阿蘇山付近
現在は使われていない季語、使いにくい季語を歳時記はたくさん掲載している。鷹主宰はそういった季語をも積極的に詠むことが季語の理解に通じるとおっしゃる。その意を汲んで「流星道場」は季語の絶滅種を兼題に出すことが多い。
秋の廃れゆく季語に「草泊」がある。ウィキペディアのある筋は以下のように解説する。
草泊とは、草刈りの期間中、採草地(さいそうち)の近くで野営をすることです。
昔は車がなかったため、採草地へ行くのに多くの時間と労力がかかっていましたので、草泊によって節約されました。
昔は車がなかったため、採草地へ行くのに多くの時間と労力がかかっていましたので、草泊によって節約されました。
草泊まりの間は、何日もかかって草を刈り干草が作られました。そこで、割り竹で骨組みし、ススキの屋根(やね)葺(ぶ)きの小屋を立て、生活用具を持ち込んで寝泊りしていました。
阿蘇の外輪山でかつて行われていた行事であった。
60~70年前、小生の生まれた伊那の奥、大鹿村の山野でも大地主が大規模な草刈をした。父と兄が駆り出されて何日も寝泊まりして草を刈った記憶がある。その鎌は刃渡りが60㎝ほどあった。
男だけでなく女も草刈をして泊り込むと以下のようなことが起きそうだと思った。
父母会うて吾を得しといふ草泊 わたる
男女はできてしまい、子どももできてしまうのである。草泊でもなくとも男女はすぐつるんで子どもができてしまう。めでたいのか哀しいのか。
草泊荒星どつと出でにけり わたる
阿蘇山も伊那の山奥も星はきれいだろう。草泊はロマンティックな季語である。
砧石の上に置かれた布と杵。北海道札幌市厚別区「北海道開拓の村」
「砧」も今は廃れた行為である。ウィキペディアのある筋は以下のように解説する。
砧(きぬた)は、洗濯した布を生乾きの状態で台にのせ、棒や槌でたたいて柔らかくしたり、皺をのばすための道具。また、この道具を用いた布打ちの作業を指す。古代から伝承された民具であり、古くは夜になるとあちこちの家で砧の音がした。その印象的な音は多くの和歌にも詠まれまた数多くの浮世絵の題材とされてきた。日本の家庭では、炭を使うアイロンが普及した明治時代には廃れたが、朝鮮では1970年代まで使われていた。現在では完全に廃れている。
「砧」という地名は残っていて、世田谷区には砧一丁目から砧八丁目があり、砧公園もある。
兼題が出てそうとう困った。その音は寂しいだろうなと思ったとき故郷の里山の麓にある廃寺を思った。それを村人は「山ん寺」と呼んでいた。小生が小学生のころすでに廃寺であった。そこには尼僧が住んでいたと母から聞いた。
尼ひとり山寺を守る小夜砧 わたる
尼僧あり経を誦しつつ砧打つ
尼さんは砧を打ったか知らないが打ちそうな気がした。暇を持て余したのではなかろうか。尼さんの打つ砧の音が村に響いた。空想に酔った。
この寺は補修されていまもある。小生が村に住んでいたら句会に使いたい環境。清水が湧き、沢蟹が出る。フキが生え、栗や胡桃が実をつける。稲穂越しに木曽駒ヶ岳が見える空気の澄んだところ。
砧の寂しい音がなんともいえないなあ。絶滅季語の秋である。