胎蔵まんだらの配置図を画像にしてみましたが、
よくわかりませんね。失敗。。。。すんません。
・・・え~、と、気を入れ替えまして、
「牛頭(ごづ)草をなめて病者を悲しみ
断し車をあやつって迷方をあわれむ
三界の狂人は狂せることを知らず
四生の盲者は盲なることをしらず
生まれ生まれ生まれ生まれ生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し」
(古代の神農は、薬草を見出して病気の者を思いやり、
荀子ジュンシは車を作って迷える人々を導いた。
迷える世界の人々は、自分たちが迷っていることをしらない。
あらゆる生き物たちは、自分たちが正しい目を持っていない
ということをしらない。
そんななかで、何度も何度も色んな世界で生まれ変わったとしても、
その原因が分からず、
何度も何度も色んな世界で死んでいっても、それから後のことは全
くわからないのである。)
これは、弘法大師空海の著作『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』
の冒頭付近の言葉です。
生まれ生まれ生まれ生まれ生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し
特にこの部分がたいへん目に付く文章で、
色んな書物にも引用されている部分です。
詩文体ですので、そのまま読むのが本来ですが、
ぶっちゃけ、「輪廻転生」のことですね。
ここで空海は、仏法を伝えることの大切さや、
様々な教えの奥深さやすばらしさを讃歎しています。
そのことを伝えるための表現の一部分なんです。
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という六つの世界をめぐり巡る
輪廻転生の世界から、そうでない世界を目指すのが仏教。
解脱(げだつ)するっていいます。
一生懸命に修行をしたり、
善い行いを施して多くの人に喜ばれると、
その人は必ず天に生まれ変わることができます。
酒はうまいし、素敵な兄ちゃんやきれいな姉ちゃんがいる天国です。
・・・でも、天国といえども、寿命があって、
一定期間が経過すれば、死がやってきて、
へたすると、地獄へ堕ちていくことだってある。
それじゃ困るわけで、じゃぁどしたらいいんだろうか?
というわけで、仏教、すなわち仏さまの教えが説かれていく訳ですね。
仏教の導くところに誘われて生きていけば、
私たちは、二度と恐ろしい地獄餓鬼の世界に落ちることはなくなる。
すなわち、二度と輪廻転生することがなくなる、涅槃にはいることができる、
ってわけです。
よくわかりませんね。失敗。。。。すんません。
・・・え~、と、気を入れ替えまして、
「牛頭(ごづ)草をなめて病者を悲しみ
断し車をあやつって迷方をあわれむ
三界の狂人は狂せることを知らず
四生の盲者は盲なることをしらず
生まれ生まれ生まれ生まれ生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し」
(古代の神農は、薬草を見出して病気の者を思いやり、
荀子ジュンシは車を作って迷える人々を導いた。
迷える世界の人々は、自分たちが迷っていることをしらない。
あらゆる生き物たちは、自分たちが正しい目を持っていない
ということをしらない。
そんななかで、何度も何度も色んな世界で生まれ変わったとしても、
その原因が分からず、
何度も何度も色んな世界で死んでいっても、それから後のことは全
くわからないのである。)
これは、弘法大師空海の著作『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』
の冒頭付近の言葉です。
生まれ生まれ生まれ生まれ生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し
特にこの部分がたいへん目に付く文章で、
色んな書物にも引用されている部分です。
詩文体ですので、そのまま読むのが本来ですが、
ぶっちゃけ、「輪廻転生」のことですね。
ここで空海は、仏法を伝えることの大切さや、
様々な教えの奥深さやすばらしさを讃歎しています。
そのことを伝えるための表現の一部分なんです。
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という六つの世界をめぐり巡る
輪廻転生の世界から、そうでない世界を目指すのが仏教。
解脱(げだつ)するっていいます。
一生懸命に修行をしたり、
善い行いを施して多くの人に喜ばれると、
その人は必ず天に生まれ変わることができます。
酒はうまいし、素敵な兄ちゃんやきれいな姉ちゃんがいる天国です。
・・・でも、天国といえども、寿命があって、
一定期間が経過すれば、死がやってきて、
へたすると、地獄へ堕ちていくことだってある。
それじゃ困るわけで、じゃぁどしたらいいんだろうか?
というわけで、仏教、すなわち仏さまの教えが説かれていく訳ですね。
仏教の導くところに誘われて生きていけば、
私たちは、二度と恐ろしい地獄餓鬼の世界に落ちることはなくなる。
すなわち、二度と輪廻転生することがなくなる、涅槃にはいることができる、
ってわけです。
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仏教と戦争の関係
お釈迦様は、結局は、戦争をとめることができなかった(仏の顔も三度、の逸話)。
戦争の原因は、仏教的に言えば、無明に由来します。
無明とは、「生まれ生まれ生まれ生まれ生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し」の始原でありましょう。
煩悩は無明から発し、戦争は煩悩の一現象!
無明を断ずれば戦争もない。
でも、無明を断ずるのは、個人の世界。
戦争は集団でする。
聖書には戦争の記述がいっぱいある。
戦争に関する観点は、全部、キリスト教の観点になってしまう。
なんせ、神は軍隊を動員して、悪魔の軍と戦闘するのだから!