今日は仕事はお休みでした。
モハメド・アリが亡くなった…というニュースが世界を駆け巡りました。
15年前、21世紀を迎えるに当たり、あらゆる分野で20世紀ランキングが作られました。
その中の世界的な通信社が行った「20世紀で最も偉大なスポーツ選手は?」で、モハメド・アリが選ばれたのを覚えています。
実際、1960年代から70年代に掛けてのモハメド・アリの実績と影響力は、スポーツ選手の範疇を超えていたと思います。
私がリアルタイムで記憶している最初のアリは、1970年代の初頭、やたら早口で捲し立てる懲役帰りの風変わりなボクサー…と言うイメージでした。
その後、宿敵ジョー・フレイジャーをの世界タイトルに挑戦して負けたときは(本当は大したことない選手なのかな)と感じました。
フレイジャーを破って世界王者に就いたのが、圧倒的強打のジョージ・フォアマンでした。
フォアマンはノンタイトル戦を日本でやり、1ラウンドで文字通り相手をノックアウトしたのがテレビで生中継されました。
そのもの凄さに、観ていた私もノックアウトされてしまいました。
だから1974年の秋、アリがフォアマンに挑戦すると知ったときは、「絶対勝てるわけないよ」と思っていました。
当時私は市川市から三鷹まで電車通学する中学三年生でしたが、帰りの電車のホームで『アリ、勝利!』と言う夕刊紙の大見出しを見たとき、「まさか!」と思いました。
あの「キンシャサの奇跡」が、後年のアリのカリスマ的評価を決定したのだと思います。
それから二年後、現役のヘビー級チャンピョンのアリがアントニオ猪木と戦ったときも本当に驚きました。
確か昼間の興行で、私は高校から急いで帰って中継を観た記憶がありますから、土曜だったのでしょうか。
あの一戦は未だに色んな語られ方をしますが、少なくとも「偉大なアメリカのスーパースター」モハメド・アリが、日本人にとってより身近な存在になったとは思います。
それから二十年後、アトランタオリンピック開会式の聖火点灯で、震える手と硬い表情のアリを久しぶりに見ました。
その時の私には、パーキンソン病に関する知識は全くありませんでしたが、「あれだけ強烈なパンチを浴びたからかなア」と、見てはいけないものを見た気がしました。
ここ数年の私は、頭部外傷による高次脳機能障害や各種の認知症状に苦しんでいる高齢者を身近に見ています。
さすがに今はプロボクシングでも選手の安全管理意識が高まり、アリの時代のように「打撃で相手を昏倒させることを目的にしているショー」と言う意識ではなくなってきているようです。
ただ私の中では、ボクシングに限らず、相手を痛めつけることが目的の格闘技興行は見る気が失せてしまいました。
なぜ若い頃はあんなに汗臭く血なまぐさい興行に熱狂したのだろう?と不思議なくらいです。
それは、高齢化と女性の進出が進む現在の「先進国」に共通している感性ではないか…という気もします。
ベトナム戦争徴兵拒否による王者剥奪や人種差別への抗議などがアリの注目度を高めましたのは確かでしょう。
でも、知性を感じさせる数々の発言や、ふとしたときの愛嬌ある表情が、彼が世界的に広く愛された本当の理由だと思います。
SNSの普及などで人々の興味が細分化している現在、一人のスポーツ選手の言動がこれほど時代のシンボルになることはないでしょう。
そういう意味で、モハメド・アリは、ビートルズと同じく20世紀後半と言う時代が生んだ最後のスーパースターでした。
モハメド・アリが亡くなった…というニュースが世界を駆け巡りました。
15年前、21世紀を迎えるに当たり、あらゆる分野で20世紀ランキングが作られました。
その中の世界的な通信社が行った「20世紀で最も偉大なスポーツ選手は?」で、モハメド・アリが選ばれたのを覚えています。
実際、1960年代から70年代に掛けてのモハメド・アリの実績と影響力は、スポーツ選手の範疇を超えていたと思います。
私がリアルタイムで記憶している最初のアリは、1970年代の初頭、やたら早口で捲し立てる懲役帰りの風変わりなボクサー…と言うイメージでした。
その後、宿敵ジョー・フレイジャーをの世界タイトルに挑戦して負けたときは(本当は大したことない選手なのかな)と感じました。
フレイジャーを破って世界王者に就いたのが、圧倒的強打のジョージ・フォアマンでした。
フォアマンはノンタイトル戦を日本でやり、1ラウンドで文字通り相手をノックアウトしたのがテレビで生中継されました。
そのもの凄さに、観ていた私もノックアウトされてしまいました。
だから1974年の秋、アリがフォアマンに挑戦すると知ったときは、「絶対勝てるわけないよ」と思っていました。
当時私は市川市から三鷹まで電車通学する中学三年生でしたが、帰りの電車のホームで『アリ、勝利!』と言う夕刊紙の大見出しを見たとき、「まさか!」と思いました。
あの「キンシャサの奇跡」が、後年のアリのカリスマ的評価を決定したのだと思います。
それから二年後、現役のヘビー級チャンピョンのアリがアントニオ猪木と戦ったときも本当に驚きました。
確か昼間の興行で、私は高校から急いで帰って中継を観た記憶がありますから、土曜だったのでしょうか。
あの一戦は未だに色んな語られ方をしますが、少なくとも「偉大なアメリカのスーパースター」モハメド・アリが、日本人にとってより身近な存在になったとは思います。
それから二十年後、アトランタオリンピック開会式の聖火点灯で、震える手と硬い表情のアリを久しぶりに見ました。
その時の私には、パーキンソン病に関する知識は全くありませんでしたが、「あれだけ強烈なパンチを浴びたからかなア」と、見てはいけないものを見た気がしました。
ここ数年の私は、頭部外傷による高次脳機能障害や各種の認知症状に苦しんでいる高齢者を身近に見ています。
さすがに今はプロボクシングでも選手の安全管理意識が高まり、アリの時代のように「打撃で相手を昏倒させることを目的にしているショー」と言う意識ではなくなってきているようです。
ただ私の中では、ボクシングに限らず、相手を痛めつけることが目的の格闘技興行は見る気が失せてしまいました。
なぜ若い頃はあんなに汗臭く血なまぐさい興行に熱狂したのだろう?と不思議なくらいです。
それは、高齢化と女性の進出が進む現在の「先進国」に共通している感性ではないか…という気もします。
ベトナム戦争徴兵拒否による王者剥奪や人種差別への抗議などがアリの注目度を高めましたのは確かでしょう。
でも、知性を感じさせる数々の発言や、ふとしたときの愛嬌ある表情が、彼が世界的に広く愛された本当の理由だと思います。
SNSの普及などで人々の興味が細分化している現在、一人のスポーツ選手の言動がこれほど時代のシンボルになることはないでしょう。
そういう意味で、モハメド・アリは、ビートルズと同じく20世紀後半と言う時代が生んだ最後のスーパースターでした。