堀川さんの本を読むのは初めてです。
タイトルが気になりました。
「暁の宇品」、この宇品(うじな)という地名には興味を持っていました。
宇品は広島市にある港です。
かつて、陸軍(海軍ではありません)の軍港として栄えていました。
著者の堀川さんは、広島市で生まれ大学も広島、就職先も広島のテレビ局です。
このドキュメンタリーを書く目的には、なぜ他の都市でなく広島に原爆が投下されたかを知りたかったと書いています。
1945年当時、米国では原爆投下の候補都市を選定していました。
何度かの候補地選定を得て広島に決定したのですが広島が最重要都市であることは一貫していたそうです。
(長崎に関しては、もう一つの候補地であった八幡(現在の北九州市)の天候が悪かったため急遽変更されたと、これは私の記憶ですが)
ではなぜ、広島が候補都市となったか。
広島はヒロシマと言われるよりかなり前から国際的にも知られていたはずです。
明治期、日清戦争では大本営が広島城に置かれ、明治天皇が滞在し、帝国議会(衆議院、貴族院)も広島に議場を移しました。
まさに首都だったことがあるのです。
明治天皇の広島滞在は7ヶ月に及んだそうです。
ではなぜ広島に大本営が置かれたか。さらに西に山口県や九州があるのではないかと思いたくなります。
第一の理由は、西に延びてきた鉄道がまだ広島までだったこと。その西には船か道路で行くしかなかったのです。
そして、大型船舶が使える宇品という港があったこと。
(宇品港は先の県令の赴任時に船を使わざるを得なかったが、これが時間がかかり大変なことだったことから大型船が入る港を私財まで投じて整備していた)
その宇品港から大陸へ陸軍の兵士(軍備、食料他すべて)が明治から昭和にかけて送り出されていったわけです。
船舶での輸送ですから海軍の管轄ではないかと思われますが、陸軍の兵士を運搬するのは陸軍の仕事となったのです。
陸軍が長州閥、海軍が薩摩閥ということもあるのでしょう。
しかし、陸軍には一隻の船もありません。
船会社から借用するしかありません。それも船員付きでです。
その業務を担当するのが陸軍運輸部です。
宇品にありました。
時代が大正に移ってくると戦略・戦術も進み、上陸用舟艇が必要になってきます。
鉄の船が必要です(それまでは木製!)。
この上陸用舟艇の開発というのが実は大変なのです。
この時代に大活躍する軍人についても書かれています。
田尻昌次氏(兵庫県豊岡出身の陸軍中将)の詳細な自伝(門外不出)を預かった堀川さん、さすが筆が立ちます。
グイグイと引き込まれていきます。
続けたいと思います。
お読みいただきありがとうございました。
💛ウクライナに平和を💛
見出し画像は、新装なった京都市立美術館です。