架け風景に、幼き日の思い出が…

 新潟県境に近い田子倉湖に着いたのは、午後5時前。山の稜線に刻々と沈む夕日がさしかかり、遊覧船は既に眠りに入っていた=写真左。

 六十里越え(国道252号)から新潟県に入り、夜の国道17号を経て自宅に着いたのは午後9時。走行距離は315㌔。新潟から東京へ走ったようなものだ。まだまだ元気!(自画自賛ナリ)

 


2日続きの肌寒さ

2010-09-25 21:10:49 | まち歩き

Photo  昨日に続いて、きょうも朝からの肌寒さ。これまでの暑さが異常だったせいか、とっても肌寒いと感じた。

 日中で家の中は24、5度。今(20:54)は22度。秋の気温だ。もちろん昨日から薄めのジャンパーを着ており、今もそのまま。

 クーラーは5、6日前からOFFで、節約を兼ねて出していた2台の扇風機も、1台を3Fの物置へ上げた。残った1台も数日前からOFF。

 ニュースで【富士山がきょう初冠雪を観測】と伝えていた。昨年より12日早く、平年より6日早いという。寒い筈じゃあ。太平洋側の海上を北上している台風が影響しているのか、冬将軍の到来が早い前触れか?

 写真はラムサール条約湿地に指定されている佐潟の湖畔で見つけた虫に食われた桜の葉。穴開きの葉を「アート的」に見ようとしたが「寒々とした気持ち」が上回った。

 

 


孫娘が泣き相撲に参加

2010-09-24 09:47:00 | まち歩き

Photo  1歳を過ぎた孫娘が「秋分の日」に行われた八王子泣き相撲大会に参加したビデオと写真が届いた。

 八王子市最古の子安神社恒例行事で、満1歳前後の子供たちが参加。大学相撲部員に抱かれて舞台に上がり、行司役と掛け声で…

 ビデオを見たら、行事役の顔が近づくと間もなく泣き出したから、かけ声や見慣れぬ姿に驚いたのだろう。

 舞台のそでに掲げられていた「梨と泣き相撲」説明文には、泣き相撲は末期寛永年間に始まったとあった。寛永は弘化と安政の間、1850年前後。相当古くから伝わる行事(祭事)だ。

 「全国泣き相撲大会」で有名な岩手県の三熊野神社では、大人(親方と呼ぶ)に抱かれた豆力士たちが土俵上で向かいあい、声を掛け合って、勝敗を決める。負けるが勝ち~ではなく、先に泣いた方が負けだったと思う。

 八王子の方はビデオで見る限り、行事役が『泣く子は育つ』の願いをこめて、豆力士に応対しているような気がするから、泣いた方が勝ちかナ?

 もう少し涼しくなったら、孫たちの顔を見に上京する予定だが、その時泣かれてはタイヘン! きょうから“柔和な顔”づくりの特訓じゃア~~


ずっと げんきで いてね

2010-09-22 10:25:34 | まち歩き

Photo  きのうは自治会恒例の敬老会があり、出かけてきた。といっても役員なので、会場準備からの参加。

 用意した祝い膳(弁当)の数は、前年より減って38人分になった。年々、参加者が減ってきている。確実に、わが自治会も高齢化が進んでいる。

 ひざが痛かろう…と、三分の一を椅子席にしたら、早々と満席に。

 長く座ると膝が痛むので、じっくり腰を落ち着けて、盃を…は、若かりし頃の姿。 祝い膳のグレードアップよりも、出席者から「さらに椅子席の増設を…」の声が聞かれた。

 夕方、チョッピリ千鳥足で帰宅したら、幼稚園の年中組に通う孫Mから、敬老の日にちなんだ「お祝いカード」=写真=が届いていた。

 私と家内の似顔絵付きで、ハートの中には「ずっとげんきで いてね」とあった。

 昨年の年少組サンの時より、似顔は上手い。年々薄くなってきている髪の毛をちゃんと覚えているようだ。(ギクっ!)

 この孫Mも、再来年から小学校。ランドセルを贈ってやらねばなるまい。まだまだ、ずっとず~っと、ず~っとず~っと元気でいよう。