ほとほと通信

89歳の母と二人暮らしの61歳男性の日記。老人ホームでケアマネジャーをしています。

物語の功罪

2014-03-14 | ほとほと日記
今日は仕事はお休みでした。

ニュースで、世界的に注目を浴びた画期的な再生細胞の研究に疑義があったとして、論文を取り下げる意向…と伝えられていました。
若い日本人女性が研究チームのリーダーだったことで、ワイドショーなどでもたくさん取り上げられてました。
私も、研究のどこが画期的なのかはよく解らないまま、「あんなに普通っぽいお嬢さんが歴史的な研究をしたなんて」と感心していましたから、ここにきての推移にはかなりガッカリしています。

また、耳が全く聞こえないのに感動的な交響曲を創作するとして広く人気があった作曲者が、実は作曲してないどころか耳も聞こえていたのではないか…という騒動も、このところ世間を賑わせています。
私は、この騒動が起こるまで、かの作曲者(?)のことを全く知りませんでした。
事件が発覚してから「長髪、ひげ、杖」という彼の動画を初めて観たときは、正直言って「いかにもウサン臭げなのに、なぜみんなだまされたのだろう?」と、感じました。
でもそれは、彼がスターになるまでの物語に私が参加してなかったからかも知れません。

もちろんこれらの件で最も非難されるべきは、偽りの行為をした当事者です。
でも、私たち「受け手」の側の、「少しでも感動的なドラマに触れたい」という潜在的な欲求が、こういう事件を引き起こす下地になっている側面もあるのでは…と思います。

私の働く高齢者介護業界では、「事例発表研究会」というのが盛んにおこなわれています。
現場の介護スタッフが中心になって、「皆でこういう介護をしたらこんな成果が上がった」ということを発表しあうのです。
私のいる会社でも毎年発表会があって、全ホームが競い合っています。
すると事例を選ぶ段階から、「感動的なケースはないか」という視点がどうしても入ってしまいます。
競争的な場面では「ドラマチックな展開」を提示したほうが強い…という感性が、体験的に私たちに身についてしまっているのです。

数年前、高齢者介護最大手のC社がスキャンダルで潰されましたが、C社は全国的に派手な事例発表会をやることで知られていました。
C社の様々なスキャンダルが暴かれる中、「事例発表会用に架空の事例研究が多くの現場で創作されていた」という実態も明らかにされました。
同じ業界にいるものとして、「あれだけ現場を煽ればそうなるよなア」というのが素直な感想でした。

もちろん、人間が生きるに当たって物語は必要なものです。
私はクリスチャンですが、聖書のもつ強い物語性がなければ洗礼を受ける気にならなかったでしょう。
もうすぐお彼岸ですが、定期的に先祖の霊と交わる…という物語も、人の心にどれだけ安定をもたらしているかわかりません。
そもそも倫理や公共道徳、果ては家族の絆に至るまで、物語性がなければ保つことはできないでしょう。
ただ、あまりに貪欲にあらゆる場面で「感動的なドラマ」ばかり欲していると、色んな落とし穴があるのだろうなアと思います。

日常は砂を噛むようなことばかりですが、それはそういうものと観念し、日常を離れたときには架空のドラマで癒され、それを糧にまた日々の労苦を凌ぐ…とわきまえたほうが良いように思います。