天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

アブドーラ・ザ・ブッチャーは切字であった

2019-02-11 05:48:52 | スポーツ・文芸

ジャイアント馬場と闘うアブドーラ・ザ・ブッチャー(現在78歳とか)


2月9日のひこばえ句会のあとぼくを含め男4人がジョナサンで飲食した。
定生さんがぼくが俳句の解説に野球やサッカーのたとえを多用することを笑い、そのうちプロレスに話題が転じて盛り上がった。直己さんと定生さんはぼくより9歳ほど下、もう一人のシロウ君は49歳だからぼくより18歳下。
うんと若いシロウ君が驚いたことに一番プロレスに詳しく熱心で、ぼくがアブドーラ・ザ・ブッチャーを話題にするとすばやく反応して意気投合するのであった。

ぼくとシロウくんはブッチャーに何を感じたかという核を共有できた。それはブッチャーという稀代の名優の持っていた「間の取り方の妙」である。
ブッチャーの技は単純。「凶器シューズ」といわれたカバの鼻のように飛び出た靴による蹴りと手刀による地獄突き。フィニッシュは大の字に寝そべる相手の喉元へのエルボードロップであった。これを東京スポーツなどは「毒針殺法」などと命名してあおった。
その毒針を刺すためにブッチャーは4、5歩後方へ後じさりする。停止してここから4、5歩前に走って肘を喉へ落とすのである。この間が醸成する観客の興奮をブッチャーは意図していたのだと確信する。
「このときの間は切字、それも中七のや切れである」というぼくの持論にシロウくんはすぐ同調した。ほかのふたりもなるほどという顔をした。
シロウ君はブッチャーが後じさりする3秒ほどの間に相手が起き上がってくるのではと考えそのハラハラする感じもよかったという。ぼくはシロウ君のようには考えずただただ間合いを楽しんだのだが彼の楽しみ方は理解できる。この間合いを持つということでぼくはブッチャーを高く評価していた。
プロレスはただガンガンやればいいというものではなく、また残忍で強ければいいというものではない。
スタン・ハンセンはウエスタン・ラリアットなる剛腕をふるい相手を薙ぎ倒し、日本でブッチャーほどの人気を博したレスラーだが、ぼくには単調に感じられた。見る物を興奮させる静かな間というものがなかったのである。

晩年動きが衰えて立ち上がるときの動きが緩慢であったジャイアント馬場には場内から野次が飛んだ。あの緩慢さがぼくは好きで、馬場さんの見せ方は歌舞伎のセンスと言うとシロウ君はなるほどと理解した。
シロウ君には俳句で切れをいれなければいけないところでブッチャーのステップバックを出せば心にしみて理解するだろう。

18歳も年齢が違うのになぜシロウ君はぼくと話を共有できるのだろう。
ブッチャーは初来日したのが1970年、日本プロレスの8月興行『サマーシリーズ』。それから1980年代まで活躍した。
そのころぼくは20歳から30歳代。シロウ君は2歳から十代半ばか。すると彼もブッチャーは知っていてよいわけか。ぼくは社会人になってから興奮してまだプロレスを見ていたのか。
「アブドーラ・ザ・ブッチャーは優れた切字であった」。これをわかる知己を得たのは大きかった。
コメント (7)
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