氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

輜重兵

2012-07-21 10:17:02 | 懐かしい言葉
旧陸軍では「輜重兵」と謂い旧海軍では「主計兵」と呼びました。
どちらも軍隊を自己完結させる大事な「兵站」を受け持つ中枢です。
しかし残念ながら旧軍には戦闘力に重きを置いて「兵站」は二の次三の次でした。
諸外国の軍隊での「兵站(logistics)」は最重要課題で戦略を立案する時に補給線が延びたり拡がる
事を極端に嫌います。

我が国は日清、日露の戦争から「兵站」を無視した作戦を立て戦術は有るが戦略の無い戦争を経て来ました。
大東亜戦争は「戦術」に勝利(開戦当時)し「兵站」に破れたと言える。
アメリカとの生産力の大差は埋まる事無く大消耗戦に敗れたのです。

「兵站」を軽視した旧陸軍の通話が有ります。
「蝶~蝶 トンボが~飛行機ならば 輜重輸卒も兵のうち」
軍歌にも「泥水すすり~草を食み・・・」なんてとんでもない歌詞も有ります。
精神力では勝てません。    

陸軍の通話

2012-07-20 10:36:55 | 懐かしい言葉
旧陸軍には色々な通話が有りました。
「一に通信、二にラッパ。三は看護のマル遊び、死(四)んでしまおかデッチンコ(蹄鉄工)」
これは勤務の楽な(スカせる)順番だと謂われています。
このほかにも「工兵」「銃工兵」「縫工兵」「輜重兵」「騎兵」「砲兵」「擲弾兵」など様々な兵科が有りました。
なかでも騎兵の蹄鉄工が一番辛い勤務だったのか?
私には軍務の経験が無く理解出来ませんが軍隊に入営する事だけでもたいへんだろうと思います。

海兵団

2012-07-19 10:03:46 | 懐かしい言葉
旧海軍鎮守府には志願兵や徴兵された新兵に初期教育を行う「海兵団」と言う教育機関が有りました。
徴兵の新兵は一月に入団し五月に終わる五ヶ月、志願兵は六月に入り十一月に終わる六ヶ月と各県から
集まった新兵が教育され各部隊や艦隊に配属されていきます。
海軍の新兵は三つの鎮守府にある「海兵団」で集団教育を受けるので同期の結束は固かった。

旧陸軍は各地の連隊区や師団に徴兵され営内での初期教育を受けます。
二年間の徴兵で同じ連隊や師団で過ごし満期除隊しました。


月下美人が咲きました!

2012-07-18 10:16:09 | 日記
久々に我が家の「月下美人」が咲きました。
昨夜の深夜に蕾がほころび始め開花が近い感じだったので注意して観察していました。


18日午前2時頃から開花し馥郁たる匂いと共に満開に咲いてくれました。
自然に多謝!
「月下美人」の花は儚く一夜だけの開花で朝には萎んでしまう・・・

またの開花を楽しみに待っています。

鎮守府

2012-07-17 10:26:48 | 懐かしい言葉
旧日本海軍は海軍省傘下の「横須賀鎮守府」「呉鎮守府」「佐世保鎮守府」の三鎮守府と実戦部隊の「連合艦隊」
によって統括されていました。
それぞれに最高指揮者である司令長官がいます。
その任に当たる階級は中将の古参か大将でありました。

日本全国を三つの鎮守府に分けて所管します。
「横須賀鎮守府」静岡県、長野県、新潟県を境にしそれ以東。
「呉鎮守府」愛知県、岐阜県、富山県を境にしそれ以西、山口県まで。
「佐世保鎮守府」四国、九州、沖縄、朝鮮、台湾、中国大陸。

その後敗戦直前に「舞鶴鎮守府」ができて山形県、新潟県、富山県、福井県など裏日本を所管します。
それぞれの鎮守府には「海兵団」という徴兵、志願兵の教育機関が置かれた。

バッター 精神棒

2012-07-16 09:31:35 | 懐かしい言葉
旧海軍での「バッター」とは樫の木製の長さ約二尺(60cm)直径一寸五分(5cm)の棒で「海軍精神注入棒」
とも謂われた制裁道具です。
夕食後の整列は下士官の小言の後で旧兵からの「ケツバット」がクライマックスでした。
お尻は紫色に腫れ上がり誰もが泣いたそうです。

我々が中学生の頃(昭和三十年代)の体育教師は復員軍人上がりや予科練帰りが多く体罰や制裁は日常茶飯事でした。
野球部なんかは「ケツバット」が伝統的で泣いています。
オケツの保護の為にスライディングパンツに綿を追加しプロテクトしていました。

今の中学や高校でこんな制裁は無いのだろう?
しかし同級生でのイジメや制裁はエスカレートするばかりでどうなる事やら・・・

ジョンベラ

2012-07-15 08:50:15 | 懐かしい言葉
水兵服の襟を「ジョンベラ」と謂います。
正式な名称は「中着襟」で軍服に合うようにボタンホールが有り軍服のボタンを掛ければ完成。
水兵服は「セーラー服」でほぼ世界の海軍は同じ軍服です。

旧日本海軍では水兵服の通称を「ジョンベラ」と謂いました。
下士官に任官すれば詰襟の軍服で「ジョンベラ」からは卒業です。
懐かしい言葉でした。

ペンネント

2012-07-14 10:15:58 | 懐かしい言葉
ツバの無い海軍の水兵帽は夏冬兼用で夏は白い帽子カバーを付ける。
帽子の周りに濃紺地に金文字で「大日本帝国海軍」と描いてある布を巻き両端を後ろに垂らした布を
「ペンネント」と謂いました。
大東亜戦争以前は「ペンネント」に「海軍砲術学校」とか「大日本軍艦霧島」「第一潜水隊」など一目で所属
が解りました。
平時には此れで良かったのでしょうが戦時下では防諜の為に所属を秘匿する必要が有り「大日本帝国海軍」に
統一されたらしい。
後ろに錨が付いた「ペンネント」は陸軍の帽子に比べてお洒落な感じがします。

ギンバイ袋

2012-07-13 14:44:36 | 懐かしい言葉
旧海軍の内務班には「員数外(私物だが生地は官給品)」の「ギンバイ袋」なる物が存在しました。
旧兵どうしで砂糖などの嗜好品を烹水所の倉庫から調達(ギンバイ)する時に「ギンバイ袋」を内緒で受け渡しする。
旧兵から新兵に「ギンバイ袋」を渡し調達(ギンバイ)させる二通りが有りました。

どちらにしても命令を受けて断れない立場の者には地獄です。
旧軍隊の内務班にもイジメニ耐え兼ねて自殺に追い込まれる新兵も少なくは無かったらしい・・・
日本の学校での集団生活や様々な組織には「イジメ」は確実に存在します。

それに少子化が拍車をかけ集団生活に溶け込めなく友人や他人とコミュニケーションとれない子供が増えている。
学校へ上がる前の家庭や近所での兄弟や姉妹、友人間での軋轢やストレスに耐えた我々には想像も付かないナイーブ
な子供達が増えたのだろう。
しかしナイーブと言っても強かで小ズルイ頭でっかちな子供達だけに手が付けられない。
嗚呼・・・日本の未来派如何なることやら・・・

ギンバイ

2012-07-12 09:22:08 | 懐かしい言葉
旧海軍で「員数を付ける(盗んで数を合す)」ことを「ギンバイ」と謂いました。
食べ物に集る「銀蝿」が語源か?
定かな事は解りませんが「ギンバイ」は特に炊水所(食事を準備する部署)からの食品の調達に使われた言葉です。
旧兵が新兵に不正規に食品の調達を命じる時に「ギンバイ」を教唆する。
新兵の悩みの種だったらしい。
現在の海上自衛隊にこの旧海軍の伝統である「ギンバイ」が継承されているのか如何か?
懐かしい言葉です。