食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『自己完結』

2014年01月18日 17時57分51秒 | 日記

災害復旧の時、よく自衛隊を例にして現場で衣食住を自分たちの手で賄えることを自己

完結型と例える。別の言い方をすれば自給自足でもあり私の最も憧れとする暮らし方、や

り方である。昨日のようなニュースに接すると私の頭の中には自己完結の言葉が浮かんで

くる。時代が現代に近づく度に便利さが増しいく。それは自分がすべきことに対価を支払っ

て他人にして貰う分業のお蔭でもある。昔は何から何まで自分でやっていたのに分業の幅

は段々ときめ細かくなり、会社の仕事でも一気通貫で一つのことを達成することなどなくな

ってしまった。食の世界でもそうだ。

外食にしても一部の所を除き食材のプレ加工または半加工品を使って料理を提供している。

否、家庭の食材にしてもそうだ。

例えば災害などでこうした加工が出来なくなった場合や、ガス・水道・電気などのインフラの

一部が機能しなくなった時、それに対応できる能力の有無は生きる力のバロメータになる。私

のような昔人間、田舎で適当な不便さの中で生活している者には、そうした能力は十分とは言

えなくても生活できないほど苦労することはない。例えば住宅にしても被害に遭えば取り敢え

ず雨露を凌ぐものは直ぐに作ることが出来る。水は山水、川にあるから何とかなる。食べ物は

畑に何かはあるからそれで凌ぐ。寒ければ焚火をすれば暖はとれる・・・・こんな具合である程

度の自己完結はできる。そこには普段から何でも自分でする癖がついているから、下手でもそ

れなりのことができるのだ。普段から対価を払って人にお願いすることが当然の時代だから自

己完結との距離は広がる一方になる。

私の心配することではないが、都会で暮らす人ほどこうした能力は要求されるのだと思う。

シンガポールを始めとする東南アジアの国々はホーカーや屋台で食事を摂る習慣がある。日

本の外食とは全く異なり恒常的なもので換言すれば自宅で料理をしない。

こうした極端な例もあるが、災害などの異常時に求められる自己完結とは程遠い姿になればな

るほど、苦労をより多く背負い込むことの証でもある。便利さと相反する位置にある自己完結を

少しでも自分の手の内にキープするのか、昨日のような節目の日に考えることも必要である。


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