いつの時代にも、「見えないもの」を伝える人がいる。「霊能者」と呼ばれたり、「魔術師」と呼ばれたりする人々だ。そうした人々の中には、英雄の「助言者」「補佐役」「参謀」として陰に陽に支え、国を正しい方向へと導く役割を担った者も多い。

 

本誌8月号の記事「空海と魔術師マーリン」では、東洋と西洋の最高峰の霊能者を比較し、その偉大さを明らかにした。

 

大川隆法・幸福の科学総裁は2020年、ブリテン(現在のイギリス)の「アーサー王伝説」に登場する魔術師マーリンの霊言を収録し、冒頭で「日本で言えば、弘法大師空海ぐらいの感じでしょうか。そのくらいの方に当たるのではないかと思います」と評し、その実在を明らかにした(【関連書籍】『魔法と呪術の可能性とは何か』)。

 

また、「マーリンの生没年は不詳なのですが、おそらくは日本の平安初期の密教僧・弘法大師空海、あるいは平安期に流行った陰陽師等と、そう大きく時期は変わらないころです。日本でも、そうした魔法使い、魔術師に当たる人が活躍していましたけれども、イギリスでも同じだったということです。(中略)アーサー王のときの補佐役として活躍した魔法使いなのではないかと思います」と指摘した。

 

今回のWeb版では、「アーサー王伝説」を見ながら、本誌記事で伝えきれなかったマーリンの「念い」に迫る。

 

 

欲がなく、無心で剣を抜いた15歳の少年アーサーが、次の王となった

アーサー王伝説で最も有名な、誰も抜けない剣、宝剣「エクスカリバー」に関する物語について、15世紀にトマス・マロリーが記した『アーサー王の死』を中心に見ていきたい。

 

もともとアーサーは、ブリテンの王である父ウーサー・ペンドラゴンの不義の子として生まれた。生まれてすぐ、マーリンを通じて、忠誠心篤い騎士エクトルの家で育てられていたため、アーサーの行方は、ほとんどの者が知らなかった。そうした中、父ウーサーは、自身が病没する前に、後継者としてアーサーを指名する。

 

この頃、マーリンが「神の徴(しるし)」の出現を予言。その日時はクリスマスミサの後であり、多くの臣下が王都に集まる時期であった。ミサの後、教会を出た人々は、大石に剣が刺さっている光景を目にする。近寄ると、石のそばに金色の文字で「この剣を抜く者が王となる」と記されていた。皆が試そうとしても、剣はびくともしない。

 

王都がこの話題で持ちきりになっていた頃、アーサーの養育を託されていた騎士エクトルは、身の回りの世話役として15歳のアーサーを連れて都を訪れていた。その時、エクトルの息子ケイが馬上槍試合に用いる剣がなかったため、アーサーは剣を探している最中で、夜、墓地の主聖壇の大石に刺さっていた剣を見つけ、引き抜いてしまう。

 

この時、アーサーはそれが「神の徴」の剣だとも、自分がウーサー王の息子であることも知らない。