岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

遠く遥かなイタリア

2006-07-06 23:14:08 | 世界のなかま
イタリアがドイツに勝った日、ドイツ人は打ちのめされ、イタリア人は歓喜に酔った。
ドイツの落胆は後半3点を入れられた日本人の落胆と似ているかもしれない。

報道に流れるイタリア人の喜び方を見れば、イタリア人のサッカーに対する思いが
よくわかる。それも2つの完璧なシュートを見せてもらってはタマラナイ。
夜を徹して喜こぶさまが目に浮かぶ。

いよいよ月曜未明、決勝となるわけだが、再びイタリアが歓喜に包まれるとなると
今から24年前になるスペイン大会の優勝以来となる。

日本人がサッカーのワールドカップに注目し始めたのはドーハの悲劇があった
1993年からだから、その10年前となると日本人には馴染みのない大会と
いわざるをえない。
しかし私は1982年のイタリア優勝を鮮明に憶えている。

1982年の初夏、日本からの長旅の末、ローマ空港に降り立った。
私はカメラマンの友人とふたりでタクシーに乗り込み、ローマ市内に向かった。
もう夜になっていた。当時、ローマはとても暗い街だった。
白熱球のオレンジっぽい灯りが点々と灯っていた。
しかしこの夜は様子が違っていた。市民は町の飛び出し大声で叫んでいた。
歓喜の叫びだった。人々はイタリア国旗を持ち、あのフィアット
ティンクエッタの屋根から身体を乗り出して旗を振りながらクラクションと
叫び声を上げていた。
運転手に聞いてもよく意味がわからない。
なんとか古びたホテルに着き、冷房のない部屋に入って一息ついた。
風を入れるために窓を開けると鎧戸の向こうから街の騒ぎの音が聞こえてきた。

私は疲れ果てていたのでベッドに横になってしまったが、、
友人のカメラマンはさすがに職業的好奇心からか、バゲージからカメラを
取り出しフィルムを何本か掴んで部屋から飛び出していった。
そのまま朝まで帰ってこなかった。

次の日の遅い朝食をふたりで食べながら、彼は昨夜の話しを聞かせてくれた。
ホテルの前でイタリア人の騒ぎを撮影していたら、騒いでいるイタリア人に
お前も車に乗れと言われ、ローマ中を夜を通して走り叫んできた。
夜が明ける頃、ホテルまで送ってくれたという。
そしてやっとサッカーの大会でイタリアが勝ったということを知った。

サッカーで勝ったくらいでこんなに喜ぶものか?と思ったものだ。
それから四半世紀、日本人もこのスポーツに引きこまれ、サッカーの喜びを
全世界と共有することとなった。

私の親友は若くしてこの世を後にしてしまい、日本人があの時のイタリア人の
ように熱狂することを見ることはなかった。
イタリアサッカーを見る時はいつも親友の声と笑顔を思い出す。
ふたりでよく笑いながら話したものだ。
「俺たちはあの晩のイタリアの熱狂を知っているぞ!」

遠く遥かなイタリアになってしまったが、
またあのような熱狂がイタリアに舞い降りるのだろうか。
ともに語り合った親友の顔と声を思い出しながら、
決勝戦をみることにしようか。


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