真面子の社会観察日記

社会で起きている様々なできごとを真面目に言いたい放題!

勉強になる〜

2022年04月30日 | Weblog

今週はハワイとカナダから友人が来ている。昨日はカナダからの友人と朝10時から(彼女は朝が早い)会って、ランチとディナーをして、夜8時に溜池のホテルに送って行った。丸1日のアテンドだった。

この友人とも30年くらいの付き合いで、お互いの家族のことも知り尽くしているし、何でも話せる仲だ。友人はカナダに住んで22年くらいになるだろうか?日本に来るたびに会うのだが、話を学校教育と生活上の異文化の話に必ずなる。

昨日は、大学の授業についての話で盛り上がり、カナダの大学の教授と日本の大学に教授の学生に対する考え方が全く違うということで話が大いに盛り上がった。

友人は高校からアメリカに留学し大学までいたのだが、昨日はカナダの大学のことが中心だった。友人がいうには、カナダは移民の国で多文化社会の中で生きなければならないのだという。

カナダで食べる韓国料理、中国料理は、韓国や中国のと同じで、アメリカの様にアメリカ化していないのだそうだ。では和食はどうなの?と聞くと、う〜ん、和食はキャリホルニアロールの様に和食もどきなんだそうだ。

他文化、異文化の中で生きることは、一言で言うと、全てがあな他の自己責任ということだそうだ。だから、大学の授業に遅れて来ようと、途中で教室を出て行こうと、試験ができなくても全てあなたの責任ということで、注意もしないし、教授も気にもしないそうだ。授業の出入りは割合緩やかなんだそうだ。

でも、1年次で6割が落第し、退学していく学生もいるから、入口は緩やかでもすぐに退学しなければならないから、結局真面目に勉強するものだけが生き残れるシステムだ。

友人もカナダに長年住んでいて、だんだんか考え方がカナダ化していていると言っていた。そうか、Who cares! でいいんだなって。自分で責任取れば良いんだから。

日本の学生は、だんだんと幼稚化していて、モンペならぬ、モンスター的な学生がコロナ渦で増えているって言うから、ひょとして、カナダの学生の方が日本の学生よりも大人なのかな?

というわけで、異文化について勉強した次第です。楽しい時間でした。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現地に住む人に聞いてみなければ

2022年04月29日 | Weblog

ハワイに住む友人がやっと里帰りしてきた。2年以上お会いしていなかったと思う。以前は1年一度ハワイで、そして日本で一度は必ず会っていて、かれこれ20年近くなるのねと、水曜日に話した。

彼女は、今回母親を連れて九州に墓参り、群馬県の親戚を訪ねるつもりだったのだが、今の時期は、どこも訪問することをやんわり断られて、2週間の休暇を東京で両親とゆっくり過ごしている。

雨模様だったので、遅めのランチをしようと約束し、日本のお蕎麦と天ぷらが食べたいというので、深大寺のお蕎麦屋さんにお連れした。ハワイで食べるお蕎麦屋パスタは、アルデンテでなくて、茹で過ぎで美味しくないのだ。

お蕎麦を食べてから神代植物園にも行った。平日雨模様だったので、人はほとんどいなくて、のんびり園内をゆっくりと散歩した。躑躅には遅く、薔薇には少し早すぎたけれど、友人は本当に喜んでくれた。

うちでお茶をして、積もる話もあったのだが、私が兼ねてから不思議に思っていたことを伺った。ハワイの人たちは、お気軽に友人の家を訪ねたがったり、退院したらすぐにうちに来ると言ったりするのかと?

やはり、ハワイでは退院したらすぐにその人を訪ねるらしい。退院したのだからもう元気なんだろうという発想なんだそうだ。私が退院してすぐに、ハワイから来ている家族が3人でうちに来たいと言われて当惑した。自分の世話もまともにできないのに何を言っているのだろうと?

そして、会うたびに、私の家に来たい、来たいというのだ。日本人は個人宅をそう簡単には行き来しない。うちは、どちらかというと来客が多い方だと思うけど、それでも一人で家族3人をおもてなしするのはね〜。

というわけで、現地の方に伺ってみないと分からない事がある。でも、まだ決めかねているのです。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カロリー表示を義務化

2022年04月28日 | Weblog

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

100歩譲って行動に移す

2022年04月27日 | Weblog

私が理解できない人間は、口に出して何かをやり始めると決心し、それを他人を巻き込んでまでしてやり始めたものの、途中で挫折してしまう人だ。他人を巻き込んでまで何かをやろうとするなら、なぜ途中で投げ出すのかが私にはわからないのである。

なんという事だろうと思う。第一に、途中で放り出すなんて私には恥ずかしくて言えない。ただし、体を壊したり、病にかかった場合は別の話だけど。

途中で辞めちゃう人は、やり始める時の動機付けが問題なんだろうと思う。必要に迫られて必死にやらなければならなければ放り出すことなどできない。例えば、仕事上必要な資格や能力などだ。できなければ仕事を辞めざるを得ないから必死に取り組むだろうと思う。

やり始めたら、ある程度のレベルになるまで続けなければ、そのことを身につけることはできない。きっと、それがわかっていても続けられないんだろうと思う。

だから途中で放り出す人は、ただ何となく、今、流行っているから、好きだからというような理由で始めたとすれば、想像していたところと違っていれば、長くは続かず、容易く放り出すかもしれない。

プライベートレッスンで大人の女性に英語を教え始めた。これが人生最後の英語を学ぶ機会なので是非ともレッスンをして欲しいと熱く語られて、引き受けた。

レッスン料はいくらなのかと聞かれたので、無料で教えるがテキストは購入して欲しいこと、ボランティアで教えるにしても、情熱を持って教えるので情熱を持って学んで欲しいことを約束して始めたけど、案の定すぐに挫折した。

しかしである。言いたいことはたくさんあったけど、ここは一つ大人になって、100歩譲って何も言わなかった。申し訳ないが、その程度の人なんだと思う。つまり、その程度の人生しか生きていないってことだと理解しました。己が不明を恥じる、ですね。

続きがあって、この話は終わりにしますって書いたら、誤解したのか、英語のレッスンの話をしたいって言ってきました。この方は言葉の意味が理解できないか、人の心が読めないかなんでしょう。もう笑えますっ。

 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プレゼントの処分

2022年04月26日 | Weblog

引越しをせずに長く一ヶ所に住んでいると物が天文学的に増える。お祝いやお誕生日、結婚式の引き出物などでいただいたプレゼントなどだ。うちにはウエッジウッドの大皿がたくさんあるのだが、いずれも結婚式の引き出物でいただいた物なので、1枚づつしかない。

自分では絶対に選ばないものもあり、困ることもある。でも処分するのも悪い気がして、押し入れや戸棚の隅にそのまま何年も手付かずで置いたままだ。

季節が良くなってきたので思い切って整理しようと思っている。整理軸は、集められたモノの中から、「プレゼントじゃなくても自分でも買いたいと思えるもの」「使いたいと心から思えるもの」だけを選ぶこと。

大事なのは、贈ってくれた人に悪いからという他人軸ではなく、自分が使いたいかという自分軸で選ぶことだそうだ。自分がどうしたいか、という軸で選び、そして、使いたいと思えるものは、使う場所に移動する。

それ以外のモノは、送り主が特定されないモノならリサイクルショップなど売却しても良いそうだが、私は寄付する。

もし後日、プレゼントした人から「使ってる?」と聞かれたら「うん、ありがとう」というのがいいそうだ。でもこう答えたら、使っていないと思われるから、私は一度だけ使って写メ撮って、くださった方に送ってから処分する。そして友人が欲しいと言ったから、あげたって言うことにしている。

私が人にプレゼントする場合は、サプライズでも無い限り、こういうものを差し上げたいんだけど、と前もって言って、まずは相手に伺うことにしている。要らないもの、嫌いなものをいただくのは精神的に負担ですよね。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする