ほとほと通信

89歳の母と二人暮らしの61歳男性の日記。老人ホームでケアマネジャーをしています。

最深の名作

2016-04-02 | 映画
今日は仕事はお休みでした。


洗濯、買い物、スポーツクラブ、自炊…と今日も典型的な休日を過ごしました。
昼は高菜チャーハンを作りました。
材料は、高菜、豚バラ肉、長ネギ、卵、ごはんです。
ごま油で炒めるのがポイントかも知れません。
なかなか美味しく、これからの定番メニューのひとつになりそうです。


午後からは、Yahoo!の無料動画で配信中のフェリーニの『道』を観ました。
たぶん7、8回目くらいの鑑賞でしょうが、とても感銘を受けました。
若い時に観た名作は、多分に「名作バイアス」が掛っていて、後年観ると「こんなんだったけ?」と思うことも多いのですが、『道』はいつ観ても強い感銘を受けます。

以前にも書きましたが、私が初めてこの作品に出逢ったのが中学二年生になる前の春休みでした。
それまでも映画は好きで、特に『荒野の七人』や『大脱走』と言った1960年代のアメリカ活劇を好んでいました。
でも『道』は、それらとは全く違う世界で、私はしばらく呆然としていました。
それは感動と言うより、ほとんど性的な昂奮に近いものでした。


新たに気づいたことがいくつかありました。
ザンパノは、思っていたほど粗野な男ではない。
キ印を殴り殺してしまったのは彼にとっては全くの手違いで、哀れなほど慌てています。
病気になったジェルソミーナを棄てて逃げたのは悪いけれど、毛布を掛けてお金を預け、彼女の大切なトランペットを枕元に置いて行くのですから、やはりジェルソミーナの無垢を愛していたのでしょう。
無学で酒癖の悪い大男だけれど、彼はああやって生きるしか術がなかったのだな…と思わせます。

かえって「キ印」の方がやっかいな男だ…と気づきました。
いわゆる「空気を読めない」言動をする辺りは、今でいえば「大人のADHD」でしょうか。
それでいて寂しがりやでプライドも強いから、そばにいたらさぞ大変なタイプだなア…と思いました。

ジェルソミーナは「振り回されているだけの無垢で哀れな存在」とずっと思い込んでいました。
でも彼女は、キ印から「小さな石ころにも価値がある」と言われて以来、かなり能動的にザンパノに働きかけていました。
「私が死んだら寂しい?」と聞いたり「小さな石ころでも良いから一緒に生活しよう」と言ってみたり。
あの衝撃的な事件で強いPTSDにならなければ、ザンパノでなくても、誰かと家庭を築けていたかも知れません。


ザンパノもキ印も、とうてい一般的な家庭を持てるようなタイプではありません。
言わば、生来の甲斐性なしです。
少年だった私は、彼らから自分に通じる「何か」を感じ取ったに違いありません。
ザンパノを受け入れようとするジェルソミーナや傷付いた彼女を救おうとする修道女など、『道』全編から強い母性が感じられます。
欠損ある男と包み込む母性…と言う構図が、四十数年前の私の「昂奮」の理由のひとつだったのでしょうか。

『道』に関しては、まだまだ語りたいことがあります。
でも、ゆっくりと掘り下げないと、本当に心の深いところで感じていることは書けないと思います。
でもそれは、この作品を観ていない人には興味のないことでしょう。


どうも、ご退屈さまでした。