小彼岸桜のズクなし写真ブログ

デジタタルカメラで小旅行や近場の被写体を自分流で写し止めたものを不定期に更新していきます。

菩提寺桂泉院引きずられた梵鐘 其の3 最終回(2021年01月30日 土 ☀ OM-DM1MarkⅢ)

2021年02月10日 | ED12-100mmF4 IS PRO

                                 菩提寺桂泉院引きずられた梵鐘 其の3 最終回 です。

 

           1582年(天正10年)3月、既に猛将武田信玄は亡くなっています。

               当時勢力の拡大を狙っていた織田信長嫡男織田信忠に高遠攻略を指示。

               高遠城の城主、武田勝頼その後勝頼が武田家の後継者として呼び戻され仁科五郎盛信が城主となった。

               (信玄は生存中諏訪を滅ぼし、城主諏訪頼重を自害させ、残った諏訪御寮人を側室にした。勝頼は二人の間の子)

               この異母兄弟の仁科五郎盛信が義兄の留守を預かっていた。織田軍は5万の大軍。高遠は数千の軍隊。

               織田信忠の降参の要請を蹴り数万の兵に僅か一日も持たず家臣は討ち死にした。

               

 

                                              この頃織田軍は徳川軍と提携してました。

                                  仁科盛信大奮闘するも最後は自害しか無く腹を搔っ捌いて自分の内臓を掴み出し

                                  天井めがけて投げつけて亡くなった。盛信の内臓の血が桜の花びらに飛び散った。

                                  という話を小さい時に聞いたことが有ります。

                                  其の為に高遠の桜が血の色をしている程赤いといわれている・・・

                          盛信の位牌殿。

                                  

 

               高遠城落城から時を置かず、甲斐の本国にいた武田勝頼織田信忠にせめられ、戦国大名武田氏は滅亡した。

           あの本能寺の変は、武田氏の滅亡から3カ月後に起きています。

               

 

                信虎は信玄の父。

               

 

               桂(かつら)の水。

               

 

 

               

 

               現在は冬も使用出来るように水道の蛇口を付けている。

               

 

                                野生動物の足跡。

                                

 

               庫裡の台所。

               

 

                               山門へ通ずる脇道。

                               

 

               桂泉院眼下のダム下の白山橋(はくさんきょう)。レンズを最望遠にして。

               

 

               中央アルプス。現在の方が雪が凄いが。

               

 

               最終画像。

               

 

                                 菩提寺桂泉院引きずられた梵鐘 其の3 最終回でした。     

 

 

     

 

 

                

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