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天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

最後の熊鷹使い

2021-09-15 09:35:54 | 

熊谷達也『山背の里から―杜の都でひとり言』/小学館クリエイティブ


2004年、『邂逅の森』で第131回直木賞を受賞した熊谷達也のエッセイ集である。自分が仙台に住む意味、東北の歴史、狩猟と農作との違いなど、自分の立場に関して平明に心情を述べていて心地よい内容である。
その中で特に目をみはったのが「最後の熊鷹使い」である。

その人は、松原英俊さんであり、ある筋は以下のように彼を伝える。
松原 英俊(まつばら・ひでとし)
1950年(昭和25年)青森市生まれ。青森東高から慶応大文学部に進み、卒業後、真室川町に住む鷹匠の故・沓沢朝治氏に弟子入りし鷹匠として歩み始める。真室川町の加無山(かぶやま)の麓の山小屋、鶴岡市田麦俣の山小屋、天童市田麦野の古民家と居を移しながら冬は鷹狩りに明け暮れる。2018年、「鷹と生きる~鷹使い・松原英俊の半生~」(谷山宏典著)が山と渓谷社から出版された。妻子あり、71歳。



熊谷さんは彼のことを一般的な「鷹匠」と言わず、「熊鷹使い」と言う。メディアで紹介する「最後の鷹匠」はある面で正しいが正解ではないとする。
訓練した鷹で狩りをする火とは松原さん以外にもいるが、松原さんはそれを生業にしている。講演会、自然環境調査、森林ガイドなどで現金収入を得ているが街に勤めてサラリーをもらう副業はしない。熊鷹使い専業である。
独身時代には、ひと月2万円あれば鷹が養えるという理由で。年収が24万円という日々が長く続いたという。
熊谷は松原に質問する。
「鷹匠になりたいと決意したとき、オオタカをやってみようと思いませんでしたか」
これに、松原は
「オオタカはまったく考えませんでしたね。最初からクマタカをやりたいと思いました」
と応じる。
絶食させたオオタカの体重は1キロ前後。やはり接触させたクマタカは2キロから2.5キロある。その重みを左腕に据えて、腕を水平に保って雪の中を歩くのであるから強靭な体力は要求される。
「鷹と一緒に誰もいない雪山を歩くことそのものが好きなんですが、獲物を見つけた鷹が私の腕から飛び立っていく。その後ろ姿を見ていると、まるで私自身が鷹となって飛んでいっていうような、そんな錯覚というか、感覚に襲われます。それだけは、ほかのどんなものにもかえられない瞬間です。」
直木賞作家は踏み込んで通り一遍ではない事情をたんねんに取材している。松原さん関する記述を読むだけでも意味のあるエッセイといえる。


「津軽訛りが残るイントネーションで朴訥と語る声を聞いているだけで心地がよい。白いものが交じった髭面のなかにある目は、どこまでも優しげだ。相手の話を理解しようと耳を傾けるときには、実に真摯な顔になる。」と熊谷が語る松原英俊さん。




谷山宏典著『鷹と生きる~鷹使い・松原英俊の半生~』はぜひ読みたい。

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