こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

宗教的情操教育の欠損が引き起こす大罪

2005年03月02日 | 教育
ペーパー学力テストの水準が下がったから、教育方針の見なおしを大慌てで企てる。
はたまた、
学校内で大きな殺傷事件が発生するや、事件防止のために安全管理の徹底化に向け、
閉ざされた学校環境づくりをめざす。

これらは、こちらの耳に入ってくるマスメディアからの一方的な情報ばかりなので、
文科省大臣の真意、お心までよく見通せないから、何とも歯がゆい。
やがて、中教審や臨教審による答申が早々と出されるのだろうが、
答申が出たあとにガッカリするのも身体によくないので、
今のうちに愚痴っておこう。

子育てに関心を持って取り組んでいる人であれば、おそらくものすごい違和感をもって、
今回の文科省大臣の発言を聞いているに違いない。
偏差値をもって人の価値や人格まで推し量ってしまうような学力一辺倒の教育環境が、
どんな人間を創っていったのか?!
さまざまな現象や、現状を見れば一目瞭然。
・・・だから、人格の形成、人間性や生きる力を育むための子育て環境つくりにシフトを
入れ替えたんじゃないのか。
学校の教育力だけでは、充分に機能を果たすことが出来ないから、
学校を取りまく地域の子育て環境作りが重要になってきて、
これから、地域の各種行政システムや民間企業体、各種団体などの連携を仰ぎながら、
新しい子育て環境つくりをめざしていこうと、みんなが準備を進めているときに・・・。

お国の教育から、地域の教育へ、という考え方が、やっと国民の覚知を得てきた矢先に、
全くビジョンの見えない、極めて表面的な対処療法には、ほとほとうんざりしてしまう。
そもそも、教育基本法やそれに基ずく指導要領などには、とてもすばらしい理念や、
教育のビジョンが語られているはずなのに。

本当の学力は、よく遊びよく学び、多くの人にまみれ多くの事柄を体験して、
感性が豊かに育った人にのみ、育まれるもの。

また、学校の安全は、どんなハードを整備してもしなくても、事件は起こる。
問題の所在は、管理面にあるんじゃないよお。
さまざまな社会背景や、家庭、そして、そんな背景に影響される学校の体質。
勝ち組、負け組といった社会階層の二極化を煽るような環境。

学校は聖域。先生は聖職者。子どもは地域の宝。
聖域で事件が起こること自体が問題。

やっぱり、問題の所在は、
しっかりしたビジョンを持つことの出来ない
私たち国民にある。

そして、その起因は、祈りを忘れた人々を創り出してしまった
宗教的貧困かも知れない。
コメント (6)
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