与板の街について事前には父以南の故郷という程度しか知りませんでしたが、
この街はぜひ詳しく知りたい、訪問したいと思っていました。
徳昌寺に続いて父以南の生家があった割元新木場家跡を訪問しました。
割元新木場家と以南についてはこちらからどうぞ。新潟県のホームページです。
なお、以南は京都・桂川で投身自殺したと言われています。
良寛38歳のことでした。なぜ以南が京都に上京していたのか,そして自死に追い込まれたのか。
もう少し学習して書きたいと思います(-_-;)
次に訪れたのは弟由之の隠せいしていた庵の跡です。
こちらも新潟県のホームページからどうぞ。
父以南の家族がいかに与板と関係が深かったかわかりますね。
良寛もたびたびこの街を訪れています。
良寛はいつも由之のことを気にかけていました。
出家したにもかかわらず家族への情の深さは驚くばかりです。
私たちが良寛に寄せる共感は、情愛の深さにもありますね。
この後、与板歴史民俗資料館を訪問しました。
直江兼続の銅像がありました。
与板城主だったとは。
与板歴史民俗資料館は現在の放映中の大河ドラマ『どうする家康』に合わせて特別展示しているそうです。
井伊家関連展示物が多かったわけですね。
直江兼続と妻お船が身近に感じました。
中川清兵衛さんは日本のビールの生みの親です。
では与板を離れます。
良寛さんの旧跡巡りはここまでです。
まだまだ訪問しなくてはならない場所があるのですが、またの機会にいたします。
このあとは長岡市を経て松代(まつだい)に向かいます。
ぜひ訪れたい宿があるのです。
続きます。
お読みいただきありがとうございました。
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