![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/6e/68780682d472d081cf5f2e0bed6f1bdb.jpg)
編集者時代に作った本が2冊出てきて懐かしい。童話作家の本と医師の本。
1階は炬燵がつくられたが2階の我輩の部屋はまだ。
今朝妻が「炬燵を入れたいなら掃除して」と言う。「隅々まできれいにしなくちゃ炬燵つくる気にならない」と。炬燵をつくると言っても今の机の上の台を外して蒲団をかけてまた台を置くだけのことだが、確かに部屋中にいろんな物が散乱している現状ではその作業はやりにくかろう。妻の言い分は受け入れるほかなく苦手な掃除に乗り出す。
しはじめたらすぐ妻が上がってきて本を一冊ずつ取り出しては小さな箒で埃を払う。「一冊ずつやるのよ」と厳しい指導。
本のうしろにかくも埃が溜まっているとは思わなかった。出るわ出るわ、埃の綿が。
ふくふくと埃まるまる小春かな
テーブルの上にはただ白く見える埃が溜まって綿状になるのは神秘的である。なぜ彼らはまるまって綿となるのか奇跡である。埃に人格を感じるこのごろである。
そう妻に言うと「なに馬鹿なこと言ってるのよ、手を動かすのよ」とすべもない。女族はなぜ神秘とか奇跡に感動しないのか。美を限定してしまい世の中を狭く生きている。
電子や素粒子という小ささは一般の人にとっては観念である。一方、埃や塵といった代物はしかと目に見え手に触れることができる微細な物。とても親近感がある。
光芒は埃に太り十二月
埃や塵があるから12月は光が楽しい。埃や塵はなんなんだろう。科捜件の榊マリコに分析してもらい。
爽やかや吸ひこまれゆく埃綿
掃除機で埃を吸い込むのはおもしろい。もっともっとたくさんあればもっとおもしろいといつも思う。
溜めて溜めて埃を吸い込む。それがまたどこかで復活してまた埃となって降って積もる。人の世はあまり進歩していないなあと思う冬の日である。
炬燵入れて~~掃除したよ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/64/196c0624d546806bcf76d1af94934099.jpg)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます