岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

『かくも甘き果実』モニク・トゥルン著 吉田恭子訳 

2022-06-08 09:31:57 | 

新聞に書評が載っていたのでしょう、図書館で予約をしていました。

なんともあやふやな記憶です。がっかりです。

ということで、この本はどんな内容なのかと読み始めました。

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)を知る3人の女性が八雲と彼を取り巻く風景を語る小説でした。

著者は、1968年にベトナム・サイゴンで生まれ6歳の時に米国に難民移住した女性です。

ニューヨーク在住でこの長編が三作目ということです。非常に高く評価されています。

この著作は2010年~17年まであしかけ8年を費やして書かれたそうです。

その間、彼女は世界中に居を移し(もちろん日本にも)、書き続けたようです。

この長い執筆の旅も興味深いものですが、まずは

『かくも甘き果実』です。

ハーンに関わった3人の女性、それは彼の母親と妻二人です。そしてもう一人彼の伝記を100年以上前に書いた米国女性です。

すべて女性です。彼女たちが語り部となります。すべての男性は客体化されています。

まず、ハーンが生まれた現在のギリシャ・イオニア諸島レフカダ島から始まります。それどこにある島?と思ってしまいます。

アドレア海の入り口といったらいいのでしょうか。

かつてベネチア共和国とトルコ帝国の支配下にあったとありますが、ハーンの父親は英軍の軍医です。

ハーンが生まれた1850年には英軍が駐留していたのです。当時の英国は世界最強の帝国だったのですね。

ここで二人は熱烈な恋をしたと言われています。

地元の名士の娘だったローザ・カシマティとの結婚です。

1852年、母親とともに父の故郷アイルランド・ダブリンに移ります(父親は西インド駐留のため不在)。

ですからハーンは生地の記憶はありません。さらに54年に母親は精神を病んでイオニア諸島に帰ります。

そして離婚。父親の再婚。

1863年フランスの神学校入学、すぐに帰国、ダラム大学セント・カスバーツ・カレッジ入学。66年父親の死に続き大叔母も破産。

ダラム大学セント・カスバーツ・カレッジ入学退学。69年移民船でアメリカニューヨークへ。

ハーンの十代は、私には想像を絶するような困難な時代に思えます。しかし間違いなく彼はそれを肥やしとしました。

続きます。

 

お読みいただきありがとうございました。

💛ウクライナに平和を💛



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