ほとほと通信

89歳の母と二人暮らしの61歳男性の日記。老人ホームでケアマネジャーをしています。

加齢の功徳

2016-04-24 | ほとほと日記
今日も仕事はお休みでした。


昨夜、月に一度の友人たちとの食事会がありました。
ありがたいことに、皆、このブログを読んでくれています。
そこで出た感想で、「休みは本当に判を押したような生活をしていますねエ」と言うのがありました。
まことに、その通りなのであります。


朝起きたら洗濯をし、買い物をし、スポーツクラブに行って、昼過ぎに帰って来るとヒルヨル兼用の食事を作る。
そして、昼食後にテレビかYoutubeを観ている間に眠たくなり、フトンに横になると、いつの間にか本当に眠ってしまう。
今日は日曜なので、洗濯と買い物の間に「ミサ参列」が入る「日曜休みバージョン」でしたが、これはこれで日曜休日の定番です。
でも、負け惜しみでも何でもなく、今は「なんでもない休日」を送っていると、幸せだなア…と感じるのです。


四十代の後半から五十歳頃に掛けての私は、独りで休日を過ごすことに孤独感が強くありました。
当時、休日の昼十二時を過ぎるとすぐに焼酎のホッピー割りを飲みはじめ、ずっと夜まで飲み続けていました。
今では考えられませんが、焼酎のボトルを二、三日に一本のペースで空けていました。
その頃は、休みのたびに映画のDVDを借りてきて、少なくとも二本は観て、しばしば号泣していました。

今から考えると、軽度のアルコール依存症で、それに伴う慢性的な抑うつ状態だったのだと思います。
その生活が直接のキッカケだったわけではありませんが、私は五年半前に仕事の上で大きな過失を犯し、その後人生でも最悪の二年近くを過ごしました。


もっとも、四十代後半の自分をあたら否定するわけではありません。
当時は落語や演劇などを観に行く行動性もあったし、仕事帰りに職場の同僚と飲みに行って仕事の議論もしていました。
要するに、まだ若かったのです。
今の私は、深酒もしなければ、映画を観て号泣することもまずありませんが、それは「少し利口になった」と言うこともあるけれど、端的に言って「齢をとった」のだと思います。
特に休日は文字通り「心身とも休む日」にしないと、保たないようになりました。


でも、地味な休日をありがたく感じられるようになり、齢をとるのも悪いことばかりではない…と思うのです。