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真面子の社会観察日記

社会で起きている様々なできごとを真面目に言いたい放題!

やっとかと思う

2025年09月03日 | Weblog
ほぼ毎日車を運転している私にとって、自転車は本当に怖いと思う。特に若者が並走して話しながら自転車に乗っている後ろを走る時に恐怖を感じる。自転車は、毎日の通勤や通学、買い物など、私たちの生活に欠かせない移動手段だし、環境に優しく手軽な交通手段として長年親しまれてきたが、一方で交通マナーを守らない危険な運転も問題となっている。

2026年4月から自転車にも青切符が導入されるというニュースが話題になっている。やっとかと言う思いだ。何が変わるのか?対象は16歳以上の運転者で、反則金を納めれば刑事罰が科されない制度。

青切符は、自動車やオートバイに限られていたが、今回から自転車も対象になる。主な違反行為とその反則金額は、
  • スマートフォンや携帯電話の使用(ながら運転):12,000円
  • 通行区分違反(逆走や歩道通行など)、信号無視:6,000円
  • 指定場所で一時停止をしない、制動装置の不良(ブレーキなし等):5,000円
  • 二台以上の並走(並進禁止違反)、二人乗り:3,000円
「傘差し運転」や「イヤホン使用運転」などは、全国法ではなく各都道府県公安委員会規則で定める遵守事項違反にあたり、反則金は5,000円。他方、飲酒運転や妨害運転など、著しい速度違反などは従来どおり刑事事件として扱われる。

根本的な解決策として自転車の免許制を求める声も多い、免許制とまでは言わないが、自転車を購入したら講習を受けて道路交通法を学び、講習履修済みの証明書を発行すればいいように思う。小学生のうちに道路交通法を学ぶといいと思う。

同時に、法整備は必要であるという前提のもと、並行して自転車が安全に走行できる道路環境の整備を求める声も強く上がっている。自転車は車道の左側を走るのが原則だが、現実的には自転車専用レーンが整備されていない道路が圧倒的に多い。

新たな移動手段である電動キックボードや、歩行者の信号無視、車の路上駐車もどうにかしてほしい。

道路利用者が安全で快適に移動できる交通社会の実現に向けて、法整備と並行してマナー向上や環境整備に取り組んでいくことが重要で、さらに、一人ひとりが交通ルールを正しく理解することだと思う。

私も含めて、自転車で守るべき道路交通法は理解していない方が、多数なのではないかと思う。道路交通法を学ぶ事も事故を少なくする方法だと思う。

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着替え着一式とバケツ

2025年09月02日 | Weblog
『おじいちゃんが教えてくれた 人として大切なこと』という本が、今注目を集めている。手の付けられない乱暴な子に育った著者が、思春期におじいちゃんに教わった「人生の教訓」をつづった一冊だ。

実は、この「おじいちゃん」とは、かの有名なガンジーのことなのだ。12歳だった孫の人生を変えたガンジーの教えとは何か。「幸せを感じる生き方・考え方」について触れた一節を紹介する。

 「足りないもの探し」が幸せを遠ざける  インドには現在でも、ほとんどのアメリカ人よりはるかに貧しい暮らしをしている家族がたくさんいる。しかし、すでにあるものへの感謝の気持ちは、アメリカ人よりもずっと大きい。  

私たちはもしかしたら、ものを持ちすぎることで、自分の感謝の感受性を鈍らせてしまっているのかもしれない。これではまるで、人生のすべてが食べ放題のビュッフェになってしまったかのようだ。

私たちのほとんどは、ガンジーのように極限まで簡素な生活を送ることはできないだろう。それでもガンジーをお手本にして、「少ないことはいいことだ」という精神を取り入れることならできる。ものを少なくして、気の散るものも少なくすれば、感謝の気持ちは大きくなる。本物の幸せも増えるだろう。

一日のうちで、ふと立ち止まって周りを見渡し、朝の太陽、道ばたの花、子どもの笑い声など、そこにあるものに感謝する。自分の人生を外側から眺め、そして世界中の恵まれない人たちのことを考える。きっと彼らは、あなたのような人生が手に入るなら大喜びだろう。  

または、家族や友達のいいところ、感謝しているところをすべてリストにする。そのリストをひきだしにしまい、自分の恵まれた境遇を忘れそうになったら、ひきだしを開けてリストを見る。そして、感謝の気持ちは外側からではなく、自分の内側から生まれるということを思い出す。  

すでに持っているものに感謝せず、持っていないもののことばかり考えるのは、自分に対する暴力だ。人生で感謝の気持ちを増やせば、態度が変わり、世界を見る目も変わるだろう。

以上が掲載されていた内容だが、要は私たちが生きるにあたって、「足るを知る」ってことだと思う。足りないものを思うのではなく、現状を受け入れ感謝の気持ちで日々暮らせば幸せだと言うことと理解した。

心に残った言葉は、持っていないものばかりに目を向けることは自分に対する暴力だと言うこと。こういう生き方は、決して幸せだにはなれない。人と比較せずに 必要なものは、神様から全て与えられていると私は考えている。

マザーテレサが、着替え着一式とバケツがあれば良いと言った言葉を思い出す。しかし、私にはできないですが。

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学力と地頭

2025年09月01日 | Weblog
「大学受験」は10代における最大のイベントで、いわゆるいい大学にいけば、なりたい職業になれる確率は上がり、将来の選択肢は増えると考えるのが現在の日本だ。しかし、今は転職は当たり前の世の中で、働き方も常勤だけでなく、非常勤で働く方も多くなっており、それらを自分の意思で選択できる時代でもある。

それでも、大学受験は人生を左右するかも知れない大切なことには間違いはない。学力と地頭は連動しているかと言うことについては、学歴がなくとも頭がいいなと思う人はいて、高卒の経営者などの中には、頭がいい人が多い。

加えて、一般的に地頭がいいと言われる場合は、論理的思考力があったり、ひらめく力があったりすることを指すが、これらは大学受験でも十分に養うことが可能な能力のため、地頭を磨く方法のひとつが学力なのだと思う。 

たとえば、数学は論理的思考や、解法を思いつくためにはひらめきも必要になるので、地頭を鍛えることができる。 その意味では学力と地頭はある程度連動しているかも知れない。ただ、「地頭」は大切だが、どのよう評価し、それをどうやって数値化したらいいのかと言うことだ。  

地頭を評価する術がないので、学力で判断されてしまうのは仕方のないことなのかも知れない。

結局大事になるのは、今いる状況のなかで「考えること」をやめないことだ。学歴がすべてだとは思わないが、それが必ずしも学力である必要はないが、何かしらの形で、頭のよさを表現できなければならない。  

だから、受験生には資格でも学歴でもなんでもいいので、自分の頭のよさを「わかる形で表現する」ことだ。また、今自分の学歴には不満があって、もっと評価してほしいという人は、なんでもいいので、客観的にわかる形で、自分のことを表現することでもある。

今の日本なら、いくらでもチャンスはある。自分の学歴に満足していないなら、何かに再挑戦することだ。


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大きなお世話

2025年08月31日 | Weblog
先週水曜日、3ヶ月ぶりに横浜の友人夫妻に会いに行った。7年くらい前に一緒にイスラエルとヨルダンに行ったご夫妻だ。2日目の晩に、偶然夕食をご一緒したら、その時通っていた広尾の教会の方と高校が同級生だとわかった。

6月1日にその友人と横浜で3人で会う約束をしていたのだが、私が高熱で行けずだった。久しぶりにあった横浜の友人とは週に2回、4年以上も会っていたので、信頼できるご夫妻たちだ。元教え子たちにもとても親切だ。私がこの女性を信頼するのは口が硬いことだ。

いくら親しい友人でも「本当にそれで大丈夫?」「こうしたほうがいいんじゃない?」と言われると、心の中で、大きなお世話なんだけどと、一瞬むかっとすることがある。そう言う時には、私はLINEなら返事をしない。先週、水曜日の夜に、4月末に突然連絡を絶った女性が国外追放されたスリランカ人男性と現地で結婚したからと言って写真を送ってきた。

だから何?って言う感じだった。結婚報告をした他の人に、私が返事をよこさないと言っていると、連絡があったけど、私は、今は返事をする心境にはなれないのでしませんとお断りした。昨年12月からどれだけの時間とお金をその人のために使ったと思っているのか、それを不義理をして、謝罪の一言もなくただ結婚しましたと報告されてもね〜。

逆に「干渉された」とき、絶対にしてはならないのが、怒ることだ。 感情的に対応してしまうと、結果としてますます揉めることになる。激しい感情は伝播し、相手の激しい感情を誘発する。感情的に非難されたことで相手も戦闘態勢に入り、激しい応酬に向かう可能性がある。  

まずは冷静になり、スピードも「ゆっくり」を意識しながら発話する。そして、相手への非難ではなく、「私はあなたにどう関わって欲しいか」のメッセージを伝えること。「ありがとう。一つ伝えたいのは、私は今、あなたに聞いていて欲しいだけ」とはっきり言う。それは、相手にどう関わって欲しいかを自分で考え、決めて、相手に言うことができたということだ。

親の過干渉はよくあることで、「あなたのためを思って言っているのよ」と親は言う。それに反発できなくて、子どもが外で他人をいじめるなどがよくあることだ。でもこの親の18番のセリフは子どものためを思ってではなくて、親のために言っているだけだ。

さらに、大人になってから友人が何かと干渉してくるのは、干渉して自分の思い通りに相手をしようとしているだけだ。干渉は大体がジェラシーだと私は思っているし、ジェラシーはコンプレックスの裏返しだから、気にしなくて良いと思う。嫌な気分になるなら、付き合わなければいい。

人に合わせて生きる人生なんて意味がない。自分が嫌な気分になったり、気分を害される人と無理して付き合う必要は全くない。一人でいる孤独もそう悪くはないし、必ず気の合う友人が現れるものだ。それも多くは要らない。

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さてどうしたものか

2025年08月30日 | Weblog
私は職業柄、元学生たちや知り合った方達と親しくなると、色々と相談を持ちかけられる。それはそれで嬉しいことだが、責任も伴うし、相談された方たちをよくは知らないでアドヴァイスは出来ない。

湘南の元教え子たちとは、大学では私の授業を全て履修し、ゼミ生でもある人たちがほとんどなので、お付き合いも大学4年間と卒業して就職後も10年近くお付き合いしている。川口短大での教え子達は、もう50歳近くなっていて、お子さんが大学受験を迎えている。

定期的に連絡も取り、会ってもいるので結婚後もその人の環境も考え方もわかっているからアドヴァイスがしやすい。私の専門の一つが女性のキャリア開発で、特に転職や再就職のアドヴァイス、出来ればグローバルな領域で英語を駆使して活躍できる様にアドヴァイスしている。

私が割合頻繁に連絡をとっている元教え子は、同じ小学校卒と言うこともあって(私はこのことがわかった時、授業中にも関わらず興奮した)親しくしているのだが、そろそろグローバルの世界に飛び出してもいい頃かなと思う。英語力は全くないし、営業力もある。

ただし、人それぞれの人生には、時というものがあるから、私がプッシュすることはできない。

私が一番緊張するのは、社会人を数年経験した女性から、キャリアの相談をされる時だ。その方の過去を知らないし、どういう環境で働いてきたかも分からないので、緊張するのだ。

先週も、教会で挨拶だけをする女性がいるのだが、突然、私にその方のメンターになって欲しい、人生のファシリテーターになって欲しいと言われてびっくりした。お一人暮らしだそうで、教会内には友人はいないということだ。

その女性を私はかれこれ7年くらい前にお会いしているはずだが、挨拶以外したことがなかったので、とっても驚いている。噂で、教会内の女性の転職などのアドヴァイスを私がしているのを聞いているのかも知れない。一人引き受けると、時間もエネルギーも相当費やさなけらばならない。

昨年末から相談にのっていた方は、友達がいないのだとやはりいった。発達障害とは知らなかったので、なぜこんなにこの女性は人を受け入れるキャパが無くて、他人との人間関係が構築できないのかと戸惑った。

転職アドヴァイスも続けて、合格するものの、1週間と続かなかったり、数日で辞めてしまう女性だった。いつも自分の想いに違和感を感じると、泣いてその理由を言う。確かに理由を理解できなかったわけではないが、好きな人、好きなことだけをして生きていけるわけがない。30を過ぎている女性だ。こう言う人は、辞めることに全く躊躇がなくて、今日で会社辞めましたと連絡をしてくる人だった。

さて、メンターになって欲しいと言う友達がいないと言う女性をどうしたものか?悩む!



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