昨日、佐世保の四ケ町アーケード街を歩いておりましたら、
アーケードの上の方にズラリと並びはためく旗を発見。
誰でも派手に目に付く様子なので、発見!ってほどじゃないんですが、
その旗には、
祝・日本海海戦百周年記念!
って染め上げてありました。
戦争の歴史的事実関係を、正しく理解し、
この人間の不幸な性を二度と繰り返すことのないように、
後世に伝えていくことは、とても大切なことだと思います。
だから、日本海海戦から百年が経つのかあ、って思ったんですが、
それを、お祝いする、っていうことには、
どんな意味合いが表されているのか?
・・・よくわかりませんでした。
アーケードの上の方にズラリと並びはためく旗を発見。
誰でも派手に目に付く様子なので、発見!ってほどじゃないんですが、
その旗には、
祝・日本海海戦百周年記念!
って染め上げてありました。
戦争の歴史的事実関係を、正しく理解し、
この人間の不幸な性を二度と繰り返すことのないように、
後世に伝えていくことは、とても大切なことだと思います。
だから、日本海海戦から百年が経つのかあ、って思ったんですが、
それを、お祝いする、っていうことには、
どんな意味合いが表されているのか?
・・・よくわかりませんでした。
世界史的な視点でその影響を見ると、やはり「祝!」なのです。
最終的には、日本の敗北で始まったけれども、アジアの独立運動は、日本海海戦の日本勝利がきっかけでした。
日本が太平洋戦争で敗北した後、旧宗主国(←この言葉の意味を正しく知っている人は、ここの掲示板の読者の何割くらいだろう?)は、再び植民地化を狙ったが、反撃にあい、とうとうアジア=アフリカ、バンドン会議(AA会議、と通称されているけど)で独立の気運が高まったものでした。
解放運動!の先駆けですね。
よく理解しました。
世界史的には、「祝」なんですね。
>旧宗主国
について、はずかしながら、なんにも知りません。
ベトナムは、フランスの植民地でした。だから、宗主国は、仏国。
インドネシアは、オランダの植民地でした。だから、宗主国は、オランダ。
フィリッピンは、もともとはスペインの植民地でした。だから、宗主国は、スペイン。でも、20世紀初頭、米西戦争の結果、アメリカの植民地になりました。ついでに、北アメリカでも、アメリカはスペインからカリフォルニアあたりをスペインに割譲させた、と思いますが・・・メキシコはアメリカの支配下に入りましたね。
いまや、いかにもアメリカは植民地解放の機種のように振舞っていますが、アメリカだって植民地を一杯もっていたのです。ハワイだってそうですからね!
「アメリカ合衆国」といって、アメリカの一部(とはいっても、実際は「邦=STATEだぜ!」というスタイルをとって、誤魔化しているけど)になっていますけど、これは、まぁ、北海道や沖縄が日本に吸収されたようなものですね。
フランスは、ベトミンとの戦いに敗れてベトナムから撤退しますが、その直後、アメリカがベトナムに介入して支配します。これからいわゆるベトナム戦争が始まります。
アメリカは、戦後、ベトナムの植民地化に失敗したわけです。
とはいっても、第二次大戦後は、民族主義(民族独立・民族自決)の運動の結果、あからさまな支配をせず、傀儡政権を作ることで、間接支配を企てました。
間接支配は、日本も含まれますが。
日本海海戦の結果、とりあえず、日本はロシアには負けなかった。でも、勝利したわけではないのです。
ここ重要。
で、ロシアの利権を朝鮮半島から追い払ったものの、その代わりに、朝鮮半島から満州一帯にかけての治安の責任を持たせられた。
これがのちのちの満州事変⇒日華事変、太平洋戦争へと展開していきます。
今更、「日本には、そこまでの治安能力はない」とはいえない状態に引きずり込まれていたのですね。
オホホホホ
色んな記事を覗いても、
ご指摘の視点をわかりやすく教えてくれる記事がない。
こんな風に、冷静に眺めれば、
偏ったイデオロギーをさけて通ることができますね。
まるほどぉ~と!
でも、でも、納得できないです。
歴史の過渡期に「祝」ならばいいのですが、なぜに今なのでしょうか?
歴史的事実は、認識すべきですが、日本海海戦での多くの犠牲者を思うと、疑問を感じます。
戦争を容認しているようで・・・
極論を言えば、
戦争終結に至った原爆投下を、アメリカは何というのでしょうね?
すみません。
母親的感覚で、「祝」表現に、不安感と違和感がありましたので・・・コメント入れました。
講師は、自衛艦の元艦長で、現役の武官。
現在の戦争の状況は、世界中どこでも、過去の歴史の付けを払っているに過ぎません。良いも悪いもない。
日本海海戦は、あれでロシアや白人のアジア東進を防いだ功績はある。
あの当時の、外交問題を軍事力で解決するのが当たり前、という時代と、外交問題の解決に軍事力を使用しないと宣言した今の日本の価値観とをぶつけても、得るものはない。
それは、それぞれの国がそれぞれの歴史認識を持って当然、というのと同様であり、あの時代にはあの時代の世界認識があり、現代は現代の世界認識がある。
あれで日本が負けていたら、アジア人の独立国家は、今も存在しない。
結局、外交とは文化交流に尽きるが、文化交流ほどわずらわしいものはない。でも、そのわずらわしさこそ、お互いがお互いを理解している証拠なのだ。
例えば、イスラムの人を招いたら、自分も豚を食べない、とか。
国益、というものは、計算できるものであり、感情で反応してはならない。それは、外交にのみ関わることではなく、すべての交渉ごとは、感情的反応に引きずられては、相手の要望を丸呑みする以外に選択肢がないように追い詰められることになる。
・・・なかなか、味のある講演でした。
と、彼は言って、講演を締めくくりました。
排他的な民族主義=感情的な反応、と同義語ですね。
の上部の旗印は、何を意味しているのですか?
>現在の戦争の状況は、世界中どこでも、過去の歴史の付けを払っているに過ぎません。良いも悪いもない。
だったら、
現在の戦争で、また後世への付けを増やしただけなのでしょうか?
独り言
「記念 日本海海戦百周年」って表記なら、ここまで釈然としない気持ちは残らなかっただろうになぁ~
これはなんでしょうね。
ところで、私の今までのコメントは「日本海海戦とは何か?その結末はなにか?」という一般論でして、今回の当市のイベントとは、関係がありません。
察するに、「祝!」の意味は、
「祝?」という気持ちにさせて、日本海海戦当時の日本の状況を、もう一度思い出してもらおう、ということではなかったか、と、好意的に解釈。