自然災害や惨事はその日が訪れる度、教訓として追悼として或いは在りし日の肉親や友
人たちを偲ぶ機会となる。しかし、悲しいかなと気が過ぎると人の心にあるページも入れ替
えが起こり徐々に後ろの方に追いやられていく。阪神大震災から19年も歳月が流れてしま
った。
今朝の新聞は一面に小さな写真と記事で追悼行事の様子を報じていた。もう既に一面トッ
プではない。テレビのニュースにしても扱いは小さい。表面的には当時の傷跡を目にするこ
とは無くなったから、被害に遭われた多くの方々も立ち直られ、盤石と言えずとも震災前に
近い暮らしを取り戻されたものと思ってしまう。
しかし現実には残酷な試練になす術を持てない弱者もおられる。私も新聞で知った『契約期
限が迫り高齢者が転居を迫られている復興住宅』の問題もその一つの例だ。災害は弱者を
徹底的に叩きのめしながら、弱い力しかないのに自力で立ち上がれと圧(の)し掛かってくる。
こうした事で困っておられる人がどのくらいおられるのか判らないが、記憶の風化はそうした
人たちへの支援すらも風化させてしまう恐ろしさがある。
阪神大震災はこうした問題を残しながらも19年で今のような姿に復興できた。3.11で未曾有の
被害に遭った東北地方は地震、津波、原発被害と範囲、規模は比較できないほど深刻だ。
復興には日本人の英知と粘り強さなくしては到底成し得ない。19年後、福島原発周辺は復興
することなく正しいことを言って辞任させられた大臣が表現した『市の街』と、そこから離れれば
離れるほど復興していく図式になるのではなかろうか。残念ながら原発周辺の町は国の口先だ
けの復興対策で手のつけようがないのだと思う。
阪神大震災の後、がんばろう神戸で再起を誓い立ち上がった関西、東日本大震災は一企業と
国がある地域を破滅させてしまい再起の余地さえ奪ってしまった。震災で経験した事の風化は
原発の怖さも風化させてしまう。このことを肝に銘じなければ再び自分の頭上に天から火の粉
が舞い落ちてくる。