目指せ!映画批評家

時たまネタバレしながら、メジャーな作品からマイナーな作品まで色んな映画を色んな視点で楽しむ力を育みます★

竜とそばかすの姫 ★★★

2022-08-17 22:07:43 | ★★★
竜とそばかすの姫、Amazon primeで鑑賞。

ネタバレします。

細田守監督はSNSが進化していく先のネット世界の未来をサマーウォーズで結構きちんと書いてたと思うのだけど、どうして、またネット世界の話を書こうと思ったのかなあと少し不思議に思う話でした。
ところどころで唸るメッセージは込められていたが…
デバイスとしてのUの面白さは確かにあったが、その辺りのSF考証というか設定が割と緩め?
接続してる時の本人はどうなってるのか?は大変に気になった。
近未来世界的な世界観を描くときはディテールに凝って欲しい性分なのよね…
UのアイコンがUberじゃん!っていうのは野暮なツッコミだが…
スマホと併存してそこまでバリバリのハイテクデバイスが普及するのか?というのも気になった。
データ通信量や映像や五感の感じ方とか、そのあたりも…
サマーウォーズは言っても格闘シーンはキーボードカチャカチャだったわけで、その辺りの技術限界性が好きなところでもあった。
一方で、竜とそばかすの姫はちょっとご都合寄りな気はどうしてもしてしまう。
描きたいお話がありきの舞台設定と言いますか…
いや、それは悪いことではないのだけど、SF好きには少し物足りなくも感じるのですよね。
お話的には批判が出るのもわかるし、期待感が高かったからこその意見というのも数多く出たのも頷ける。
つまり、サマーウォーズ再びという期待感。

でも、お祭り的ムービーとして夏の金ローで定着したサマーウォーズとはやはり決定的に異なるお話の筋立て。
一見、美女と野獣だが、ラブストーリーとも異なり、いくつかの話の筋が絡みつつ帰結する。
作り手側が盛り込みたい要素が多くてストレートには伝わりづらい。
エンターテイメントは常にわかりやすくあるべき…と私は思うが、様々なメタファーや現実世界の問題を掛け合わせすぎると、メッセージが伝わりづらくなってしまうのでは?とは思う。
親が知らない子を助けに川に入ってしまい死んでしまった体験から歌えなくなった主人公。
でも、Uの世界では自分とは違う姿をしていて歌える。
ネット世界なら自分とは異なる姿や形だから思うように振る舞える、意見が言えるというのはまさにネットの匿名性の美点だろう。
一方、この話では何度も心無い罵声や批判や中傷が飛び交い続ける。
それは匿名性の高いアバターから吹き出しと言う形でぶつけられる。
これはTwitterの呟きとほぼ同じ。
ネットの匿名性のまさに醜悪な点であろう。そこに動画も重なる。
主人公は大変強引な展開で竜を知ることになり、竜が気になり追いかけるようになる。
全てネット世界のメタファーだと考えたら、掲示板に現れた論破しまくる荒らしが気になるようになった、という展開なのだろうか。この辺り、共感しづらい展開が続く。
主人公は自分の母親がしたことのような無償の救済を否定したかったが、結果的には自分もそれがしたくて、また、もはや、誰からも助けられたり守られたりもしたくなくて、ということなのだとは思うが、それでも色んな話があってなかなか整理しづらい。
現実世界の苦しんでいる誰かを本質的な意味で救うためには、仮想空間の人のままでは無理ではないか?というのが本作の問いではあるのだけど、ここは大変難しいところで。
果たして本作の主人公すずは救いたい人を本質的な意味で救えてるのか?というのは気になるところ。
心の救済なら歌でも十分なわけで。

また、これもまたインターネットの問題として大きく横たわる身バレ問題。
これを軽く捉えすぎなのでは、とは思う。
それとは別にアーティストの本質とは歌なのか、外見なのか?その人の持つストーリーなのか?それともすべてなのか?
なかなか語り尽くせないレベルの問題でもある。
まず、匿名性の高い状態でブレークする歌手というのは現実世界にもいる。
なんならミステリアスなところを全面に押し出してる歌手もいるだろう。
ZARDや初期の大黒摩季のように歌番組に一切出ないことで神秘性を高めた歌手もいるし、Aimerも素顔はなかなから見せなかった。最近だとずとまよとか。

そうした歌手はある種の神秘性もまた魅力だったりはする。
どんな人か分からない、けど、歌や歌詞や世界観は本当に素敵、どうしようもなく気になるという存在。
こうした歌手の魅力の一つは謎だったりはする。秘密とか内緒事は魅力を増す効果があるんですよね。

で、そうした人の神秘性が失われたとき、その歌手の魅力には確かに影響はある。
でも、良くも悪くもその人の歌は変わらないんですよね。

でも、「本人がそうしたいなら身バレしてもいいじゃないか」というのはまたちょっと違ってくるのかなあとは思ってて。

匿名性の高いSNSがもし世界中に広まったとして、(実は文化的にそれはあんまり無い気もするんだけど)
一般人がブレーク後に身バレするというのは極めてネガティブインパクトが大きいのではないかと。
今では報道もSNSの盛り上がりに追従してネットリンチに加わり火力を増やすのに躊躇が無い。

なので、ネットの匿名社会に色んな意味で深く慣れ親しんでいる人ほどその展開に「荒唐無稽さ」を感じてしまうかもしれない。
「いやいや、顔晒しや身バレは50億人もフォロワーがいる状態ではダメでしょ!?」となる人がネットには多いのではないかなあと。

一方で、実名で顔を晒してる人に対して、匿名化されたキャラクターは本質的には救うことが出来ないというのもまた真理ではあるが…
実際に顔を晒して会いに行く、だけで本当に救ったことになるのか?というのもまた気になるところ。
すずが支払った代償の大きさを考えると…
人1人の人生を費やしてようやく1人の他人を幸せに出来るかどうか、という持論を持つ自分からすると、そう簡単な話でないのではないか?とも思える。

ましてや、虐待問題は子どもたちにとっては急迫不正の危機である。呑気な話でもない。
日々起き続ける問題であり、いつか虐待死もありうる。
だからこそ、高知の片田舎から慌てて飛び出して行くのに本質的に解決しないのでは片手落ちだと感じるのだ。
すずは満足してるかもしれないが…
同じ、細田守作品だと、サマーウォーズは割とわかりやすく危機に陥り解決していたし、時をかける少女もそうだ。
おおかみこどもはまあ、そんなに大きな危機ではなかったかもしれないが、個人的には嫌いじゃない。
未来のミライも悪くなかったよ。

でも、竜とそばかすの姫はどうにも物語的な必然性に欠けてしまうのよね…
竜の存在とその正体と強さの理由、また、彼を救おうとするすずの動機が弱い、そして解決の仕方が本質的だと観客に分からない、ということに収斂されてしまう。
歌も音楽も素敵だが…
すずは歌ってるだけ?
それとも、楽曲はどこまで手掛けてるのか?
オケは誰が作った?

音楽で人が救われる、そんな話なら1番重要な点も抜け落ちてるのは大変気になった。
SF設定の描かなさはまだ許せるが、音楽はもうちょい描いて欲しかった。
マクロスFあたりでもランカ・リーが街中で歌い出すとバックバンドが突然現れたりするわけだし、世のミュージカルもまたそうなのだから、これはいわゆるディズニー映画で言うところの登場人物が突然歌い出すミュージカルなんだよ、と言われればそういうことなのかもしれないが…
細田守監督のインタビューとかによると、現代日本版の美女と野獣を作ろうとして着想を得たとあったが…はてさて…
色んな要素を描こうとしすぎたような気はする。
自分の過去記事ではおおかみこどもの雨と雪は絶賛に近い。
今も印象は変わってない。
エンターテイメント大作では決してないけど、細田守はこういうテーマ設定で映画作った方が絶対に良い仕事になるんではないかな。
サマーウォーズはそこまで褒めてなかった。今もう一度見返してみると違った意見になりそうだ。

「細田守っぽさ」をひたすら詰め込んだ集大成感はあるんですよね。
ネット空間、夏の田舎、女子高生、恋愛要素、家族、大人…
本人もそこは勿論意識的なのだとは思うんですけどもね。
作家としては次の新しい主題も見つけないといけないのだろうなとは思わされました。


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