真面子の社会観察日記

社会で起きている様々なできごとを真面目に言いたい放題!

世界に誇る江戸庶民の識字率

2018年01月17日 | Weblog
江戸時代の大衆文化のひとつである「かわら版」は、なぜここまで庶民に浸透し、愛されてきたのだろうか?かわら版の内容には軽いものから、まじめなものまで様々だったそうで、江戸時代の人々は文字を読める人が多く、読むのが好きだった人が多かったことがわかる。

江戸時代の終わり頃、日本人の識字率は極めて高い水準にあったそうだ。しかし、その「極めて高い水準」とは、一体どの程度のことなのだろうかというと、興味深い史料があるそうで、幕末、開国によって一気に日本に押し寄せてきた外国人たちの「証言」からわかるのだそうだ。

プロイセン(現在のドイツ)の使節団の一員として、1860~1862年にかけて日本に滞在したラインホルト・ヴェルナー(1825~1909年)は、そのときに見聞したものを、帰国後に一冊の書にまとめた。私も外国人たちが書いた「〇〇見聞録」が好きでこの手の本を収集している。

ヴェルナー著『エルベ号艦長幕末記』には、「日本では、召使い女がたがいに親しい友達に手紙を書いたり、ぼろをまとった肉体労働者でも、読み書きができることでわれわれを驚かす。民衆教育についてわれわれが観察したところによれば、読み書きが全然できない文盲は全体の1パーセントにすぎない。世界の他のどこの国が、自国についてこのようなことを主張できようか?」(金森誠也・安藤勉訳、R・(新人物往来社)、90ページより)

当時来日した欧米人のほとんどが、これに類する言葉を残していて、当時の日本人の識字率は、「世界のほかのどこの国」より高かった。武士階級はもちろん、それ以外の庶民も、ほとんどが字を読み、書くことができたというわけだ。

同時代の欧米諸国では、労働者階級に属する人々の大半が文盲だったのだが、江戸時代の庶民の高い識字率をもたらしたのは、民間の教育施設寺子屋だった。日本の識字率の高さを子供の頃に父から江戸時代の寺子屋制度があったと聞いていたのだが、この寺子屋による庶民教育の拡大は、仕事をする際に「字を読み、書くこと」が必要とされたからだったそうだ。
昔から「読み書き算盤」っていうものね。



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