目指せ!映画批評家

時たまネタバレしながら、メジャーな作品からマイナーな作品まで色んな映画を色んな視点で楽しむ力を育みます★

ムーンフォール ★★

2022-11-20 21:02:20 | ★★
ムーンフォール ★★

(あらすじ抜粋)
正体不明の力によって月が軌道から外れ、地球に衝突しようとしていた。地球滅亡となるその衝突まであと数週間という状況の中で、NASAの幹部で元宇宙飛行士の女性が立ち上がる。そして、2人の仲間とチームを組み、彼女は世界消滅の危機を回避しようと奔走する。
(以上)
主人公は女性というよりは、男性側なのですけどね。
パニックムービーであり、インデペンデンスデイや2012やデイアフタートゥモローを撮ったローランド・エメリッヒの作品ですね!って感じ。もう、感想としてはその一言以上でも以下でもない。
なーんにも考えずに楽しめる大作、バジェットムービーでした。
月が落ちてくる、とか、月の中には実は…とか陰謀論やら派手な映像が好きな人にはたまらないんだろうなあと。

億男 ★★

2019-03-10 16:09:38 | ★★
飛行機の中では佐藤健の映画「億男」も観た。
川村元気が原作小説を書き下ろしていたが、結局、書店では買わなかった。
序盤30分以上は続くの 金満描写がキツくてなかなかに観続けるのをやめようかと思わされるシーンの連続だった。日本人のメンタリティなのか、自分自身の金銭感覚、人生観的に受け入れ難いのよね、札束ばら撒いたり、破ったり踏んだりお金に包まれて暮らしてる人たちの描写…

その反面、面白かったのは藤原竜也のキャラとか…ハマり過ぎてて痛快だったし、北村一輝の競馬のシーンの演技もなかなかに面白かったといえば面白かった。

後半になればなるほど段々、主人公の一男と九十九の関係が深く描写されていき、川村元気らしい「少し不思議な話」風の展開になっていく。描くテーマがお金とは何か、なので、お金に飲まれる人たちを次々と描き出し、それでも変わらないものとは何か?を問いかけていく。

お金持ちになった後に投資家になった人が居なさそうな描写は極端には思えた。九十九が連続起業家のようだったからそういうことなのかな。ややtypicalに描いたのだなあと。どの人も大金を前に身か精神を持ち崩している。現実世界には事業で得たお金を使って幼稚園を作った人もいたりするわけだけど。シリコンバレーだと、事業で得たお金を社会福祉やスタートアップに投資するのは割とよく聞く話なので…。

宝くじに当たった人に怪しい人が近付いてくる話もよく聞くには聞くが、私が現実にそうした人に巡り合ったことは一度しかない。前の会社の同僚たちが一等6000万円の時に数人でまとめて購入して800万円ずつくらい山分けした…という話だった。その人たちはある人は飲み代に消え、ある人はマンション購入に充てたと言っていた。現実的に資産に投資した人のことを後からほかのみんなが羨んでいたのが面白かったですね。

本当のお金持ちってもっと節税対策とかきちんと打つような「資産家」なのよね…だから成金とは全く種類が違うのだろうなあとも思う。これまでに出会った人の中でも相当お金持ちな家の子は白金に親が借りたマンションがあって家賃42万円の家に住んでいた。そんなことをしても全く生活に困らないし、むしろたぶん税金対策とかで子どもの家を借りてたのだろうなあとか想像すると空恐ろしい。

るろうに剣心 ★★

2012-11-18 19:04:30 | ★★
上大岡のTOHOシネマズで結構前に鑑賞、、、してたのに感想を書いていませんでした。

(あらすじ)
今からおよそ140年前、幕末の動乱に揺れる京都に名を轟かせる一人の暗殺者がいた。
名は緋村抜刀斎。その神速の剣技と驚異の暗殺成功率から『人斬り抜刀斎』の通り名を持ち、幕府要人や佐幕派の武士達を震撼させていた。
それから10年の月日が流れ―。時は明治11年。抜刀斎は剣心と名を変え、以前とは打って変わって人の命を奪うを良しとせぬ『不殺(ころさず)の誓い』を掲げ、日本各地を旅しながら、か弱き人々を剣の力で守り助ける流浪人(るろうに)として、穏やかな日々を送っていた。
(以上Wikipediaより)

観て来た当時の感想としては、やはり、るろうに剣心の実写映画化自体が相当難しいなあと感じたことです。
大友監督は龍馬伝全話観たくらいに私は好きな作り手ではあるので丁寧な人だとは思っていましたが、ここまで丁寧な人だとは少し予想外でした。漫画やアニメがうまーく省いてたところをかなり詳細にやってる印象を受けました。
劇中での汚しの技術は龍馬伝での香川照之の汚しからもわかるように流石の一言でした。ちょっと弥彦とか汚しすぎじゃない?と焦るほどでした。剣心も最初かなり汚しが入ってるし。いつものスタイルに着替えるまでの間はあまりの汚れっぷりに焦りました。
漫画を読んでる原作ファンにもかなり気を遣った内容にはなってはいます。それは間違いないところです。だからこそ、気になるところもあります。最初の実写化としてはかなり頑張ったようにも思うので、多少は甘くみてあげたくはなりました。ただ、言えるのは原作に気を遣ったせいで、かなりエピソードが色々詰め込まれてる点です。色んなキャラを出すためなので仕方のないことなんでしょうけど…。もう少しスリムにした方が良かったかと重いますね。二時間を超える大作になってしまっているのだから、もう少し見せ方にはこだわってほしかったです。というよりは、もう少し省くべきところを省くべきだったと思います。
こうして映画観て思うのはやはり、るろうに剣心って実写化するのかなりめんどくさいということ。特に京都編入るまでって、かなりディテール凝ってて原作者もしっかり取材して幕末から明治の時代背景をしっかり描き込んであるわけでして単なる時代劇ではないのですよね。一人一人のキャラのバックボーンがしっかりしてるわけで。。。
たとえば、本作品では弥彦関連のエピソードはごっそり抜け落ちているわけですよ。東京士族の誇りを持つ、明神弥彦の男気溢れるエピソードはなく、単なる神谷活心流の道場の弟子になっている。正直、今回だけの映画化なのだったら、弥彦そのものの描写を省いてもよかったのでは、と思う。
斉藤一も出す必要あったのかなあ、とも感じるわけです。通常、時間は限られているわけだからもっとシャープなお話にして、キャラクター一人一人を掘り下げることこそ、「るろうに剣心」という作品の本来の良さだったんじゃないかなあ、と思うわけです。そういう意味ではきわめて実写映画には向かないタイプのお話なのかもしれないですけど。

全体として、とてもバランスのよろしくない作品だったことは間違いがありません。そういう意味では非常に「惜しい」作品だったと思います。佐藤健の剣心も吉川晃司の刃衛も江口洋介の斉藤一もかなりよいキャスティングだったし、香川照之は相変わらずの怪演っぷりで、素晴らしかったのですが。。。。脚本が非常に残念だったと言わざるを得ないかなあ、と。

009 RE:CYBORG ★★

2012-11-18 18:44:11 | ★★
上大岡のTOHOシネマズで鑑賞。

うーん、どうしてこうなっちゃったんだろう。
攻殻機動隊 S.A.Cでもお馴染みの神山監督の最新作ということでかなり期待値を上げてしまっていた、というのもあるのだろうか。神山監督は攻殻機動隊関連のお仕事はどれもかなり質の高いお仕事をしているし、大好きなんだけど、その他の作品では賛否両論になることが多いように感じる。
石ノ森章太郎原作の漫画を原作に神山監督がアニメ映画化した作品。

(あらすじ)
かつて世界の危機を救ってきた9人のサイボーグ戦士たちは、故郷へと帰りそれぞれの人生を送っていた。しかし、2013年、各国で同時多発爆破のテロ事件が発生、ギルモア博士により再び集結する。その頃、009こと島村ジョーは、その記憶をリセットされ東京で高校生として暮らしていたのであった。
(以上、Wikipediaより)

009という作品に親しみがないと、ダメ、というわけではなく、ファンではなくても最初から観てすんなり入っていける世界観ではある。2013年という比較的現代に近い舞台設定、リアルな世界観で勝負しようとしているところからもそれは伺える。だけども、リアルな世界観に近づけてしまったばっかりに、荒唐無稽なサイボーグたちの能力についてのリアリティラインはとてもあやふやなものになってしまったようには感じる。004ハインリヒの弾丸数であったり、002ジェットの航空燃料の多さだったり・・・。オーバーテクノロジーの塊である彼らだからこそ、そのあたりはリアルな絵柄で見せられるとちょっと、うなってしまうわけです。

あと仕方の無いことではあるのですが、007と008はあんまりにも出番が少なかったのは残念。これは仕方ないことで、上映時間のことも考えるとやはり9人に同じように活躍の場を与えるのは難しいわけで。。。出番を削ったのは悪い判断ではなかったようにも思います。

あと、普通に中東が核で吹っ飛んでしまいますが、これも作劇上、どうにかならなかったんでしょうか。ハリウッド映画ではしょっちゅう大気中で核爆弾が爆発していますが、日本の映画では極力避けられてきた描写だと思うんですよね。スケール感は出るものの。。。。その後の各キャラクターの行動に整合性を持たせるのが苦しくなったような。。。加速装置で思い切って逃げ出すわけですから、大量の人々を置き去りにして。。。

それにしても、今回の作品では、「彼の声」についての描写がなんとも抽象的な存在として描かれる上に最後にはちょっと、不思議な結末を迎える展開もあり、ちょっとばかり、これは抽象的すぎやしないか、と感じるわけです。まー、わかりやすい悪役がいない分、今時の映画とも取れますし、攻殻機動隊も「ネットは広大だわ」みたいな感じで悪役が誰かわからない、という展開があったようには思いますが。。。ちょっとカタルシスに欠ける終わり方。

そんなに駄作とも思いませんが、手放しで楽しめる映画でもなかったように思います。

デザインされた各キャラはなかなかいいデザインだなあ、と思います。

アイ・アム・ナンバー4 ★★

2011-07-23 18:03:20 | ★★
アイ・アム・ナンバー4
シンガポールに向かう飛行機機内で鑑賞。
学園モノ六割+能力者モノ三割+宇宙人モノ一割



これも無理して劇場で見るほどの映画ではなかったですね。機内で正解。いずれの要素も大方、王道演出、期待以上だったのはナンバー6の格好良さくらいですかね。前半の学園もの展開が結構長くダラダラと続くので結構疲れてしまいました。これくらいの話なら海外ドラマで結構やってるよね、という内容。後半になってからようやく能力者バトルに突入し、そこそこ楽しめましたが、見所はそこしかなく、もう少し見せ場が欲しかったなあ、と。予告の時から、こんな内容ではないかなあ、と思ってましたが大体イメージ通りでした。残念。

ぼくらの七日間戦争 ★★

2011-05-06 21:03:45 | ★★
地上波で放送していたのを鑑賞。子どもの頃に何度もVHSで鑑賞していただけに懐かしさもひとしおでした。

(あらすじ)
ある日、校則に反発した青葉中学の一年・菊地ら男子生徒8人が失跡した。彼らは廃工場に立てこもっていたが、学校側は体面を取りつくろうばかり。そのうち、ひとみら女生徒3人も加わり、11人での自炊生活か始まった。しかし、居場所がバレて教師や親が説得にやってきた。その場はなんとか追い返したが、子供たちはバリケードをつくり武装を始めた。体育教師の酒井らはエンジン・カッターで工場のシャッターを壊して侵入。ひとみらは地下からついに戦車まで持ち出した。
(以上 goo映画より)



それにしても子どもの頃の記憶というのは強烈ですね。ほとんど全てのシーンをかなり克明に覚えていて、それでいて少し誇張といいますか、大げさに覚えていて、久々に観ていて結構違和感もひとしおでした。「あれ、このシーン、ってこんなにショボかったっけ?」とか。それにしても、小学校のときはこの校則が厳しい中学校という存在自体が恐ろしく思えたし、機動隊を倒した後に出てくる先生たちとの対決にドキドキしたものですが、今見ると、なんで、機動隊の後に先生が出てくるねん、とか、校則もそんなには厳しくなくね?とか、色々考えるところ、突っ込むところが年齢の経過とともに変わっているのだなあ、と思ったのですよね。花火師のお父さんの「あいつ、なかなかやるなあ。」のセリフでは相変わらずぐっと来てしまいましたが・・。ってか、花火師のお父さんがタイーホされるよーって逆に心配になったくらいですが・・。あと、お咎めが無さ過ぎることも驚きでした。戦車や機動隊まで出て来て退学にもならずに学校に通えてるのが、時代性を感じます。おおらかな時代だったのかなあ。。まあ、このあたりを細かく描かないというところにも時代性を感じます。


まあ、当時の角川映画と今現在の邦画では映画製作の方法論も映像技術も撮影技法も文化も大幅に違っていますけどね。でもま、この頃の映画制作の方法論というか角川映画の方法論ってほんと、ある意味トレンディドラマの方法論を映画に持ち込んだような映画が多いですよね。見ていてやはり、この手の映画制作方法が時代というフィルターを通して見ると古臭いものになってしまうことを如実に描き出してしまいました。つまり、時代性は取り込むことに成功しているものの、結果的には映画の鮮度は時間とともに失われていくというか・・・。そもそも、この映画からは原作では大きく含まれていた「学生運動」の要素が取り払われていて、やたらめったら校則の厳しい学校と教師への反抗として立てこもりが描かれます。ここからして、この映画のテーマは大きく損なわれているのですが、そういう意味でも、なんと言うか当時も今も邦画のヒット作にはこういう部分が見え隠れしているよなあ、と思わざるを得ません。


うーん、でも悔しいけど、私、この映画好きなんだよなあ。今更人に勧めるような映画ではないということは重々承知していますが、自分を構成する思い出的映画としてこの映画は確実に自分の中に根付いているのだなあ、とつくづく思わされたのでした。

ゼブラーマン -ゼブラシティの逆襲- ★★

2011-04-30 11:14:54 | ★★
DVDで鑑賞。



(あらすじ)
ゼブラーマンこと市川新市が地球の平和を守り、その姿を突如消してから15年後の2025年。東京はゼブラシティへとその名を変えていた。そのゼブラシティではゼブラタイムという特別な時間を設けていた。それは朝と夕方の5時から5分間だけ、警察官(ゼブラポリス)や議員などの権力者はあらゆる犯罪行為を許されるという恐ろしいものだった。

様変わりしたゼブラシティの道端で市川は突然目を覚ます。しかし、彼は記憶を失っており、力も白の部分しか存在しなかった。ゼブラタイムによって迫害された人々が身を寄せるコミューン「白馬の家」に匿われた市川は、あるきっかけで自分がゼブラーマンだったことを思い出し、平和を取り戻すべくリハビリに励むのだが……。
(wikipediaより)

なぜ、今更鑑賞したのかは何とも言えないところですが、1作目でもそれほど高い評価をしていなかったようですね。

http://blog.goo.ne.jp/kikidiary/e/72578434078694bc21637ffa555ae637

というか、まあ、ぶっちゃけると仲里依紗を観るために借りたようなものだったのですが、オープニングでほぼその願望は達成されたため、後は惰性で鑑賞するような形になってしまいました。この仲里依紗は2曲もこの映画のために歌ってまして、でも、CDが欲しくなるほどのものでもなかったので、まあ、これはこれで、イイのかな、と。
それにしても仲里依紗作品はなんだかんだ言いながら「純喫茶磯辺」「時をかける少女」などあまり間を置かずに観た印象がありますが、私はこういうはっちゃけた彼女は苦手かなあ・・苦笑。「あーーはっはっはっは」という笑い方は溜飲が下がるものではありましたが・・。彼女のこの役のための映画といっても過言ではない映画でした。うーん、哀川翔はこれでよかったのかな。

ゼブラーマンの善の部分と悪の部分が分かれて~というくだりはドラゴンボールのピッコロあたりを思い出させる展開ですが、それにしてもゼブラーマンという題材でここまであれこれややこしい話をやるニーズってあるのかいな、と首をかしげてしまいます。1作目はそれでもゼブラーマンになりたいというヒーロー願望を持った冴えない先生がこっそり地球を守るために戦っていくうちに本当に地球を救ってしまう、というような「キック・アス」にも少し通ずる面白さがあったのですが、今作ではそういう面白さもなく、有名になってしまったゼブラーマンがひたすら、デストピアな未来で葛藤し、本来の自分を取り戻す話になっています。が、彼の葛藤などそこまで見たいものでもないし、なんともはや・・。

というわけでお話としては少々、退屈、見所といえば仲嬢のゼブラクイーン姿のみ、というなんともはや困ったお話になっていますね。

それにしてもマニアックな題材だよなあ・・。

エンジェルウォーズ ★★

2011-04-30 09:11:57 | ★★
ちまたで話題になっているエンジェルウォーズを鑑賞。TOHOシネマズ上大岡にて。吹き替え版しかやっていなかったのでしぶしぶ吹き替え版を鑑賞。なんだか、映画館で洋画を吹き替え版で見るのは苦手。ピクサーやディズニーは我慢できるけど実写だとちょっと。金曜ロードショー感が出すぎてしまって、せっかくの高い鑑賞料金と素晴らしい鑑賞環境が台無しになってしまうのが嫌なのです。




(あらすじ)
原題「サッカーパンチ」。1950年代。精神病院に入れられ、5日後にロボトミーを受けることになったベイビードール(エミリー・ブラウニング)が、同じ精神病患者の仲間とともにファンタジーの世界へと飛び込み、人格破壊の危機を回避するための5つのアイテムを集める。
(以上 wikipediaより)

このあらすじを見たときにちょっと映画館に行くのをためらってしまったのですが、前評判も賛否両論とのことで、どういう映画かは気になっていました。監督のザック・スナイダーは「ドーン・オブ・ザ・デッド」や「300」は結構面白かったし、(「ガフールの伝説」はいまだに借りる気が起きないけど・・・)期待してもいいのかなあ、と思いながら映画館に足を運びました。

結論から言ってしまうとこの映画の妄想の部分だけなら100点あげてもいいけど、全体の構造がイマイチ乗り切れず、20点くらいなので平均してしまうと結局40点くらいになってしまうような映画、というか。数字で表現するのも何ですが、この映画はやや複雑な構造になっています。

A(現実世界)と
B(妄想の世界)と
C(妄想の中での妄想の世界)に分かれた映画となっており、
(当記事でわかりやすく説明するための仮称です)

A世界で起きる出来事の暗喩もしくは直喩としてBおよびC世界が存在しているとかんがえてよいでしょう。A世界での描写は序盤と終盤のみで、後はほとんどB世界とC世界を行ったり来たりするような話なのでいまいち飲み込みづらい構造になっています。

この構造ってインセプションが流行ったからこういう構造を取り入れたのかもしれないけど、インセプションは映画の前半のほとんどをこのややこしい構造を理解させることに割いているからこそ、わかりづらくてもヒットしたのであって、この辺りの映画の構造って、きちんと説明臭くない描写である程度は描写するなり、喋ってもらわないと本当にわかりづらい。

それでもBとCのつながりは理解できるのだけど、Aとのつながりや関連性は本当にわかりづらくなっている。わかりづらいことを責めているわけではなくて、物語上の必然性も薄いのか濃いのかもわからない描写が幾重にも折り重なるので、どうしても意図が見えづらい話になってしまっているわけです。なので、ノレない。

いや、それでも情けない話、このC世界の妄想世界でのバトルはそれだけでガンガンご飯食べられるくらいの映像ではあります。ザック・スナイダーが「300」のときにも使いまくったスロー多用のアクション映像で女子高生姿のエミリー・ブラウニングが日本刀と拳銃片手に自分の身の丈以上の鎧武者やオーク、ドラゴン、ゾンビ兵などと渡り合う姿、やパワードスーツが出てくるところ、ロボット兵との死闘、など見ているだけでニヤニヤしてくるような映像のオンパレードなのには間違いないのですが・・・。

このC世界シークエンスの映像を撮りたいがために無理くり入れ子構造にして複雑な映画にしたのだとするならば、それは失敗だったと思います。もっと単純かつ燃える展開にすればよかったのに、妙に精神病院描写やロボトミー描写などの非常に説明の必要な現代ではよしとされていない医療描写なども取り込んだり、娼婦の格好させたりと男性諸氏が乗り切れない要素を満載にしたがために誰に訴えかけている映画なのかも非常に曖昧になってしまいました。
どこまでいったって、C世界の描写はB級映画でしかないんだから振り切ってB級アクションの傑作を作るつもりでやってくれたらよかったのになあ、と非常に悔やまれます。

まあ、でもこの監督はもう少しお話の組み立て方とか脚本を直せばアクションは素晴らしいし、「わかっている」監督なので、もう少し今後の作品を観ていきたいと思わされました。

オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー ★★

2011-04-06 23:22:09 | ★★
今回はネタバレします!気をつけて!!


(あらすじ)
2011年。火野映司 / 仮面ライダーオーズは怪人と戦っていたが、それはヤミーではなくイマジンだった。まもなく、モールイマジンは少年の記憶を辿って過去へ逃亡してしまう。映司とアンクはモールイマジンを追って現れた時の列車「デンライナー」に乗り込み、1971年11月11日へ向かう。

まもなくたどりついた1971年の世界で、自分以外のグリードが目覚めていないことをいい事に、メダルの取り放題を企み、過去の外へ飛び出したアンクを映司とモモタロス達が追いかけている頃、野上幸太郎 / 仮面ライダーNEW電王はモールイマジンを倒すが、その爆発の衝撃によってアンクは自分を取り押さえようとした映司に押しつぶされたときにセルメダルを1枚落としてしまう。誰もそれに気づかないまま、アンクを取り押さえて一行は現代へ戻った。

ところが、現代へ戻った映司とアンクが見たものは、悪の組織「ショッカー」に支配された日本だった。1971年の世界でアンクが落としたセルメダルがショッカーに回収されたことがきっかけとなり、当時の仮面ライダーである1号と2号は敗北。そのため、V3以降の仮面ライダー達は誕生しないことになっていた。そして、ショッカーは後世に現れる多くの悪の組織と同盟を結んで世界征服に乗り出し、日本を自らの支配下へ変えてしまっていた。

生き残った仮面ライダーは、特異点ゆえに時間の影響を受けない幸太郎と、彼に同行していたために辛うじて仮面ライダーとして存在する映司のみとなった。幸太郎らデンライナー一行は歴史を修正するために再び過去へ向かい、映司とアンクは現代に留まって怪人軍団の前に立ちはだかる。しかし、そこにショッカーに敗北してその頂点に君臨する怪人の称号を持つ悪の戦士に変貌した、1号と2号が襲いかかる。

(以上 wikipediaより)

さて、先週末にライダーの最新作を見てきましたよ。この映画、仮面ライダー40周年記念作品ということで随所にそれらしい描写が多数出てくるのですが、本当に何ともはや・・・。序盤から中盤の流れは結構良かったんですよ。

「この過去に行って、その時の自分たちの行動のせいで、現在に戻ってくると暗黒の世界が広がっていた・・・」という展開はモロにハリウッド超大作で大ヒット作品、ロバート・ゼメキス監督の「バックトゥザフューチャー パート2」のお話の構造とまるっきり同じです。そのため、そもそもこの話の構造自体が非常にしっかりしている。鉄板の構造なのですよね。タイムパラドックスモノは風呂敷を広げている間は非常に面白い。

そして、中盤のデストピア描写はなかなかいい。こういうエクストリーム!な状況になってくると、普段はおちゃらけているオーズの面々ですが、特に映児のキャラクターは本来であれば献身的なヒーロー像であり、クウガの雄介と被るキャラであるため、このデストピアでも決して諦めずにみんなのために、子どもたちのために頑張る!という描写は非常に胸が熱くなる描写でありました。やっぱりヒーローはみんなのために戦わなくちゃ!

この映画、色々言いたいことはあるものの結構途中までは我慢して観られるレベルの映画だったのだが、終盤、ライダー全員集合のところから一気にお話が破綻する。

ここまでタイムパラドックスモノとしてお話を進行してきたのに一気に「みんなの想いは歴史も何も関係なく、仮面ライダーを復活させるのだ!特に理由もなく。」という展開でデンライナーが仮面ライダーを連れてくる。そこから一人一人のライダーが名乗りを上げる!と周りの観衆が知らないはずのライダーたちの名前を声をあげて応援するのだが、ここらあたりから本当にひどい。

このショッカーが支配する2011年の世界には「存在していなかったはずの2号より後のライダーたちが現れると彼らの名前を呼びまくるわけだが、そんなご都合主義はあんまりなんじゃないかな、と思う。ディケイドは最初から破綻していたからそれはそれでつらいものがあったんだけど、ここまで普通に映画として進行してきていきなり全てのお話を投げ出してしまうのはあんまりだと思う。あんまり観客をバカにしないほうがいいと思う。子どもはそりゃあ、喜ぶだろうし、この映画は大人向けじゃないって言ってもやはりこういうお話の展開はひどいと思うのです。

責めてどうして彼らがこの時代にやってこれたか、くらいは種明かしもしくは設定的なこじつけをしてもいいんじゃないだろうか。5分くらいで。そして40年間、雌伏のときを経てようやく、1号2号がショッカーグリードを倒すべく裏切る、って言うんだけど、40年も待つって相当じゃないか。それもなんだかなあ、って思うし、テディの犠牲って何だったんだろ、モモタロスの涙もやっすい涙になっちゃったなあ、だなんて思うわけですよ。興ざめ。
1号2号は40年もチャンスを待ってたってことならば素面の本郷猛を出してもよかったんじゃないの?声も藤岡弘、御大だったわけだし。そこは観てみたかった気がする。Wの2人をチョイ役で素面出演するくらいならこっちを実現させて欲しかった。ライダーはゴーカイジャーと違って原作へのリスペクトが無さ過ぎる!
単におもちゃとかカードが売れたらいいのかもしれないけど、それでもやっぱり原作に携わった人たちがもっと活躍する話でもいいやんか、と思う。せっかく1号と2号がここまで活躍する話なんだしさ。

あと、友情出演でズバットやキカイダーも出てくるんだけど、ズバットまで出すならここもちょっと伏線張るとかさーⅤ3もいるんだからさー、ただ「出す」だけがファンサービスじゃないですよ、と言いたい。いや、それでも出てくるとファンは喜んでしまうんだけど、こんな出方ではつらい。

みんなが見たいのは異世界の1号でもなければ、並行世界の1号でもなければ、新約1号でもなくて、あの本郷猛の仮面ライダー1号が見たかったんだよ。
もう、そろそろ藤岡さんも年齢的にもやれる最後のチャンスなんじゃなかったのかなあ、と思うわけですよ。宮内さんも見たかった。

これってファンのわがままなのかねえ。。戦隊モノではゴーカイジャーで素面の役者さんをあれだけ大切にしているのになあ。。。ライダーってやっぱり役者側からの抵抗とかもあるのかなあ。。。

ままま、色々といいたいことはあるのだけど、ディケイドのときよりかはなんぼかマシですし、見終わった後の気分の悪さみたいなものもなかったし、正統派ヒーローモノとしてはまあ、そこそこなのかな、と。ただ、こういうコンテンツばかりを子どもに見せるのはちょっと違うんじゃないかな、と思う。いくら子どもが見る映画とはいえ、もっと丁寧に話を作って欲しいぞ、私は。

SP 革命篇 ★★

2011-04-01 01:10:12 | ★★
(あらすじ)
テロリストとの死闘から二ヶ月。負傷から回復した警視庁警護課第4係のメンバーは、要人警護の通常任務に戻っていた。それぞれの警護対象者の車に乗り込んだ彼らは、麻田内閣不信任案の採決が行われる国会議事堂に集まる。国会議員たちが次々と衆議院棟・本会議場に着席していく中、来るべき事態をかすかに感知しはじめる井上。そして麻田内閣の行く末をマスコミが注視する中、いよいよ本会議がスタートする。だがその一方で、衆議院議員会館に人知れずテロリスト集団が到着していた…。(goo 映画より)

うーん、端的に言って革命篇の見所は国会議事堂占拠をいかにしてうまく行うか、そしてその占拠された国会議事堂をどうやって国会議員の犠牲なくして、取り返すか、という2点が主なポイントになります。この辺り、野望篇のときのような最初のアクションシーンと後半のアクションシーンがある程度独立したものになっているのとは違い、映画を通してずーっと国会議事堂でほぼ話が進みます。

正直退屈、な映画になってしまいました。夜の街で襲撃を受けて孤立無援の中、要人を護衛し続ける究極の状態が続く野望篇はそれこそSPであることを無理やりに活用して緊張感ある世界を作り上げていたと思います。夜中に戦えばエキストラもいらないし、ロケも楽だし。予算を低く抑えつつ、設定にもある程度無理のない状況をうまく生み出していたと思うのですが、今回のお話はそれがうまくいっているようには思えなかった。


ちょっとネタバレします。



国会議事堂を占拠できるのはSPだけ、っていうのはそりゃあ確かにそうかもしれんけど、あまりにもSPで洗脳?されてない人が少なすぎ。堤慎一演じる尾形の人間性や政府への恨みつらみなどもしくは尾形が連れてきた、などによって集結したSPおよびその他侵入者の数がかなりの数になっていて、こりゃあ、ほんとにいくらなんでも・・・って感じにはなってしまっているし、国会で尾形さんが内閣の大臣を一人一人政治生命を断って行く展開というのも中々に溜飲が下がるかといえば、うーん、という感じ。遠くで観戦している閣僚の卵たちが、「なんか退屈っすね」とか言っていたけどほんと、途中でダレてしまっているように感じました。


井上たちの部隊が奪回に向けて動き出してからもやはり中々心躍る展開とは言いがたく、唯一、紙とかテープ、画鋲で敵を倒していくシークエンスくらいでしたね、そこそこ面白いと思ったのは。


あとはちょっとどうにも入り込めない話だったなあと。
国会議事堂占拠→奪回の構図がどうしてもマッチポンプに感じるからなんだろうなあ。
正直、国会議事堂の構造や警備体制なんて一般人は知らないわけだし、そこまでなじみがある話でもないので、そこを占拠されて取り戻す流れというのは確かによくハリウッドアクション大作でも描かれるような話ではあるのだけど、どうも、燃えない。

井上チームがほぼ無傷っていうこともあるのだろうし、ドキドキするような展開がTV版や野望篇ほどはなかった、という印象。やっぱり仲間はある程度やられてナンボだと思うのですよね。。。ちょっと不謹慎だけども。

ある程度フジの中では優良コンテンツだと思ったけど、TVの時点でかなりやり尽くしていたことからもそろそろネタ切れの感が強くなってきた、という印象です。もうそろそろ次の作品でもいいのではないですかね。踊るもSPもシリーズ続けるのは限界では。