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中国系ハッカーがカンボジア選挙で野党を攻撃 中国寄りの独裁政権を支援する狙いか

2018年07月19日 06時25分06秒 | 日記

これだけ知っトクNews(7月19日版) 中国系ハッカーがカンボジア選挙で野党を攻撃 中国寄りの独裁政権を支援する狙いか

 

「これさえ知っていれば、世の中の流れをつかめる」というニュースを、編集部がピックアップ。ひと言コメントしてお送りします。新聞の代わりとして、ニュースチェックの習慣づくりに、ご活用下さい。

 

  • (1) 中国系ハッカーがカンボジア選挙で野党を攻撃 中国寄りの独裁政権を支援する狙いか
  • (2) EUがグーグルに5700億円の制裁金 「新たな独裁者」の市場独占にメスを

 


中国民主化のモデルとなる「ソ連を倒したローマ教皇」

2018年07月19日 06時23分00秒 | 日記

中国民主化のモデルとなる「ソ連を倒したローマ教皇」

中国民主化のモデルとなる「ソ連を倒したローマ教皇」

 
写真:giulio napolitano / Shutterstock.com

 

《本記事のポイント》

  • ポーランドの民主化革命の中心人物ヨハネ・パウロ2世が語る自由とは?
  • 教皇の1979年のポーランド訪問がもたらした2つのもの
  • 人々の心に教会を建てた教皇

 

ノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏の1周忌を前にして、中国政府は、妻・劉霞氏を解放しました。中国の共産党機関紙、人民日報系の環球時報は、欧米諸国は劉霞氏が「人権闘志」となるよう迫ってはならないと釘を刺しています。

 

劉暁波氏が昨年7月13日に肝臓がんで亡くなった後、その遺体は「家族の希望」により、人々が死を悼む間もなく火葬され、遺灰も海にまかれたことになっています。このため、人々は劉氏に哀悼の意をささげる際、海に向かって祈るようになりました。

 

なぜ巨大な軍や警察組織を持つ中国政府が、何の権力もない、それも既に亡くなっている劉氏の痕跡を消すことに躍起になっているのでしょうか。それは、「思想による革命」が、時に武力をも超える力を持つことを歴史が示しているからです。

 

冷戦を終わらせ、ソ連を崩壊させた要因は様々にありますが、最も大きなものの一つは、東欧における相次ぐ民主化革命です。その発火点となったのが1989年に起きたポーランド革命です。そして、その仕掛け人とも言える人物が、第264代ローマ教皇であるヨハネ・パウロ2世でした。

 

 

革命の中心人物となったヨハネ・パウロ2世の思想とは

ポーランド革命の灯は、1979年の教皇のポーランド巡錫によって点火されたのです。

 

ヨハネ・パウロ2世は、1920年にポーランドに生を受けます。本名はカロル・ヴォイティワ。青年期を過ごした母国ポーランドはナチスに占領されます。

 

ナチス占領下のポーランドでは、約半数の神父が強制収容所に送られ、5人に1人が殺害されるほどの宗教弾圧が行われています。有名なアウシュビッツもポーランドにあり、ドイツ国内より多くのユダヤ人が虐殺されました。

 

このナチスの支配下を生き延びた経験から、ヴォイティワ氏は「ポーランドの解放はキリストの門(信仰)のみにある」と確信し、1942年に聖職を召命として受け入れ、神学校に入学します。

 

その後ポーランドは、第二次大戦中のヤルタ会談によってソ連に割譲され、共産圏に入ります。親ソ政権下でも宗教弾圧は続き、現代の中国と同様に、教会から十字架が撤去され、教会・修道院も爆破されるなど、信仰心を根絶やしにする試みが行われました。

 

2つの全体主義の経験を通して、ヴォイティワ氏の良心の自由・信教の自由についての考えは形づくられていきます。

 

そしてヴォイティワ氏は1978年、教皇に選出されます。イタリア以外から教皇が選ばれるのは、実に455年ぶりで、「鉄のカーテン」の向こう側からの選出は大いに話題になりました。

 

教皇に就任する前の1976年、ヴォイティワ氏は、こう述べています。

 

「人間の飢えとは、本物の自由への飢えに他なりません」

「それは人間の本質的な特徴であり、人間の尊厳の源にあるものです」

 

それゆえ、「すべての人間が神の賜物であり、機械のようにあつかわれてはならない」という信念を持っていました。

 

また、信仰は人間にとって最も高貴な表現だと信じていました。「自分たちが誰であるか」を教えてくれるのが信仰であり、信教の自由がなければ、人は、自分が誰であるかをついぞ知ることができないからです。

 

 

1979年6月のポーランド訪問がもたらしたもの

(1) ポーランド国民が「神は我の側にある」と気づいた

ヴォイティワ、改めヨハネ・パウロ2世は1979年6月、母国ポーランドを訪問。数百万の人々が公開ミサの演説を聞くために集まりました。全9日間で、人口の約3分の1にあたる1200万の人々が教皇を直接目にしたといいます。

 

この凱旋訪問を警戒し、6万7千人の警察と2万人の秘密警察が巡錫を監視しました。コード・ネームは、サマー1979年。

 

しかし、彼らの監視は無力でした。

 

Let your Spirit descend. 

Let your Spirit descend 

and renew the face of the earth, 

the face of this land. 

Amen. 

「聖霊のもたらせんことを。

 聖霊がもたらされんことを。

 この地を新たにしてください」

 

教皇がこう説教すると、人々は「私たちは神を欲しています(We want God)」という3語のシンプルな祈りを唱え始め、その声が広場を埋め尽くしました。

 

イギリスの歴史家のティモシー・ガートン・アッシュ氏は、この時の様子をこう伝えています。

 

「テレビ報道の検閲を行う監査官を除いて、9日間にわたり、ポーランドは実質上、存在をやめていた。誰もが、ポーランドは共産主義の国ではなく、共産党が支配する国家にすぎないと知ったのである」

 

要するに、ポーランド国民は、共産党に支配されているだけで、自分たちは共産主義者であったことは一度もなかったと"我に返った"のです。

 

ポーランド革命の中心となった労働組合「連帯」のリーダーも、当時を回想し、こう述べています。

 

「この日、私たちは強くなり、神に守られ安全であると感じました」

 

「神は自分たちの側にいる」という感覚が、ポーランドの人々に与えられた巡錫となりました。

 

 

(2) 信仰心が知識人と労働者を一つにした

ポーランドにおける1970年代の反乱は、労働者階級と知識人階級とが分裂して鎮圧されています。しかしヨハネ・パウロ2世の巡錫はこの分断を統合しました。

 

1980年8月ポーランドのグダニスク造船所における労働者のストライキをきっかけに、カトリック教会を基盤とした労働組合「連帯」(ソリダルノスチ)が結成されました。

 

ヨハネ・パウロ2世の研究に詳しい政治評論家のジョージ・ウァイジェル氏は、「人間は、自由のために創られたのだ」という確信が2つの階級を統合し、国家から完全に独立した自主管理組合の設立につながったと述べています。

 

現代史家は、「連帯」は単に労働者の運動だとみなしがちです。しかし、レーニン造船所のストの参加者は、教皇の肖像をかかげ、毎日礼拝に参加していました。讃美歌と抵抗歌とを一緒に歌っていたのです。連帯が合法的であった16カ月間に1000万人がストやデモに参加しています。

 

そして彼らは、「私たちは、(教育や政治など)生活のあらゆる面で神を欲している!」と叫ぶようになっていきました。

 

実は、ヨハネ・パウロ2世は、教皇に就任する前に、ノバフタの町に、10年かけて教会を建てるというプロジェクトを主導しています。教皇就任後、ポーランドを始めとして、東欧の人々の心に教会を建てることに成功しました。

 

これが東欧革命、ひいてはソ連の崩壊につながったのです。

 

歴史家のティモシー・ガートン・アッシュ氏は、「ポーランド出身の教皇がいなかったら1980年代のポーランド独立自主管理労働組合連帯の革命はなかっただろう。彼らがいなければ、ゴルバチョフの東ヨーロッパ政策に劇的な変化は見られなかっただろうし、そのような変化がなければ、1989年のビロード革命(チェコスロバキアで共産主義を倒した民主化革命)もなかっただろう」と述べています。

 

こうした革命の波と前後して、1977年チェコで、民主活動家によって、「77憲章」が起草されました。劉暁波氏が、信教、言論、結社、集会の自由、私有財産の保護などを謳った「08憲章」は、まさにそれが基になっています。

 

武力を持たぬ思想家が革命につながる──。その可能性が今、中国にも存在するのです。

(長華子)

 

【関連書籍】

幸福の科学出版 『赤い皇帝 スターリンの霊言』 大川隆法著

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1494

 

【関連記事】

2016年7月号 香港ルポ 天安門事件から27年 中国の民主化に挑む人々

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2018年6月号 平和ムードの裏の人権弾圧 神を信じると「罪」になる国 Part1

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南アフリカのマンデラ生誕100周年 人種差別撤廃と民主化に生涯を捧げた闘いの人生

2018年07月19日 06時21分54秒 | 日記

南アフリカのマンデラ生誕100周年 人種差別撤廃と民主化に生涯を捧げた闘いの人生

南アフリカのマンデラ生誕100周年 人種差別撤廃と民主化に生涯を捧げた闘いの人生

 
写真:Alessia Pierdomenico / Shutterstock.com

 

南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃に尽力し、同国初の全人種が参加した選挙で大統領に選ばれた故ネルソン・マンデラ氏の生誕から18日で100年を迎えました。

 

民族の和解と融合、そして自由をもたらしたマンデラ氏の功績を振り返り、未来につなげるために、各地で「生誕100年」イベントが企画されました。

 

マンデラ氏は、若くして反アパルトヘイト運動に身を投じ、カリスマリーダーとして民主化運動を指揮。1990年、46歳の時に国家反逆罪で終身刑の判決を受け、27年間を獄中で過ごし、解放されたときは72歳でした。

 

1994年、全人種が参加した初の選挙でアフリカ民族会議(ANC)を率いて圧勝。ノーベル平和賞を受賞し、大統領に就任。2013年に95歳の生涯を閉じました。

 

 

黒人と白人の対立を溶かした「寛容の精神」

マンデラ氏は、今も世界中から尊敬を集めています。その大きな理由として、その「愛と寛容の精神」が挙げられます。

 

1990年にマンデラ氏が釈放された時、彼を支持していた黒人は歓喜しましたが、多くの白人は復讐を恐れました。

 

しかしマンデラ氏は、釈放翌日の記者会見で、「白人も同じ南アフリカ人だ。彼らが身の危険を感じるような事態は望んでいない。この国に対する彼らの貢献に、私たちは感謝していることを知ってほしい」と述べました。

 

自分を投獄した白人たちに復讐するのではなく、彼らの罪を許す――。こうした愛と寛容の精神が、それまで根深い人種差別の考え方や、白人と黒人の憎しみ合いを溶かしていきました。

 

 

「魂そのものには色がありません」

2013年12月6日、マンデラ氏が亡くなってから6時間後、氏の霊が大川隆法・幸福の科学総裁のもとを訪れ、公開霊言が収録されました。マンデラ氏の霊は、「人種差別には意味がない」理由について、こんなメッセージを残しています。

 

神が魂を創り、多くの魂が地上に送り込まれました。ある人は白人として生まれ、ある人は黄色人種として生まれ、ある人は黒人として生まれていますが、彼らは根本において平等なのです。(中略) 魂そのものには色がありません。魂は透明です。色はありません。魂とは考えるエネルギーであり、活動するエネルギーにほかなりません。これが宗教の本当のポイントです。これが平等と自由の、本当のポイントなのです

 

マンデラ氏の霊はまた、日本人について、「あなたがたは、いい人たちです。神によって啓蒙され、神の推薦を受けた、非常に特別な存在です。非常に特別な、神の民です」と述べた上で、次のように語りました。

 

あなたがたの国には差別はありません。白人に対して敬意を払っていますが、黒人や黄色人種やその他の国の人たちを見下すようなことはしません。また、あなたがたは、一生懸命に働けば大きな成功を収めることができるということを証明しました。それは、肌の色によって決まることではなく、個人の熱意や勤勉な働きなどによって決まるのです。日本は、世界の真なる希望だと思います

 

生前のマンデラ氏も、あるインタビューで「日本をモデルにして南アフリカに虹の国(*)をつくりたい。日本の奇跡とも言うべき成功は、私たちに大きな励みと力を与えてくれた」と、日本への思いについて語っていました。

(*)あらゆる人種が調和して平和的に生きる国家のこと。

 

 

アフリカの問題解決には「教育」が必要

マンデラ氏の霊は、アフリカの貧困などの問題を解決するために何が必要かという質問に対して、「教育です」と即答。その後、次のように続けた。

 

日本の歴史を見習わなければいけません。日本の近代化は私たちにとって、よきお手本です。アフリカの人々は、すべからく、明治維新以降の日本の足跡に倣うべきです。日本人は多くのことを成し遂げたので、私たちも日本のことを大いに誇りに思っています

 

幸福の科学グループは2013年、こうしたマンデラ氏の思いを受け継ぎ、人種差別や貧困、政治弾圧などに苦しむ世界の人々に、教育や医療などの支援を行う「HS・ネルソン・マンデラ基金」を立ち上げました。

 

大地震に見舞われたネパールへの復興支援や、アフリカ・ベナンの孤児院の生徒の学費支援など、さまざまなチャリティ活動を展開しています。世界中の若者に教育の機会を与え、貧困から人々を救う人材、世界で活躍するリーダーに育てることを目指しています。

 

【関連書籍】

大川隆法著『ネルソン・マンデラ ラスト・メッセージ』幸福の科学出版

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1075

 

【関連記事】

2017年10月号 愛と許しの心で差別はなくせる - ネルソン・マンデラ財団 ヤセ・ゴドロー氏インタビュー

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2015年7月26日付本欄 「不屈の闘士」ネルソン・マンデラの生涯に学ぶ【3分で学ぶ世界の教養】

https://the-liberty.com/article.php?item_id=9970

 

2015年7月号 幸福の科学グループが支援活動 震災に乗じる中国からネパールを守れ - The Liberty Opinion 1

https://the-liberty.com/article.php?item_id=9675