7月26日付朝日新聞の俳句欄のいくつかの句を木村弘子と合評する。木村が○、天地が●。
寂として新国立競技場 虹 吉竹 純
<長谷川櫂選>
●長谷川先生の特選句ですが読みにくいですね。
○破調でおまけに一字空きです。この夏のオリンピックが延期になって使用されないことを詠みましたね。
●もっと読みやすくできませんか。
○「新国立競技場寂(せき)として虹」、あるいは字余りを下五まで貫いて「新国立競技場寂として夕虹」とすれば原句より読みやすくなり定型感を獲得できますが、作者は突っかかりたい心境だったんでしょうね。
ふるさとの瀧たうたうと名を持たず 今井文雄
<長谷川櫂選>
○たうたうは滔滔で水がたくさん流れている形容、さぞ名瀑と思いきや「名を持たず」と切り返す巧い句です。
●俳句は中七が要と言われますがその通りだと感心しました。
○さりげないユーモアで地元の瀧を称えています。
生前の予約に届くさくらんぼ 川崎弥惠
<長谷川櫂選>
○惹かれました。肉親のどなたかがすでに亡くなっているのですね。その方がさくらんぼ好きで去年予約してあったか、それが届いた……けれど頼んだ人はもういない。
●珍しいさくらんぼの句です。
○はっとしました。追悼句なんでしょうか。
●そう解釈してもいい内容です。湿っぽくなくていいです。
茶一杯日除の中で投合す 五明紀春
<長谷川櫂選>
○よくわからなかったんですが土建業の方々の集まりですか。
●ぼくはそうじゃないと思います。誰でも入る喫茶店、暑いので窓に差す光りを日除で遮断している。そこでお茶飲んで意気投合したわけです。
○お酒じゃなくてお茶一杯でですか?
●そう安上がりの方々です。無駄のない書き方でいいです。
糸とんぼよりもはかなき命かな 青野迦葉
<長谷川櫂選>
○自分の年のせいでしょうか、こういう句に惹かれます。「はかなき命」は作者が自分自身に引き付けています。
●糸とんぼの細さと飛ぶ姿のはかなさがこの句を書かせましたね。
○でも先生はそう好きそうじゃないですね、この句。
●自分の境涯を詠むと高齢者の場合、甘えみたいなものが出てべたべたしてしまいます。ぼくは哀しみを詠むにしてもさくらんぼの句のようにからっと仕上げたいという立場です。境遇を詠むより目の前の物を詠みたいです。
季語のなきマスクとなりて梅雨に入る 青木千禾子
<大串章選>
○大串先生は「マスクは従来冬の季語だが、今年は梅雨になっても多くの人がマスクをしている」とコメントしています。まったくその通りですが、おもしろいのでしょうか。
●おもしろくないですね。秋になれば「季語のなきマスクとなりて秋の風」というふうに季語が動くでしょう。この感染症は歴史的な事件ですから詠みたいのですが表面を撫でているように思います。
蟻の列考へてゐる暇はなし あらゐひとし
<大串章選>
○蟻の動きをよく見て自分自身の言葉を引っ張り出したと思います。彼らは本能の赴くままに動き、われわれのように頭を使って一喜一憂しません。
●ぼくも蟻の写生がなされた句と読みましたが、選者は「感染症拡大防止か経済活動優先か議論が分かれる中、蟻たちはひたすら働き続ける」と評しています。
○それは勇み足じゃないですか。俳句はテキストに添って読み過剰に思い入れをしてはいけないように思います。
●同感です。この句に書かれている蟻の生態は明治42年でも昭和20年でも今年でも成立する普遍性があるからいいんです。感染症うんぬんは乱暴な読みです。
七変化最期の色を輝かす 荻原葉月
<大串章選>
○わかります。紫陽花の色の移り変わりは詩になります。
●狙いはいいのですがぼくは「最期」と踏み込んだのが嫌です。「最後」で言いのではないかと。
○擬人化は情緒過多でねっとりします。
●さっぱり書いて後はて読んだ人に任せるのがいいと思います。
母の日のおまけのような父の日よ 宮城和歌夫
<大串章選>
●ははは、笑えますね。
○ほんとにこの通りです、父の日は。母の日が先に来て父の日でしょう、付け足しです。
●理屈っぽい句より馬鹿馬鹿しい句のほうがいいです。楽しいことはすばらしいです。
古民家の風は昭和や夏木立 吉野佳一
<大串章選>
○古い民家の縁側に座っているのでしょう。中は暗くて外に生い茂る夏の木があって気持ちがいいです。
●そうなんですが「風は昭和」というレトリックは大衆受けを狙っていて甘いです。
○そうですか。私は巧いと思いますが。
廃線の終着駅や草茂る 田中黎子
<大串章選>
○旅情とノスタルジー満点です。私は北海道の留萌駅を思いました。
●あなたの好きな句はどこか類型的な匂いがします。テレビの2時間ドラマの一シーンみたいで発見の喜びがいまいちなんです。予定調和という感じでしょうか。
○俳句は難しいですね。さらにこの先を描けと……。
なきがらを縁取ることも蟻の列 久野茂樹
<高山れおな選>
●選者が「縁取るという描写が端的で味わい深い」とコメントしているのに同感です。なきがらを運ぶという視点は多いのですが「縁取る」と見たことで類型を脱しました。
○これが発見なんですね。
●そうです。「縁取ることも」ですからそうでない蟻もいて蟻がさまざま見えます。とにかくじっくり見ることで何か兆すものを待つという姿勢が大事です。
家捨つる母の日傘に手を引かれ 益子さとし
<高山れおな選>
○お母さんはお父さんのもとを小さい作者を連れて去ったのですね。
●過去を物語にように回想していておもしろいですが、「母の日傘」ではないでしょう。「家捨つる日傘の母に手を引かれ」でしょうね。いい素材ですから選者はこのへんは添削して活字にしてもいいでしょう。
海の日もスポーツの日も畳の上 村松敦視
<高山れおな選>
○読んだとたん手を叩きたくなりました。
●並列が効いておもしろくなりました。外出を自粛しているなどと読まず、ただただ怠惰な人を思うのがいいですね。
泣くわれを抱いて写真の日傘(ひからかさ) 高木靖之
○抱いているのはお母さんなんでしょうね。写真に写っている自分と母を追想しています。
●そうでしょうね。「写真」の位置が落ち着かないのと、母をきちんというほうがいいんじゃないかと思います。「写真の母泣くわれを抱き日傘さし」ですが材料が多くてすかっとしません。五七五の器では無理な素材でしょうね。
寝ても寝ても眠たい午後や梅雨末期 旗野茂子
<稲畑汀子選>
○自分のことを言われたような句です。梅雨どきはとにかく眠いんです。
●わかるんですが「梅雨末期」は説明的ですね、「梅雨深し」でいいんじゃないですか。
両の手ですくふ泰山木の花 清水宏晏
<稲畑汀子選>
●すくうのが泰山木の花というのは意外性があります。
○ふつう水などの液体です。
●水をすくうように泰山木の花を拾ったのでしょう。手を覆うような大きい花弁が見えます。工夫して実感を出しました。
ふるさとや土曜休みて田草取 日下徳一
<稲畑汀子選>
〇農業をやっている友人が平日会社勤めして休日このような生活をしています。たいへんだろうなあと納得しました。
●それはわかりますが報告に近いでしょう。つまりテレビなどですでに報道されていることを確認しているようなところがあって、前の泰山木の花のような手ごたえがないんです。
森の香は蝦夷春蟬の止みてより 中村襄介
<高山れおな・稲畑汀子選>
○高山先生、稲畑先生お二人の選に入った句です。稲畑先生が「蝦夷春蟬の鳴く声がやむと、辺り一面が森の香に包まれる。夏の到来のひとこまが見事に描けた」と評しています。
●北海道のことは知らなくてユーチューブでこの蝉の声を聴きました。独特の音色です。
森の香というのは芽生えでしょうね。芽が出る匂い。これを機にやっと森が動き出すのでしょう。いいところをとらえています。やや説明的なのが残念です。
〇どこですか。
●「止みてより」。<蝉が鳴き止む→森が香る>というふうの順序でダイレクト書けたらもっとよくなりそうです。現状をそう変えないのなら「森の香や」と切字を使うとかなりよくなると思います。
〇もっと芽吹きの匂いが来ますね。
撮影地:国分寺市、姿見の池
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