天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

ひこばえ句会9月

2014-09-13 17:51:31 | 俳句

連休の初日か欠席の届けが相次いだ句会。
当初はぼくを含めて4人かと憂慮したが始まる1時には予想していない2名が来て総勢6名。欠席投句1人を加えて総出句数56句の会となった。やれやれ。

【めぼしい句】
岩礁の白く泡立つ秋の蝉  水野たつ子
上五中七目を効かして誠実に描写しているのがいい。よくありがちな海の一景だが季語はやや意外性があってこの人ならではの秋にした。


山裾の雨足白し稲の秋  たつ子
どういうこともない農村の景色だが山裾としたことで近景の稔り田との空間がはっきりする。白く煙った山と黄金色との対比よし。

雁わたしニコライ堂の月赫し  桐野江よし子
季重なりではあるがニコライ堂の青銅と月赫しが響きあい大きな景色にした。


コンビニの半端買物猫じやらし  よし子
たいそうな物は買えないが日用品は買わなきゃならぬ。仕方ない生きるため。中七の造語「半端買物」がえらく作者の内面を描いていていい。季語もころあい。


足早に学僧過ぐる萩の花  渡辺紀子
学僧であるからいろんな用を言いつけられ唯々諾々とこなしている身の上なのだろう。秋の寺における一シーンがうまく語られている。


落人の里の日暮や蝉時雨  紀子
「落人の里」ということで山峡、山が迫っていて閉塞感ある地理を思う。夕暮れも早く蟬時雨もうるさいほど。「落人」「日暮」「蝉時雨」をバランスよく配して集中力を得た。


少年の背丈吾を越し早稲稔る  中田芙美
一面の稲田で自分より背の高い少年を見たセンスが光る。ただし季語は動詞もあってややうるさい。もっとシンプルに「少年の背丈吾を越す稲穂かな」とかしたほうがいいのでは。


朝顔や母に電話を日に一度  山田空
こういうところが詠まれていないわけではないが朝顔で朝きちんと安否を確かめている娘が見える。いかにも現代の風景。


【微妙な句】
蓋付の塗り物を出す良夜かな  長沼光子
めったない月夜だから蓋付の塗り物を出すというのはわかるが、ただ「出す」というよりおもしろい見方はないか…。
「塗り物」というより「塗椀」のほうが見える。また「出す」より「塗椀の蓋を取る」あたりで勝負したほうがもっとおもしろくなるのではないか。
素材を最大限生かすにはどうしたらいいかという問題。


秋茜また今度ねと言ったきり  光子
取捨にひどく迷う。良くも悪くも「また今度ね」がキーワード。俳句は俗語を抱え込むことで和歌の雅と違った土着のエネルギーを得て成長してきた。
この句における中七もまさにそう。けれど「また今度ね」は安直すぎないか…。少なくとも「ね」は除去したほうがよくないか。
季語はいいしこの口語の攻め方もおもしろい。
「秋茜また会おうかと言ったきり」としてみたが、「か」も取りたい…。
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