私の親父は備中矢掛町生まれの岡山県人でした。
旧陸軍の岡山師団や連隊で「員数を付ける」ことを方言で「さしくる」と謂っていたらしい。
親父は平成元年に亡くなり叔父らも全て亡くなっているので定かではありません。
岡山が舞台だった「棟田博」原作の兵隊小説「拝啓天皇陛下様」は戦後流行し「渥美清」主演の映画にも成りました。
その営内生活や過酷な内務班でのシゴキやイジメの中で「員数を付ける」場面に「さしくる」が出て来ます。
私の親父は持ち物が無くなったり自転車を盗まれた時など「さしくられた」と言って怒っていました。
今は岡山とは縁が切れた状態ですが「岡山弁」はとても懐かしく感じます。
旧陸軍の岡山師団や連隊で「員数を付ける」ことを方言で「さしくる」と謂っていたらしい。
親父は平成元年に亡くなり叔父らも全て亡くなっているので定かではありません。
岡山が舞台だった「棟田博」原作の兵隊小説「拝啓天皇陛下様」は戦後流行し「渥美清」主演の映画にも成りました。
その営内生活や過酷な内務班でのシゴキやイジメの中で「員数を付ける」場面に「さしくる」が出て来ます。
私の親父は持ち物が無くなったり自転車を盗まれた時など「さしくられた」と言って怒っていました。
今は岡山とは縁が切れた状態ですが「岡山弁」はとても懐かしく感じます。