食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『1.17』

2014年01月17日 17時54分38秒 | 日記

自然災害や惨事はその日が訪れる度、教訓として追悼として或いは在りし日の肉親や友

人たちを偲ぶ機会となる。しかし、悲しいかなと気が過ぎると人の心にあるページも入れ替

えが起こり徐々に後ろの方に追いやられていく。阪神大震災から19年も歳月が流れてしま

った。

今朝の新聞は一面に小さな写真と記事で追悼行事の様子を報じていた。もう既に一面トッ

プではない。テレビのニュースにしても扱いは小さい。表面的には当時の傷跡を目にするこ

とは無くなったから、被害に遭われた多くの方々も立ち直られ、盤石と言えずとも震災前に

近い暮らしを取り戻されたものと思ってしまう。

しかし現実には残酷な試練になす術を持てない弱者もおられる。私も新聞で知った『契約期

限が迫り高齢者が転居を迫られている復興住宅』の問題もその一つの例だ。災害は弱者を

徹底的に叩きのめしながら、弱い力しかないのに自力で立ち上がれと圧(の)し掛かってくる。

こうした事で困っておられる人がどのくらいおられるのか判らないが、記憶の風化はそうした

人たちへの支援すらも風化させてしまう恐ろしさがある。

阪神大震災はこうした問題を残しながらも19年で今のような姿に復興できた。3.11で未曾有の

被害に遭った東北地方は地震、津波、原発被害と範囲、規模は比較できないほど深刻だ。

復興には日本人の英知と粘り強さなくしては到底成し得ない。19年後、福島原発周辺は復興

することなく正しいことを言って辞任させられた大臣が表現した『市の街』と、そこから離れれば

離れるほど復興していく図式になるのではなかろうか。残念ながら原発周辺の町は国の口先だ

けの復興対策で手のつけようがないのだと思う。

阪神大震災の後、がんばろう神戸で再起を誓い立ち上がった関西、東日本大震災は一企業と

国がある地域を破滅させてしまい再起の余地さえ奪ってしまった。震災で経験した事の風化は

原発の怖さも風化させてしまう。このことを肝に銘じなければ再び自分の頭上に天から火の粉

が舞い落ちてくる。


『青空市場の怪しい女』

2014年01月16日 17時54分39秒 | 旅行

聖堂を出ると自由行動になりそれぞれが行きたい所に散って行った。私たちは迷うこと

なく青空市場の散策を選ぶ。私たちが日本で育てる野菜や果樹などにどんな違いがあ

るのか、物価はどうなのかにも興味は尽きない。市場だから商品は全て山積み、買えば

紙袋、ビニール袋に入れてくれる。

商品の幅は広く、多くはなかったがキノコがあり何故か『shiitake』と書かれた所に粗末な

シイタケが売られていた。こちらの主流はマッシュルーム。

辞書で調べてみたらシイタケはshiitake mushroomとあるから、これはこれで通じるようだ。

その一角には農家の自家製チーズが日本で言えば、豆腐屋のような感じで店を出して

いた。チーズの好きな人にはたまらないだろうが、残念ながら私たちの触手は興味を示

そうとはしなかった。果物のところで『kaki』というものがあり立派な柿が売られていた。柿

はシイタケと異なり英語でpersimmonとあるのに何故かローマ字のkakiが使われているの

か疑問だった。美味しそうな富有柿のようだが1個が300円近くと高価なのには一寸びっ

くり。

珍しい野菜を見ていたら、私が作っている紫色したサラダ菜が売られている。このサラダ

菜は日本ではポピュラーではなく売っているのを見たことがない。種を購入し、私も初め

ての挑戦。乾燥イチジクは特産品らしく、国土のどこでも大量に売られている。縦断の旅

をしてきたがイチジクの木を大量に見かけなかったから、近くの国からの輸入物なのだろ

うか。

キョロキョロしながらビデオを回していて気付いたことがある。黒いコートを着た小柄の女性

が、20分以上前から私たちの後をつけて付いてきていたのだ。背後に回りながら尾行し止

まれば近くに寄ってきたり、通り過ぎて待ち様子を伺っている。気の精ではなく明らかに尾

行している。暫くしてから、その女は立ち止まってこちらを見ていたのでビデオを向けてみ

たら、私たちの横を通り過ぎた。

何か盗られるのではと気をつけていたから被害に遭うことはなかったが、君子危うきに近寄

らず・・・・・その場を離れて花などを売っている場所に移動した。その後、集合場所の大聖

堂前に行き、私はトイレ妻が写真を撮っていたら、その女が現れたという。何が目的だった

かは知らないが気持ちの悪い女だった。

 

ザグレブ、青空市場の果物と野菜 1/3

 

  ザグレブ、青空市場の果物と野菜 2/3

ザグレブ、青空市場の果物と野菜 3/3

 

 


『木炭作業』

2014年01月16日 17時52分13秒 | 日記

新年会の為、途中で中断していた窯立て作業の続きと材料木の運搬作業を、天気具合か

ら急きょすることになり招集があった。予報では明日から暫くは天気の崩れに見舞われるそ

うだ。それにしても炭焼きグループの人は私より年配なのに馬力はあるし、頑丈な人ばかり

で頭が下がる。今日の木の運搬は、一人で伐採した樫の木の枝を落とし、枝も幹も炭木の

長さに切りそろえて、すぐ運搬できるように纏めておられた。

樫の木の根元は30cm以上と太いものでかなりの重さがあり人手では運ぶことはできない。

墓周りをきれいにされるため数本伐採したものだが、よく一人で頑張られたと運び手の私た

ちは感心すること一頻(ひとしき)り。軽トラ7~8台の量があり、2窯以上は焚けるのではない

かと思う。

今、グループで新規事業として、現在の炭焼きにバリエーションを加えリニューアルしたもの

の補助申請を行っている。もし認可されれば本拠地の移転に伴い炭窯を造り替えることにな

る。付随して小屋も立替になるから、今の窯での作業は最終シーズンになる可能性は高い

から、残る期間はしっかりとお世話になりたい。

愛着のある窯とも別れは寂しいが、全て決別するのではなく窯の土は新しい窯に使うことに

なる。炭窯の土はこうして使い古されるほどいい土になるらしく、今の窯だけで不足する分は

以前の窯跡があれば、そこで分けて貰うこともある。

これから暫くは本格的なシーズンだからいい木炭を焼きたいものだ。


『庶民と為替』

2014年01月15日 17時26分35秒 | 日記

円高ドル安になり輸出業者は利益が減り窮々としているが、輸入品は値段が下がり庶民

にも外国の高級品が手頃で買えるようになった。ついこの前まで庶民向けの新聞やテレビ

のニュースはこのような調子で為替の動向を伝えていた。

ところが日銀の『札束印刷作戦』が開始されアベノミクスと騒がれ始めたら、円安ドル高に

逆転してしまい、輸入で安くなった高級品を買おうとしていた庶民は、ガソリン、灯油の値

段が高騰してそれどころではなくなってしまった。

少し極端な表現をすれば庶民感覚はこんな風になろう。一般的に為替なんて自分たちの

生活に関係ないとか、株価など全く影響ないと言う声を庶民の代表として伝えられている

が、実際のところはあちらこちらに影響が出ている。

それほど日本社会は世界とのつながりが広くなり・・・・日本人の生活はと言うべきだ。

諸外国との関係を無視しては暮らしていけないようになっている。昔の為替は1$が360円

だったから輸入品など高根の花過ぎて私たちの生活圏の近くには殆ど馴染はなかった。

それでも生活する上で大きな支障はなかった。しかし現代社会を構成するには諸外国と

物の融通し合う必要があり、其処には必ず為替の決済が付いてくるから、庶民と為替は間

接的ながら強い関係を持つ。

だから田舎暮らしをしている爺さんであっても、無関心ではおられない時代になっている。

将来ある若い人たちはグローバル化が更に拡大される中で生活していくのだから、もっと

敏感になって欲しいと思う。井の中の蛙大海を知らず、の世界にどっぷりとつかっていて

はいけないのだ。


ザグレブ市内

2014年01月14日 18時09分36秒 | 旅行

ザグレブはプリトビッツェより内陸部になるが高度の関係で雪はない。しかし冷え込みは

相当厳しく、寒さ対策はしていたものの予想以上で朝の早い時間帯はティッシュが離せ

ない。パーカーを被りポケットに片手を突っ込み、ビデオ、カメラで写真を撮る。

バスが最初に到着したのは聖母被昇天大聖堂、ここに入場する予定だったが礼拝が始

まり入場できなくなったので、後回しにして石の門目指して歩く。大聖堂の広場から青空

市場の横を通り抜ける。市場はこの時間帯には人が多く出かけており活気づいていた。

石の門には聖母マリアが祀られている。説明によると1731年の火事の際、現在の石の門

周辺が焼け落ちた。その灰の中から無傷のマリア像が見つかり今でもローソクや花を飾

る人の姿が絶えない。

私たちはクリスチャンではないから、仏像を拝む時より敬虔さは少ないが煩悩の塊は『ご

利益がありますようにと』心で祈る。

街並みは石畳が敷き詰められた坂道を登っていくと目の前にクロアチア特有のチェック

マークの大屋根が現れてきた。聖マルコ教会。中に入っての観光ではなく外観だけを眺

めるそこを離れ坂の下に向かっていくと以前TVで観たことのある失恋博物館があった。

入館料は無料らしいが通り過ぎるだけだった。其処から暫くした所に世界一短いケーブ

ルカーとやらが紹介されたが、興味はないし寒いしで聞き流すだけでみる気もしなかった。

高い所から下ると先程通った青空市場の下に出てきた。賑やかな通りから再び

聖母被昇天大聖堂に戻り中を見学する。ここでもやはり中途半端な仏教徒。

ザグレブ市内


『電子ブックの自作』

2014年01月14日 17時55分00秒 | 日記

電子ブックが出始め興味を持って調べた頃は電子化された本の数、ジャンルは限られた

ものだから、自分の探すものに出会うことは少なかった。電子ブックのような先端をいくもの

の対象はネットをバリバリ活用しているビジネスマンや若い人たちだから、私とのギャップは

大きかった。しかし、この数年否ほんの一年も経たないのではないかと思うほど電子ブック

の裾野は広くなってきた。当初はAndroid系タブレット、Kindleなど端末によって読める本、

読めない本があったらしい。端末でユーザーを囲い込む方法を取っていては客の足は遠

のく、端末の儲けは1回きりだが本の購買はリピになって貰う必要があるから、端末を売った

後はコンテンツの充実が勝負どころとなる。

私たちには嬉しいことだ。端末で本の選択が限定されるのは不便この上ない。私も少しず

つ安い本を購入して読んでみている。ブックストアにより購入した本の扱いに違いがあり、ど

の方式が私にフィットするのか今のところ判らない。タブレットなら指でなぞればページをめく

ってくれ、如何にも自分で次のページをめくってくれるように見える。このような本を作成ソフ

トはないものか?物好きな爺さんが調査を始めた。一般のソフトのように普及しておらず、あ

っても素人が趣味で使うような値段ではない。また業者に発注して作ってもらうこともできるが、

これも値段的にはきつい。

こんな状況だから自作で使えるフリーソフトなど期待は出来ないと思いつつ、ネットを探しまく

る。天はいつも人に冷たくはない。時には暖かい手を差し出してくれることもある。

PDF化(フリーソフトcube PDF)した文書を現場工事の写真集などを作る電子本に近いものが

出来ることをキャッチした。http://www.seasidesoft.co.jpの工事写真作成・・・のフリーソフトが

あり電子ブックのようなものを作ることが出来る。

ソフトの使い方でウロウロしていて最終の形には至っていないが、旅行記をPDF化してこのソ

フトに載せて、詳細の手順は省いてやっているので目次などはないが本の形になりページも

めくれるものが出来あがった。

次の手順に来た時『販売』とかの項目が出てきたので、ここまでで止めている。マニュアルをよ

く読み、きちんとしたものになるのか調べてみたいと思っている。

もし、うまくいき自分のPC内で自由に扱えればいいのだが・・・。


『ザグレブへ』

2014年01月13日 17時01分24秒 | 旅行

午後一で出発して最終観光地、ザグレブに120kmほど移動するから、時間的には楽勝だ

からホテル着後には周辺の散策も出来るだろうと考えていた。当初、夕食はホテルで食

べることになっていたから散策が頭の中にあった。ところが変更になっておりレストランで

食べてからホテルにチェックインするから、時間調整してレストランの予約時間に合わせ

た行動になる。

事実、ザグレブ近郊に来た時、時間調整のためドライブインで多めの休憩時間がとられ、

私たちもコーヒーを頂くことにした。この時点でお土産は完了していたからただ眺めるだけ

のショッピング。今までトイレ休憩で何度もドライブインを利用してきた。ドライブインは私た

ちのような観光客が多いから、観光客目当ての土産品は数多く置かれていた。それに日

本のコンビニのような役割をしていた。余り大きくない店頭には子供向けの玩具なども置

かれている。玩具を見てビックリ、大半がMade in Chinaだった。

世界中、物は回り回っているから幾ら外国だからといって買うものが、何処の国か確認し

ないと、とんでもない国のものを買ってしまうこともある。

クロアチアのチョコはブルガリア産だったり、スイス産のものが大半で、ヨーロッパでは珍し

くない。地域を大きく括ってしまえばヨーロッパということにして納得しよう。だがクロアチア

で中国産の玩具を買ってしまったら、どんな理由で説明されても納得はできない。

だから、私たちは土産を買う時は必ずどこの国で作られたものか確認することにしている。

私の記録ではザグレブ市内に入ったのが15時20分頃、それから時間調整した後にレスト

ラン向かっている。レストランには18時頃に到着。

前回の旅でフランスのレストランで頂いたホットワインがあり、美味しかったのでそれをイメ

ージしてホットワインを頼んだ。同席の人は訝(いぶか)しそうな顔をしていたので自信たっぷ

りにフランスの経験を披露した。

やがてウェイターがホットの赤ワインを運んできた。何の疑いもなくフランスで飲んだ味と重

ねた。『違う、不味い。飲むに堪えない』

ワインに中華料理使う八角のようなものが入れられており、ワインの味ではなく養命酒に別

の味付けをしたようなワインに変身していた。興味津々で見ていた人たちの興に応えるよう

な私の反応に同席の人は喜んだ。半分くらい飲んだ後、もう飲みたくないから普通のワイン

を注文、今回は大損失であった。今宵はクロアチア最後の夜、明日は機内の人となる。

食後、ホテルに着くとロビーに韓国の若い女性が集まり何やら話をしていた。

聞くところによるとキム・ヨナ選手がすぐ傍にあるスケートリンクで試合に出るので、その応援

に来ていると言う。私たちに『安藤美姫も出る。その応援に来たの?』と流暢な日本語で質

問してきた。勿論、そんなこと露知らずだから、観光で来ただけと説明する。私は分からなか

ったがエレベーター乗り場でキム・ヨナ選手を見かけた人が沢山いた。

ホテルに入って来た時から妙にカメラマンがビデオを持ってウロウロしていると思っていたら、

こんな経緯がったのだ。翌朝、部屋を出てロビーへのエレベーターにまたしても大きなビデ

オカメラを持った人が乘って来た。1Fに着きその人はホテルから出て行った。私たちがバス

に乗るためホテルの外に出ると韓国の若い女性たちがスケート会場の方から帰って来る。

バスに乗り込み暫くその人日たちをビデオで撮ってみたが、面白くないので止めて片つけて

しまった。その直ぐ後だれかが『キム・ヨナが来た』と声を出す。慌ててビデオを用意したがほ

んの一寸だけ撮影できた。再生してみるとスケート時のようなメークをしていないから私には

よく分からないがキム・ヨナと言うからそうなのだろうと思っている。私の寸評は『韓国焼肉店

のお姉ちゃんみたい』だった。TVで観る本人との違いはそれくらいあった。

              プリビッツェを後にして・・・・

                     ザグレブ市内へ 

              キムヨナ、韓国の追っかけ


『メルトダウンの現状』

2014年01月13日 17時00分52秒 | 日記

今まで、何度も繰り返し報道されていた福島原発の惨状、しかし状況は3.11に被害を受

けその後に嘘つきどもがメルトダウンをゲロした時から本質的な変わりはない。被害の少

なかった4号炉の貯蔵燃料を別の施設に移設することが進められているのが唯一、前向

きの対策だ。前進しようにも汚染水は増え続け、水漏れ、水移しごっこに明け暮れている

から進みようはない。 

硬直状態が続くと、何か上手く処理が行っているかのような錯覚に落ち、関心が薄くなって

しまう。そうした隙に原発再稼働を進めてしまおうとする動きは、銭ゲバの経団連の後押しも

あり加速しているように思う。無関心は罪である。賛成、反対の色々な意見はある。大切なの

は物事の真理を知ることで、それを軸にした論議が成されなければ、無関心の層の意見は

抹殺される。 

今、原発を動かせと言っているのは利害関係者だけだ。つまり金の為だ。もし、福島のような

事故を繰り返したらどう責任をとるつもりだ。福島で東電や推進してきた国は原因も分からな

いのに、安全だと言う。原因がコレコレで、対策はコレコレという説明ならば誰でも理解できる。

こんないい加減なことで事を済ませようとしている。中国の高速鉄道事故で当局の取った土

中に埋める行為と原発事故であれだけの被害を起こしていながら何の対策も取っていない日

本政府とどちらが酷いのか。日本人の多くは中国の事を蔑視の眼差しで見ていたのではない

か。さて、今朝の新聞に現状を紹介する記事があった。一枚の図に分かり易く報道されていた。

私も関心を持ち続けるようにしていくつもりだ。

 


『プリトビッツェの滝群』

2014年01月12日 18時00分55秒 | 旅行

一夜過しホテルから外に出てみると周辺は白の世界。昼間に溶けかけた雪が夜に再び

凍り、雪の上を歩いても体重の軽い私など簡単に歩けてしまうほど。天候は私たちの日

ごろの行いと反比例しているのか、比例しているのか分からないが連日の快晴。

バスに乗り10分ほど行くと滝群の入口に着く。今はシーズンオフで滝群の上の方は閉鎖

されており、下の方だけの観光となる。ここでも現地のガイドさんがつき観光するコースの

説明やルートを決める。私たちのガイドは滝の上の方の安全な道を選択、しかも途中か

らは更に安全を優先させ観光ルートではない、道路で移動することになったが、1号車の

ガイドは滝の下のルートを選択していた。どう見ても下のルートの方が滝群に近いようだ

が、全景を眺めるには上の方が良かったから、これで正解だったと思う。

国立公園の管理事務所で入場料を払い、ここで大事なお告げがある。ここから約2時間

はトイレがないので必ずトイレに行っておくように・・・・

さっきホテルを出たばかりなのにトイレに行けと言われても・・・それでも伯母さんたちは

『絞り出す』と言いながらトイレに向かった。

滝を眺めるために歩く道にガードレールのような落下防止柵はなく、急斜面が谷底まで

続いているから、滝に見とれて足でも滑らせたら、そのまま谷に落ちてしまう。途中に木

あるから下まで落下とはならないもののかなり危険であることには違いない。

ハイキングの装備で参加するようにと事前の資料にあったのに、ヒールの靴を履き全く場

違いの人もいた。雪のないところは凍っているから滑り易い、それぞれが自分の歩きやす

い場所を選びながら進んで行くと対岸の高い所から大きな滝が流れている。

滝の頂上部になる所には何か建屋のようなものが見えるが、何なのかはわからなかった。

寒い空気の中を凍てつくような水が落下する様は、見ていても寒々とした光景だ。季節は

自然の風景を幾通りにも変えてしまう。また、その質感も同様。仮に、この風景を暑い夏に

見ていたら爽快な感じを持ちながら風景を楽しんでいることだろう。

更に足を進めると前方眼下に何段にもなった滝群が滔々と途切れることなく水を運び続け

ている。滝の近くには木製の階段があり近くを散策できるようになっているが、雪と氷でうっ

すらと白くなっていた。こうした景色こそ、百聞は一見にしかず、駄作の写真をご覧あれ。

下の滝群の頂上部は大きな湖があり、ここから大量の水を滝に供給している。私たちは湖

をボートで横断してバスの待つ対岸に戻る。シーズンオフだからボート乗り場にある売店も

店を閉じたままだった。本来なら、ここから更に上の方にある滝群の散策もできるはずだ。

ボートは100人くらい乗れ、いつどこから来たのか中国人か台湾人の観光客と一緒になっ

ていた。ボートからは湖面を遊ぶ水鳥や周りの景色を見るものの、先ほどの滝群とは比較す

るほどのことはなかった。

15分ほどの船旅を楽しみ対岸に着くと、ここは道路より低い場所だから上までミニ山登りの様

子。フーフー言いながら登り切り温かいレストランに入る。

この滝群は楽しみにして場所で、遠くからの観光になったが美しい風景を恵まれた天候の中

で見ることが出来たので満足している。

プリトビッツェ国立公園の滝群 1/3

プリトビッツェ国立公園の滝群

プリトビッツェ国立公園の滝群 3/3

プリトビッツェ国立公園

 


『殿、ご乱心?』

2014年01月12日 17時56分38秒 | 日記

都知事選挙の候補者選びは段々ヒートアップし、いつものことながら本人が立候補すると

言っていないのに、それとも本人が意図的にリークしているのか本命と目される人は正式

に表明していない。

誰が立とうと地方の人間には関係ないと言えばそうかもしれないが、首都での政治的な動

行は国政の流れを作ることもあり、強(あなが)ち関係ないとは言い切れない。時流を今

のままでキープしたい政党は『都政に関係ない政策は論点にすべきではない』と言い、今

の力関係に楔(くさび)を打ち込みたい政党は出来る限り今の流れを変えようと躍起になる。

その結果、政党は自分の都合のいい方向に振り子のように揺れ動く。そこに理がなくても

平気で理を取り繕う。与党たる自民党は候補者の一人とされる舛添要一元厚労大臣を

支援すると決めた。???・・この人は自民党を飛び出し、除名されたのではなかったの

か。言わば自民党からみれば組織内の犯罪人。なのに、何もなかったかのように、都知事

選挙では勝って貰おうとしている。何が目的なんだい、自民党よ ?

こんな馬鹿な騒ぎをしている内に、小泉・細川元総理大臣がデュオを組みそうになってい

る。原発反対を軸にした勢力の結集を狙ってのことだ。東京都は東電の大株主でもあるか

ら『物言う株主』の存在は無視できなくなる。この流れは出来る限り波風を立たせないで原

発再稼働を狙う自民党にとっては誠に都合の悪いことになる。しかも、自民党は小泉元総

理と袂を分かち闘うことだけは避けたかった構図のはず。私の希望は細川元総理が勝利

し国政が原発問題をきちんと論議する流れを作って欲しい。どんな行方になるのか神のみ

ぞ知るである。それにしても甘利大臣はこの報道に対して『殿、ご乱心』と揶揄した。ならば

舛添支援はご乱心ではないのか。


『プリトビッツェへ長距離移動』

2014年01月11日 17時45分34秒 | 旅行

今回の旅の中で一番多く約500Km移動する。この距離は凡そ東京都~京都に匹敵する。

ここに来るまで総計約1,200Kmのバス旅行をしてきて12月2日のプーラ~ドゥーゴポリエ58

0Kmに次ぐ距離になる。こちらに向かう時と逆走するから、理屈としては一度見た景色をも

う一度見る

ことになり、景色以外に興味を持たない人には石山を見続ける退屈な移動になる。ディオ

クレティアヌス宮殿の市場で買ったマスカットは1Kgが12Kn(240円相当)だった。粒は不揃

いで日本のような立派な房ではない。市場だからマスカットであっても山積みにされており、

自分で選んだものをビニール袋に入れて貰う。兎に角、外国の果物は安い。粒は大小ある

が食べてみて味はいい。バスの旅ではトイレの心配があるから水分補給はこうした果物で

やってもいい。

先程の青空市場で買ったドライフルーツ、イカのフリット、マスカットをおやつにして長旅がス

タートした。案の定、1時間もしない内にこっくりさんが増殖し始めた。ドブロヴニクからヘルツ

ェゴビナの先まで、つまり行程の約半分は自動車道ではなく地道を走ることを紹介したが、地

道というより山道の上り下りが多かった。私は取り出した地図と道路標識を睨めっこしながらの

旅だから、結構楽しく過ごしていた。しかし道路標識は瞬間しか見えないことが多く、しかも地

名は私にとってアルファベットの羅列でしかないから読み取れず、位置確認には難儀した。

確認するため、ビデオ、カメラで標識を撮影して知ろうと何度も試してみた。シャッター速度を

変えてみたりするが腕が悪いから標識を捕えることは少ない。

その内、陽が落ち薄暗くなってくるとカメラの絞りを変えたりして、色々と試しながら道路標識撮

影の旅となった。バスの前列に座り正面から標識を捉えることは比較的容易だが、窓際からの

撮影は非常に難しい。こんなことを繰り返しながらの旅だから、他の人のように居眠り道中とは

ほど遠いものになった。今晩はプリトビッツェ国立公園の中にあるホテルに宿泊することになっ

ている。石山を通っている時、周囲が白かったから雪かと思って見ていたら雪ではなく石だった

ことがある。プリトビッツェに近くなり随分と白い石が多いと思っていたら、今度は逆に雪のようだ。

妻に雪ではないかと言うと、眺めながら石だ、雪だと言う。

ここはクロアチオの中では内陸部だから、スロベニアのブレッドと同様と考えれば雪であってもお

かしくない。バスを降りると昼間の温かかった気候とは雲泥の差、首を引っ込めてホテルイェゼロ

に逃げ込む。クロアチオのホテルは相対的に質がいい。食事は特別どうこうはなくそこそこ美味し

いものだが、日本人に一番嬉しいのは風呂。何れのホテルもシャワーをバスタブでできるようにシ

ャワーカーテンは、アクリル板のしっかりしたものが付けられていた。風呂の湯は十分にありしかも

熱いから、バスタブに湯を溜めて肩まで浸かることが出来る。

尤もバスタブは外国特有の浅いものだから寝た状態でしか入れないが、ヨーロッパのホテルはシ

ャワーのみしかない場合や湯がぬるく少ないホテルが多いことからすれば、上出来だと思う。

だから、比較的温暖な海岸部から内陸部に来てブルブルっとしても温かい風呂に入れば、疲れも

取れると言うもの。

           怖々撮ったヘルツェゴビナとの国境

移動の途中、場所の確認をするために撮っていた道路標識、大半は撮ってすぐ削除し

ていたが、それの残党

道路標識の写真

 

 


『原発とイノブタ』

2014年01月11日 17時44分16秒 | 日記

原発事故の為に10数万人が故郷から追われてしまい、今まで暮らしていた家はなす術も

なく放置に近い状態になっている。帰宅困難だとか準備地域だとか勝手な名前を付けら

れているが、これから先の暮らしがどうなるのか展望の開けない状態はこれからも続く。原

発の汚染で人が離れてしまった地域は野生のイノシシが我が世の春とばかり自分たちの

生息地域にしてしまった。食物連鎖の頂点にいた人がいなくなり不自由していた野生動物

たちの序列は変化し、それが根付いてしまった所に再び人が戻って序列を変えるのは簡

単なことではない。

イノシシ、テン、ハクビシン、ネズミなどが人間世界を乗っ取ってしまった・・・これはこれで大

変なことだと思っていた。ところが畜産で育てていた豚は主を失い野生化して、イノシシとの

交配によりイノブタが大増殖中という衝撃のニュースを観た。

イノシシの子供はウリ坊と呼ばれ茶色と白の筋がある。イノブタの一家の中に黒い色をしたウ

リ坊のような子供や、本来のウリ坊が一緒にいる所が映されていた。母親は黒い豚、父親がイ

ノシシで子供はイノブタということになる。イノブタの繁殖力は強く1度に10頭くらいの子供を産

む。イノシシは平均すれば4~5頭だろうから倍の繁殖力だ。彼らには汚染地域の区割りは何も

ないからどのような核汚染物質を食べて体内に蓄積の有無はどうなっているのかも判らない。

そうしたイノブタの糞も食物連鎖の対象になろう。

これは東電が作った事象だから、東電が捕獲して始末して欲しい。犯した罪やこうした迷惑ごと

を放置したままにして企業面するなと言いたい。野生化した動物や、繁殖し続けている野生動物

の対策を国や県が、どのようにして取ろうとしているのか何も聞こえてこない。このまま放置すれ

ば数が増えすぎて、必ず人が住む地域に追いやられてくる。それから対策をなどと思っていると痛

いしっぺ返しを食うことになる。それにしても罪作りな話だ。


『ドブロヴニク観光Ⅱ』

2014年01月10日 17時49分52秒 | 旅行

 通りの突当りに来るとルジャ広場。大聖堂から船着き場に進み、ここで自由時間となる。

添乗員の提案は

1.城壁に登り市内や海を眺める

2.ケーブルカーで山の頂上から市内や海を一望する

3.観光船で海上から旧市内を眺める

私たちは迷うことなく海上コースを選択した。1コースは城壁の上にあるカフェで楽しむことも

出来るし、結構高いので眺めもいいとのことだが、見た目以上に起伏が激しいらしいから止

め。2コースはケーブルカーの発着間隔が30分だから登って上にいる時間がどれくらいにな

るのか不明の為に×とした。

後から其々に行った人の話だと、何れもそれなりに良かったと言っていた。私たちは観光船

に乗り込み岸を離れ海上からの景色を楽しんだ。ジオラマの街のような景色をカメラに収め

る。こちらから見ると町が要塞で囲まれている様子がよく分かる。この船旅は30分くらいだっ

たから陸に戻り、街中を散策する時間もあった。

まずは、最初に目を付けていた孫たちへの土産Tシャツを買いに、例の少路にある店に向か

う。普通こうしたTシャツ屋には観光客が品定めをしているものなのに、客は私たち二人という

閑散としたもの。孫たちに5枚、私用に1枚と計6枚を買い込んだ。

そこから是非とも行って見たかった青空市場に向かってみる。いつもこうなのかは知らないが

小さな屋台が数軒あるだけの寂しい市場だ。今日は特別少ない?

日差しもポカポカになりそうな陽気に誘われて、屋外のカフェに入りカプチーノを頼む。どうも

外国の人は甘党ばかりのようで砂糖は2本つけられていた。

甘党に変身した私でも1本の砂糖で十分だったというのに・・・。

ここでゆっくりとした時間を過ごし、市場の屋台を眺めてみると、名物らしい乾燥イチジクを吊

るし柿のようにしたものや、ビニール袋に入れたもの、またドライフルーツを売っている。

観光の道中に食べようとドライフルーツの袋詰めを買ってみた。レモンの皮、イチジク、ナッツ

などがミックスされ砂糖を塗(まぶ)したもので食べてみたら中々のgooで以後、旅の友になり残

りは一緒に帰国した。

ここでタイムアップになり集合場所に行き昼食を摂るレストランに向かう。海辺の街だから名物

のイカ料理がメインだった。青空市場でお茶をしてドライフルーツをつまみ食いして間もないか

ら腹は太く、白ワインを頂きながら少しずつイカのフリットを食べたが、食べ切れず残りは袋に

入れてお持ち帰りとした。

 

ドブロヴニク海上観光 1/2

ドブロヴニク海上観光 2/2

ドブロヴニク 街中ぶらり

 


『どか雪』

2014年01月10日 17時48分42秒 | 日記

全国的に強い寒気に襲われて、この辺りも真っ白になってしまった。雪の割には温度は

低く感じず、太陽が出てくると轍のあとから直ぐに解け始めた。立木に覆いかぶさるように

積もった雪質は重そうで、風に揺られるとサラサラと飛ばされるのではなく、ドサッと落ちて

くる。こんな雪質だと車も運転しやすい。粉雪で気温の低い時は車で踏んだ場所は圧雪

になり、次の車が通ると更に固められ、アイスバーンのようになってしまう。こんな状態だと

ちょっとした坂でも途中で止まると、次の発進時にスリップして登らなくなることがある。

幸いなことに今回は、そんな状態ではないようだ。

山小屋に行くと全てが冷え切っており、ストーブで温めるまでは何もする気がしない。

屋根はトタン屋根で断熱材を入れてあるから、雪の冷気は少しは遮断され寒さ防止になっ

ていると思う。ストーブを焚きある程度室温が上がり、暖かい空気が上の方に行き出すと屋

根の雪がずり出してドサッと落ちる。そうなり出すと室温は更に上がり、段々と薄着にならざ

るを得なくなる。今日の仕事は茶箪笥の戸の取付、調整、金具の取付けを行い、加工は一

応完了した。明日からもう少し研磨すること、小さい手直しをしてカシューによる塗装、木工

オイル塗布をそれぞれ2回行って完成となる。

明日、もう1日で塗装できる状態に持って行きたい。


『ドブロヴニク観光Ⅰ』

2014年01月09日 18時05分12秒 | 旅行

朝、目が覚めると今日も天気は良さそう、しかも観光場所はすぐ近くだから比較的ゆっく

りとしたスタートだった。快晴で見事な青空の中、ホテルから旧市内が一望できるベストビ

ューポイントに移動していく。街から少し離れた小高い山の上から見下ろす場所と海上か

ら眺められるところがベストポジション。

ホテルを出ると直ぐ狭い道を登り始め、ほぼ上り詰めると眼下には紺碧の海が見え始め、

旧市内が見える場所に移動する。しかし、このポイントにバスを駐車させるだけの道路幅

がないので、バスを路上で待たせるような形で私たちは下車して写真タイム。少し残念な

アングルなのは手前の松の木が街並みにかかる為、ガイドブックのように撮れなかったこ

とだ。

思い思いに写真やビデオを撮りバスに乗り込み、そのまま直進し1Kmほど先でUターンし

て旧市内の方に戻って行った。

町に戻り昨晩、食事をした城塞を目指す。ここで観光地図が配布され、本日の観光内容

について説明を受ける。ピレ門から城塞に入り昨晩歩いた場所にある有名な所を観光し

て歩く。この街も内戦の時にユーゴ政府軍から攻撃を受けている。内戦以前はともにユー

ゴスラビア社会主義連邦共和国を構成し同じ国民だったのに、民族という名により国の箍

(たが)が外れて憎しみ合う敵同士に変わってしまった。城塞の中は狭い街だが、撃ち込ま

れて被害に遭った場所の地図が作られている。

被害の状態が分かるように印が変えられているが、その数は逃げる場所があるのだろうか

と言うほど多い。この地図は攻撃を加えた方を非難するものではなく、戦を戒めるための物

でもある。人間は戦をしては平和の有り難さを知り、こうして戒めを作りながら、対岸の火事

であったり、糧として活かし切れない悲しい性を持つ生き物のようだ。だから霊長類の頂点

に立っていると自負しているらしいが、それは嘘だ。

ピレ門を降りて行くと噴水がある。この噴水の頭の部分にも砲弾が撃ち込まれ損傷してい

る。そこから昨晩通り抜けたプラッツァ通りが始まる。通りには横に伸びる狭い路地があり

産店や喫茶店のようなものがある。私の頭の中にはサッカーのユニフォームで見たクロア

チアのチェックのマークが強く残っており、Tシャツもあのマークが刷り込まれたものが土産

として店の軒先を埋めていると想像していた。ところが以外にもあのマークは余り幅を効か

していないし季節外れもありTシャツは全く見ることがなかった。

ガイドさんの紹介で唯一、Tシャツを売っている店があることを知る。

             山の上までケーブルカーで登れる

          船着き場、ここから海上観光に出る

 

    頭に乗って願い事をすると叶う、頭は傾斜しており乗れない

         城壁に登ろうしている観光客


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