こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

才育か、菜育か??

2005年03月11日 | 教育
本日の家庭教育学級では、
「五育」が話材にあがりました。
すなわち、食育。
     体育。
     知育。
     才育。
     徳育。
そして、それらの基礎になっているものが、「撫育」。

これを掌にすると、
掌の各指を支えている部分(生命線なんかがあるところ・笑)が、
人間への絶対的な信頼性を育むところの撫育(スキンシップ)。

そして、その基礎の上に、食・体・知・才・徳という五本の指が
はえている、と。

ほほ~、面白い比喩だ。メモメモ。

そのほか、食育の重要性や、いろんな角度から、
子育てにまつわる視点を示して下さいました。

詳しくは、パートナーが後ほど感想記録を残してくれると思いますので、
それをこっそりコピーして、こちらにペイストしまひょう。ひょひょ。

閑話休題。

講演会のあと、某校長先生と雑談。
その先生のご息嬢は、幼い頃から、ミュージカルスターを夢見ていた。
日舞やさまざまな音楽活動を積み重ねながら、
とうとう、上京を果たし、大きなミュージカル劇団の入団テストを受けるために
日夜歌に踊りに鍛錬をする日々らしい。

それを聴いた私は、
「先生!まさしく才育そのものじゃないですか。さすがですねえ先生。」
というと、

「とんでもないですよお。うちは才育じゃなくて、菜育!代々農家ですからね。
芸は肥やさんでも、野菜を肥やせ、ってなもんですよ、まったく。」

うーん、そうかあ。

先生、面白い!

あなたの娘さんは、親の意に反して、
きっと素敵なミュージカルスターに育ちますよ。

なんてったって、先生の肥やしが効いてるもん。



コメント (2)
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綜芸種智・・・私学教育のはじまり

2005年03月11日 | 仏教
当時,一般庶民相手の教育機関は皆無といってよい状態であった。
「貧賎の子弟,津を問う(勉強する)所無し」である。
そこで空海は「貴賎を看ること莫く」「貴賎を論ぜず」「貧富を看ず」
に広く庶民に開かれた理想の学校を構想するのである。
「綜芸種智」とは,「あらゆる学問芸術などはことごとく種智,
すなわち法身大日如来の絶対智の現われであり,
そうした一切の学芸を総合的に教授するという意味である。
したがって,それはまず国立の官吏養成の学校とは大いに異なる。

当時の大学・国学において教授されていたのは儒教であった。
それは,個々人の世間的な出世を目指すものでしかない。
さらにまた,彼の目指す教育は,寺院における仏教のみの教育でもない。

 ここで若き日の『三教指帰』が思い出される。
かの書は,儒・道・仏の三教の優劣がテーマであった。
そこでは,仏教の優位が説かれてはいるものの,他が全く否定されたのではない。
その序にも,「この三種の教えには浅いと深いとの違いはあるが,
いずれもみな聖人の説いた教えである」という。
三教はそれぞれに,固有の価値があるのだ。
彼は三教を兼ねて学ぶことの重要性を,力説する。
それは官立の学校には,(本来的に)不可能なものであった。
コメント (7)
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