ほとほと通信

89歳の母と二人暮らしの61歳男性の日記。老人ホームでケアマネジャーをしています。

3月11日

2014-03-11 | ほとほと日記
3年前の3月11日の昼下がり、私は職場にいました。

午後2時過ぎから華道のレクリエーションがありました。
始まった2時半過ぎから、私は会場の食堂ホールで見守りをしていました。
強い横揺れが始まり、それがいっこうに収まらないことに驚きました。
レクリエーションに参加していた数名のご入居者は、パニックになることはありませんでした。
全員に軽度とは言え認知症があるのと、ホールに職員が何人もいたことで安心されたのかも知れません。
建物は無論のこと物品にもほぼ被害がなく、何かが倒れて音を立てるようなことがありませんでした。

その地震の規模が尋常でないことが次第に分かってきたのは、状況を知るために事務所のモニターカメラをテレビニュースに切り替えた、その報道からでした。
それと、幾度も繰り返す大きな余震が、かつて経験したことのない災禍が来たらしい…と、不気味に教えてくれました。
やがて公共交通機関にも大きな障害が出ていることがわかり、終業時間になると何人もがいっしょになって歩いて帰りました。
中には一時間半もかけて電車通勤している人もいて、「いったい彼は何時ころに帰れるのだろう?」と、私は気が遠くなりそうでした。

私はいつものように自転車で帰り、途中でそのころよく通っていたマッサージ院に寄りました。
家に帰って夜のテレビニュースを観て、改めて東北地方で「そら恐ろしいこと」起きていることを知りました。
津波が全てをさらっていくさまを写した映像は、あまりにすさまじすぎて現実のこととは思えませんでした。

地震の二か月半ほど前、私は仕事で大きなミスをして、職場で事実上失職している状態でした。
その強いショックで、いつも頭がボーッとしていました。
そんな状態でしたから、あの地震そのものにはあまり強いショックは受けなかったように思います。
ただ、その後に続いた計画停電や物不足、テレビのCM自粛などと我が身の不振と相まって、深い終末感に囚われていきました。

あの日を境に、色んなことが変わったように思いますが、一番感じることは「権威が失墜した」ということです。
政府も、中央官僚も、国策企業も、専門家も、マスコミも、皆、自分のためにその場しのぎを言っていたんだ。出来合いの権威に、何一つ本当に信じられるものはないんだ。

今日で、あの日から3年。
今は、私の調子がかなり上向いたこともあって、「絶望していても仕方がない」という気持ちがあります。
信じられる人たちと繋がりながら、諦めずに一日ずつ生きていくしかありません。
被災地の人たちに私は何一つ有効なことをしてこなかったし、むしろ励まされることが多かったけれど、「繋がること」と言うか弱いアピールだけは、少しは役立つかも知れない…と思っています。