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竹ちゃんは、そういうきれいな草原へ牛をつれてきて、草を食べさせながら牛の目を見る。その目はまつ毛が長くて、人の目とおなじようにまばたきをするが、その黒目は清らかにすんでいて、見えるかぎりの世界がみんなうつっている。すぐ近くの杉の木も、森のはずれの、土手のむこうの重なりあった丘も、それから山の万年雪もみんなうつる。竹ちゃんはそういう世界をその目の中に見るだけでも、かなしさやおこっているいやな気持ちが消えてしまうのだが、だんだんよく見ようと思ってじぶんの顔を正面から近づけていくと、自分の顔が丸みをおびてそこにうつっているのを見て安心するのである。
串田孫一 『雲のひとりごと』より 金の星社
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時々、少年少女向けの本に手が出る。
著者が、自分の幼少年期を振り返って、その行為が一種のろ過装置になり、ピュアな世界を広げてる場合が多いからだ。
だから、児童文学専門家が物慣れた手つきで書くものより、普段は違った所でものを書いてた人が突然、少年少女を対象にした文章を書こうとした時に珠玉のものが生まれやすい。
抜粋部は、「牛の目にうつった顔」の中の一節。
串田孫一は1915年生まれ。
彼が10才前後の時の話だから、約90年前の日本の農村の中で暮らしてた少年の描写となる。
竹ちゃんは、そんな中で、かなり独立心の強い、個性の強い少年として描かれている。
それゆえの竹ちゃんの、人知れぬ孤独を支えるものが牛の目の中に己を見る事であった。
串田孫一は、あとがきに当たる文章の中で次のように言っている。
今現在の少年少女たちが、今回の震災・津波・原発以降の政治屋、企業屋の振る舞いを見る時の物差しになって欲しいというのは、もはや非行動の老人となった徳さんの願いである。
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大人の方の仲間であるぼくがこんなことをいうのは不名誉なことでもありますが、大人はなかなかわがままで、こまったものです。ただわがままでなまけものならばいいのですが、まじめな顔をして、えらい肩書きをくっつけて、それでまちがったっことをしている人がいくらでもいます。じぶんでそのことを知らないのもずいぶんひどい人ですが、知っていても平気でいる人はもっとひどい人です。
ぼくがこんなことをいったのは、子どもは大人のまねをしながら大きくなっていくからです。まねなんかしないのがいいのですが、それはなかなかできないことですから、まねをする時、もう一度それがいいことなのかわるいことか、考えるだけの人になってください。
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