古美術 崎陽

古唐津 茶碗 他お茶道具等 古美術全般を取り扱う「古美術崎陽」のHP日記

長崎で活躍した人~シーボルト

2009-12-24 16:30:07 | 長崎の歴史
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日本へ来たのは、

プロイセン政府から日本の内情探索を命じられたからだとする説も。


その間に日本女性の楠本滝との間に、

娘楠本イネをもうける。

アジサイを新種記載した際にHydrangea otakusaと命名

(のちにシノニムと判明して有効ではなくなった)

これは滝の名前をつけていると推測される。

1828年に帰国する際、

収集品の中に幕府禁制の日本地図があったことから問題になり、

国外追放処分となる(シーボルト事件)。

当初の予定では帰国3年後に再来日する予定だった。


シーボルトは、日本に残す妻滝と娘いねの身を心配して、

彼女たちに財産を残し、

2人の世話を門弟の二宮敬作や高良斎らに頼んだ。

文政12年(1829)シーボルトを乗せたオランダ船は出島を離れていった。

やり残した日本の調査・研究を

助手ビュルガーや門弟たちに頼んでいった。

オランダに帰り着いたシーボルトは、

滝といねの安否を気遣って手紙を送り、

滝も手紙や母子の姿を描いた螺鈿合子の嗅ぎ煙草入れを送った。


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