お茶やお水を買って飲むのが一般的になってきたのは何時頃からだろうか?自販機の普及とコンビニの普及からだろうか?20年位前にお弁当を買ってコーラを飲んでいた若者を観た時には、ぎょっとしたけど、今ではそんなの当たり前になっている。
例えば、緑茶やウーロン茶など2リットルのペットボトルがスーパで売られていて、箱買いする人たちを良く見かるけど、こういう人たちは家でお茶をいれないのだろうかと思う。夏場は、冷茶が主流になるので分からなくはないが、冬でも結構売れているのを観ると1年中冷茶を飲んでいるのかとも思う。
つまり、お茶を家でいれない家族が増えていると言うことかもしれない。お湯を沸かし急須でお茶をいれることをしなければ、「お茶をいれる」という表現も使わない。だから急須の使い方も知らないらしい。『お茶で一服」とか「粗茶ですが」とか「お茶を濁す』なんて言葉を知らない若者が多い。
今は、「お茶する」でしたね。『お茶する」はコーヒーショップでコーヒーを飲むことを意味しているのだから、やはり家でお茶をいれるや、コーヒーをいれるという表現には繋がらない。
以前、女子学生に茶托を見せて名前を聞いたところ、誰1人とし分からず、『ちゃわん皿」と答えたのがいて吃驚したのだが、家でお茶をいれないのか、あるいは来客が無いのか、これも10年くらい前の話しだから、家でお茶をいれなくなっても当たり前かもしれない。
となると、茶道部の部員でも無い限り、お茶をたてるなどという表現に触れることは皆無だろうと思う。急須を知らないなら、茶道で使う茶筅もわからないだろうなと思う。これらは日本の伝統文化だから、グローバル時代にこそ、こういうものは大切にされるべきものだと思う。
もっとも忙しくてお茶をいれて飲む時間も、優雅にお茶をたてて飲む時間も現代人には無いのかもしれない。私も忙しいとコーヒーをいれる時間がもったい無いと思う。でも、生活には心の余裕も必要だ。
例えば、緑茶やウーロン茶など2リットルのペットボトルがスーパで売られていて、箱買いする人たちを良く見かるけど、こういう人たちは家でお茶をいれないのだろうかと思う。夏場は、冷茶が主流になるので分からなくはないが、冬でも結構売れているのを観ると1年中冷茶を飲んでいるのかとも思う。
つまり、お茶を家でいれない家族が増えていると言うことかもしれない。お湯を沸かし急須でお茶をいれることをしなければ、「お茶をいれる」という表現も使わない。だから急須の使い方も知らないらしい。『お茶で一服」とか「粗茶ですが」とか「お茶を濁す』なんて言葉を知らない若者が多い。
今は、「お茶する」でしたね。『お茶する」はコーヒーショップでコーヒーを飲むことを意味しているのだから、やはり家でお茶をいれるや、コーヒーをいれるという表現には繋がらない。
以前、女子学生に茶托を見せて名前を聞いたところ、誰1人とし分からず、『ちゃわん皿」と答えたのがいて吃驚したのだが、家でお茶をいれないのか、あるいは来客が無いのか、これも10年くらい前の話しだから、家でお茶をいれなくなっても当たり前かもしれない。
となると、茶道部の部員でも無い限り、お茶をたてるなどという表現に触れることは皆無だろうと思う。急須を知らないなら、茶道で使う茶筅もわからないだろうなと思う。これらは日本の伝統文化だから、グローバル時代にこそ、こういうものは大切にされるべきものだと思う。
もっとも忙しくてお茶をいれて飲む時間も、優雅にお茶をたてて飲む時間も現代人には無いのかもしれない。私も忙しいとコーヒーをいれる時間がもったい無いと思う。でも、生活には心の余裕も必要だ。