平戸安満岳のお寺、西禅寺は、松浦藩域の真言密教の本寺として隆盛を極めた聖地。
また多くの密教僧をも排出した。
今は、庭園と泉水がわずかに当時の面影を残すのみ。
現存する地域の密教寺院(平戸、北松、松浦、伊万里、佐世保、ほか)の多くが、
この西禅寺の末寺であった。
明治の廃仏毀釈で、西禅寺は再生不能の廃寺と化す。
今、西禅寺の古文書や什物は何処?
当山に残る数少ない什物の一つ、木製の「経筒」。
経筒とは、その器に経文を入れて末永く供養する為のもの。
おおむね、金属(銅製)で作られたものか、たまに陶器のものもある。
しかし、潮音院に流れきた経筒はなんと木製。
胴回りには、光明真言が無限に綴られている。
一見、縦書きのような様相だが、よく見れば、左から右へ連なった横書き。
何遍書き連なっているかは、まだ数えていないのでわからない。
上蓋は、転法輪の刻み。
光明真言の五大種字といわれる、ア・ビ・ラ・ウン・ケンと、
あと三文字、カン・キリクは読めるが、あとひと文字がわからない。
経筒の底面には、
寛政五年(1793年)光明真言護摩七ヶ日修行之○○之
休岳瑜伽道盈 四十五歳
という記述。
この道盈 という法印様は、
安満岳縁起録を残した名僧。
さて、この縁起録を読んで、江戸の宗教実態を知りたいが、
この古文書は今何処?
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