目指せ!映画批評家

時たまネタバレしながら、メジャーな作品からマイナーな作品まで色んな映画を色んな視点で楽しむ力を育みます★

シビル・ウォー アメリカ最後の日 ★★★★★

2024-10-20 13:11:26 | ★★★★★
シビル・ウォー アメリカ最後の日
新宿TOHOシネマズで鑑賞。

(以下、映画.comより抜粋)

「エクス・マキナ」のアレックス・ガーランドが監督・脚本を手がけ、内戦の勃発により戦場と化した近未来のアメリカを舞台に、最前線を取材するジャーナリストたちを主人公に圧倒的没入感で描いたアクションスリラー。

連邦政府から19の州が離脱したアメリカでは、テキサス州とカリフォルニア州の同盟からなる「西部勢力」と政府軍の間で内戦が勃発し、各地で激しい武力衝突が繰り広げられていた。就任3期目に突入した権威主義的な大統領は勝利が近いことをテレビ演説で力強く訴えるが、ワシントンD.C.の陥落は目前に迫っていた。戦場カメラマンのリーをはじめとする4人のジャーナリストは、14カ月にわたって一度も取材を受けていないという大統領に単独インタビューを行うべく、ニューヨークからホワイトハウスを目指して旅に出る。彼らは戦場と化した道を進むなかで、内戦の恐怖と狂気を目の当たりにしていく。

出演は「パワー・オブ・ザ・ドッグ」のキルステン・ダンスト、テレビドラマ「ナルコス」のワグネル・モウラ、「DUNE デューン 砂の惑星」のスティーブン・マッキンリー・ヘンダーソン、「プリシラ」のケイリー・スピーニー。
(以上引用終わり)

面白い。
なぜ面白かったのか?端的に言えば、今後のアメリカの、世界の分断を暗示しているから、ということになるのだろうか。
アメリカの文官統制は割と見た感じうまくいっているため、実際にはこのような事態に至ることは無いのかもしれない。
合衆国陸海空軍以外に州兵などが存在する仕組み上、全くあり得ないとも言えないがよほどの分断が起こらない限りは劇中で描かれるようなことは起こらない、とは思う。
アメリカという国に少しでも住んでみて思うことではある。
彼らは建国のために、そして、南北戦争で文字通り国を分断をして戦ったわけだが、それと同じようなことが起こるか?というと、どうだろうか。
日本で、地域別に起こる分断を考えても、イデオロギーが違いすぎて、地域別に分断が起こる、というのは考えにくいというのが実際のところではなかろうか。物質的にもアメリカは豊かになったわけで。よく指摘されているが、現時点ではアメリカのイデオロギー的にはカリフォルニアとテキサスは相容れない。が、劇中では共闘している。こうした作劇は敢えてこうしているそうである。

勿論アメリカは選挙のたびに国を二分して民主党と共和党が競うし、これまでは考えられなかったこと(議事堂襲撃事件とか)が起こったりもしてきたので、全く100%否定するのは難しくなってきている。(この議事堂襲撃事件やその他の事件でのトランプの責任が有耶無耶なまま、再び大統領選に出馬していたり、トランプが暗殺されかけたりとこれまた映画のような展開が現実にも続いている)
そんな、「もしも、アメリカが大きく分断したら?」という思考実験の映画ではあるが、あり得ないから面白く無いということは全く無く、今のところ、あまり起こり得ないと思われるけど、描かれているその現場というのは今、アメリカ以外の場所では起こっていること、起ころうとしていること、そのものなんですよね。
ガザ、イスラエル、レバノン、ウクライナ、ロシア、その他様々な地域で。
そして、映画は別段、ミリタリー的に、ポリティカル的、思想的にそうした対立の何かを解決しようという話では全く無いのでそこは注意が必要で、あくまで、プレス、つまり、記者たちがそのあれこれを現場で見て知って記録していく、という形を取っている。

映画として観た時には絵的にドーンオブザデッド風味とか、どうしてもしてしまうのは仕方ないところなんでしょうけども。
高速道路のカットとか、時が止まった街とか、「お前はどのタイプのアメリカ人だ」、とか。(ドーンオブザデッドのTVシリーズなどはアポカリプスなアメリカをかなり描き切ってしまってて、後の作品は困ると思うんですよねえ…)、そこを差っ引いてもアメリカの分断というissueを映像でわかりやすくエンタメとして表現して見せたところは喝采を浴びても良いのだと思います。




ネタバレします。
ニュートラルな視点を維持しつつも、政府はプレスを殺し14ヶ月もインタビューには応じないというトンデモ振りで、最後の際まで大統領は無様に描かれているし、そういう意味ではニュートラルとは言えないかもしれない。かなりトランプに寄せて作られたキャラ造形です。
結局、主人公たちはWFという政府とは対立している西軍側で従軍記者をやるわけですし。
大統領の最後の一言を得られたらあとは死のうがどうなろうが、知ったことでは無いというのも含め。
どうしても、大統領やその側近たちの言動に共和党的な香りがしてしまったのもまた致し方ないことなんでしょうね、今のアメリカを思えば。
また、キルスティン・ダンスト演じるベテランカメラマンであるリーが撃たれるシーン以降も、取材は継続される様は何とも言えないところがある。
鑑賞後にピリリと痺れるケレン味があるのはこの辺りだろうか。従軍記者たちも歴史的なシーンを撮影しているという自覚があるからこその緊張感の継続なのだと思う。
この映画はジリジリと後半に向けて不穏さが増していくが、序盤のシークエンスで十分に不穏だ。この先にはデスしかないぞ、とサミーが警告する例のイヤなシーンと同じくらいやばい瞬間に遭遇しているが、事も無げに振る舞うリーとそれを見てヒリヒリして思わずカメラを向けてしまうジェシー。この最初のシークエンスから既にやばいわけですよ。リーは後少し、ジェシーを引き倒すのが遅れていれば自分が爆発を食らっていたわけで…。そんな間一髪が続くんですよね。結局。それは決して普通のことではないけれど、それにいちいち動じていたら、良い写真は撮れないわけですね。この皮肉。
ガソリンスタンドでの給油時に、ジェシーはカメラを向けることすら出来なかった瞬間がありましたが、そんな危機一髪なところでも、まさに動じないわけですね、リーは。

逆にリーはどうして、最後のシークエンスでホワイトハウス突入前までかなり腰が引けていたのか?は気になるところでした。正直、あそこまで激しい陸上戦闘に従軍するとなると、命の覚悟は必要でしょうし、もっと前から覚悟していたであろうリーがなかなか飛び出せないというのはきちんと、サムの死を受けて、きちんと写真を世に出したいと思っていたからなのかもしれません。ここは解釈が分かれますね…。

以下は監督のインタビュー記事ですがこうした記事を通して作品の描きたかった世界観がよく見えてきます。

https://www.cinra.net/article/202410-civilwar_iktay

ラストマイル ★★★★★

2024-09-01 20:37:15 | ★★★★★
ラストマイル
これは社会派な映画ですね。とても面白かったです。

「シェアードユニバースムービー」という触れ込みでMIU404とアンナチュラルの2作品と世界観を共有しているということで脚本の野木さんと監督の塚原さんの連作的な位置付けを取ってはいるものの…。
それぞれの作品のキャラクターが出てきてくれて狂喜乱舞した人たち、多いのではないかな。私もそうです。相変わらず、元気なんだなと思えてそれだけで嬉しかったですね。それぞれに続編があってもいいくらいです。

ドラマの軽妙な語り口や、野木さん節のキャラ造形は引き継ぎ、ドラマシリーズの延長にありながら、映画作品としては完全に独立した作品であり、ドラマシリーズとはお話としてはつながってはいない。
そのため、それぞれの作品のキャラクターたちが一堂に会して事件を解決する、というわけではないです。
それでも、番宣やCMできちんと期待値を上げて、そして、作品内容でちゃんと期待値に応える。これは製作陣はすごいなと思いますね。

元々、ドラマ2作品も社会派というか、社会の様々な闇であるとか、息苦しい部分を見事に軽妙に切り取り表現しきるところがあった。(毎話、テーマとしてはそれなりに重めなのに、登場人物たちの軽さがそれをうまく中和していたと言いますか。)

ラストマイルもまた、その過去のドラマ2作品の雰囲気を受け継いでいる。

タイトルの意味
ラストマイル、というのは近年、運送業や輸送車両サービスでよく言われるお客様ないしは目的地までの最後の1マイル(1.6km)のことを指す。 
輸送車両サービスで言えば、ラストワンマイルを埋めるためにUberのようなライドシェアだったり、超小型車両だったり、電動キックボードなどのサービスが出てきている。
運送業で言えば、このラストワンマイルというのはAmazonのようなECサイトが2000年代に出てきてからどんどん状況が変わってきている。具体的には、荷主の巨大化であろう。そして、荷主というか、胴元が変わったことによってビジネススキームも変化し続けている。簡単に言えば、顧客が簡単にネットで買えるようになったことで輸送量が増え続けている。これまでは、小売店に買い物に行かなくてはならなかったのが、家に居ながらにして様々なモノを変えるようになり、非常に便利になったわけです。また、ブラックフライデーのようなこれまでは日本には無かったイベントすら、Amazonは日本に持ち込んで一定の成功を収めている。

ビジネスとしてはAmazonのようなECサイトはインターネットの急速な発達と普及、そして、スマホの普及により、一層ビジネスを拡大して成功してきたわけです。顧客もまた一定以上の恩恵を受けてきたことは間違いがないでしょう。ECサイトででポチッと購入することをポチる、みたいな言葉すら世の中では市民権を得ているわけですね。(ググると似たレベルになってますよね。)
お話の舞台としては巨大なロジスティクスセンターが設定されているものの、映画の主題はラストワンマイルを埋めるための仕組みの中で奮闘している人々そのもの、ということかと思います。
こうしたテーマを描いている点で社会派…という意味は伝わるかなと思います。



ネタバレします!観たい人は観てから読んでください。










作品内企業のデイリーファースト社、通称デリファス社はアメリカの某大手ECサイトであることは疑いようがない。
アメリカではたとえば、ノマドランドのような作品でAmazonが直接描かれたことからも、フィクションでも直球で名前出せないことは無かったのかもしれないが、そこは流石にTBS制作では難しかったということかもしれない。
極度に効率化した社会で、もしも、このような抜け穴をうまく使って爆弾テロが出来るとなると、恐ろしい話、ではあります。(爆弾テロっていつの時代も怖いモノですけどね…)
とはいえ、無差別の爆弾テロなどは明確な予告が無ければ防ぐ手立てなど無いし、警察はいつでも手遅れから捜査を始めるしかない。
避けられる話か?というと、案外と避ける手立ては無いのかもしれない。(恐ろしく手間が掛かるから、そして、情熱というか、ものすごいやる気がある「大した根性」がある人がいないだけで)
それにしても、犯人を探し出すと決めてからの割り出しの早いこと早いこと。今の時代はデータが全て揃ってるし、何かを少し操作してもそれがすぐバレる時代なんだなとつくづく思わされます。条件をうまく掛け合わせればデータの組み合わせであっという間に犯人が割り出せる。

ですが、一方であまりにもデータが揃いすぎてるからこそ、物量は極大化し、人は部品化して、巨大なシステムの中に組み込まれる。その中で、人は部品化したことに悩み苦しみ、そして身を投げる。例えば、AppleのiPhoneを受託製造している鴻海でも2011年に投身自殺が大きな問題になりましたよね。あまり言いたくはありませんが、そんなAmazonもあまり良い噂は聞かないわけです。優秀かどうかはさておき、人材が使い潰されるなんて話は枚挙にいとまがない。倉庫内作業の動きが悪いと、会社の端末で自動的にクビになるなんてシステムまであるわけです。(なので、「倉庫内作業でのパフォーマンスが高い人」という条件で一気に内部の犯人を割り出せてる皮肉)
ダッシュボードに表示されるKPIである配送の効率が70%を切らないように…とかもまさにそういう描写なわけですが、外資系企業のマネジメントはまさに、人が、アナログで行う作業をデジタルでわかりやすく管理して、問題には迅速に対処してKPIが落ちないようにするわけです。また、デリファス社の掲げる「カスタマーセントリック」などのビジョンも、世の中ではカスタマーファーストとかとも言うわけですが、これもまた、エレナが途中で指摘するように、外資系企業ではよくあるレトリックであり、何かがあっても、どのようにでも説明出来てしまう、しなくては生き残れないというのが、これも海外企業あるあるなのだよなあと。
このあたり、脚本の野木さんはよく取材してうまく脚本に入れ込んでると思う。

「爆弾入りの箱を思わず、開けてしまいました」のシーンは昔のドラマ、踊る大捜査線の2話を思い出しました。(あのドラマではトイレに行けてなくていかりや長介がえらい目に遭う)
箱を開けてしまうすんでのところで、エレナが気がつく、というのはまあ、本当にエレナが睡眠不足で変なテンションで気が立っていたからこそ、気がついたのだと思うことにしますが、普通なら開けてしまうところなんでしょうね。(エレナが何かスイッチが入った気がしたというのは勘が良すぎるし、視聴者と犯人しか、その開けた時の感触ってわかんない気もするんですけどねえ。)
このあたり、考察してる人の中には「舟渡エレナ共犯説」を推してる人もいて、世の中には深く考える人もいるのだなあと感心しました。確かに、舟渡エレナが共犯だったとしても、あまり大きな矛盾が生まれないくらいにはこの爆弾を開けるシーンは不自然なんですよね。このシーンがあるせいで、エレナのキャラクターや行動、言動に疑問符がつく。野木さんは敢えてそのようなお話にしてる可能性はありますね。
このシーンを起点にうまく孔からのデータ削除に関する追求を逃れてます。
そうすると、エレナは分かっていて爆弾とずーっと寝泊まりしていたということにもなり、かなりそれはリスキーでは?とも思うし、寝不足になるのもわからないではないですが。もし、共犯だったとすると、舟渡エレナの動機がわからないけどなあ…ガラクタのように使い捨てにされたことへの復讐?)
山﨑佑の情報を消したのはサラの指示だったとして…。

また、運送会社の親子のうち、息子に至ってはこの一連の騒動で2回も死にかける目に遭ってるわけで(お守りで無事というなかなかの描写)本来なら訴訟モノでしょうが、個人の配送会社だとなかなかそんな話にはならないんでしょうね…。この親子が全編で運送会社の闇というか辛さを訴えかけてきます。
息子は過去に日本の洗濯機メーカーで働いていたことが描かれますが、ここ20年で日本の産業構造は大きく変わり製造業は国内で減り、サービス業へのシフトが進んできました。一方で、賃金は上がってないということもよく言われており、特に運送業は厳しいはよく言われてきました。
洗濯機は最後の最後に活躍しますが、でもだからこその切なさが募ります。
また、やっさんは死んだじゃん、のやっさんが、山﨑佑の父なのでは?という考察も見かけました。劇中で描かれている内容からは断定しきれませんし、推定するしかないのでしょうけど。このあたりまで描くには尺が足りなかったということなんでしょうかね。

筧まりか、被疑者死亡でこの事件は幕を閉じるのでしょうが、そこまでも描かれないまま、エレナが葛藤の末、最後は晴れ晴れと退職し、コウがセンター長になり…というところで不穏な形で映画は幕を閉じます。
「爆弾はまだある」というエレナの一言がどういう意味を持つのか?というところは、その真意は明確にならずに終わります。

映画を通じて、たいして根本的な問題は解決されないわけです。
大きなシステム、プラットフォーマー、GAFAMたちを人々は持て囃してきたわけです。実際、便利ですからね。利用しないという選択肢がない。映画でもやはり、それはその通りで、超大都市東京で、ぐるぐる回る配送網を止めるなんてことは簡単なことではないし、そんな配送網の仕組みを構築しているプラットフォーマーをどうにかするというのも難しいわけです。
そして、彼らの作り上げた巨大な仕組み、プロセス、流れに、「人の感情」とか志ははっきり言えば、邪魔なんですよね。感情的にならずに、仕組みをうまく使う側に回って淡々とこなすことが一番効率的だし、効果的なんですよね。でも、心を殺すことができない人というのは往々にしているわけです。2年以上続いた人がいないなんていう、離職率がなぜ高いのか?ということを件のプラットフォーマーは考える必要も無いくらいに仕組みがうまく出来上がっているわけです。(ある人が辞めれば、また代わりが次々に採用される)

エレナは劇中、序盤から後半手前に至るまで感情を押し殺して、「デキるセンター長」を演じ切ろうとするわけです。(このあたりの満島ひかりの細かな演技が最高ですよね。根が真面目な彼女のキャラクター、本当に活きてますよね。)

一方で、そんな「仕組み側の人」としてサラというデリファス社の本社の人が少し出てきますが、このサラも日本法人代表(ディーン)がエレナに責任を押し付けようとしてる時に間接的にエレナを庇ってたりするんですよね。(細かすぎてわからないカモですがサラは本当に、最後の間際までエレナにチャンスを渡せればとは思ってたのではないかなとは感じますね。)
あと、ディーン・フジオカって本当、こういうキャラ、似合いますよね…。(「正直不動産2」でも思いましたが)彼もまた大きなシステムの中でもがいてる1人なのかなとも思いましたが。

それにしても、あれだけ巨大なフルフィルメントセンターで、「社員は7人です残り200人は日雇い」とか、効率よすぎて泣けてきます。
日雇いシステムやバスなどの仕組みも大変によくできています。また、日雇い労働者たちがスコアリングされているのもなかなか怖いものがあります。
配送業者のおじさまたちが「こんな少ない料金でやってられるか!」と怒るのもわからないでもない。あと、お金にもならない再配達の悲哀ね。実際、もっと再配達にお金が掛かるようになれば、人々は置き配袋などを用意するんだろうなとは思います。コンビニなどでも受け取れるようになってきてますしね。(そのうち、再配達しますか?その場合は¥300かかります、とか聞いてくるようになるんだろうな)
ちなみに、アメリカでは配送料金はもっと高いんですよ。あと、国土広いから全然すぐに届かない。翌日配送なんて、殆どありえない。翌週配達なんてザラです。
日本は安いし、超早い。Amazonも楽天があるから、コスト競争せざるをえない。
配送会社ではヤマトがAmazonとの取引を見直したりしていましたが、それが正しい判断だと、言い切れてしまうくらいにはAmazonのような GAFAMの強さって、実際に際立つんですよねえ。

そういえば、作中の「ベリフォン」だけはAmazonがやりたくてもうまくいかなかった施策で、そこは興味深かったですね。Amazonはfire phoneを鳴物入りで発表して、スマホ市場に乗り込みましたが、さっぱり売れずに市場から退場し今も再参入は果たせていません。(その代わり、アレクサでスマートスピーカー市場ではシェアを握るに至りますが、あまり儲けられてはないようですね。)

あと、冒頭からWhat do you want? (あなたは何が欲しいですか?)というデリファス社の広告が出てきて最後まで出てくるわけですが、これは人々の欲望に問いかけているわけですね。人々が欲しいがままに、欲しいモノを安く買う。
デリファスは顧客視点だと言って、輸送業者の輸送費用を買いたたく。でも、「結局、輸送業者の人たちもまた(デリファスの)顧客である」という視点は忘れられてるんじゃないかな、とは思いましたね。
最近ではステークホルダーというのは納入業者も含めてステークホルダーだと考えるのが一般的になってきました。AppleでもUNIQLOでも巨大なグローバル企業はサプライヤーに対して、コードオブコンダクトというルールを敷いていたりして、児童労働を禁止したり、納入業者への監査をしたりしていますね。(だからといって、コストアップを簡単に許容してくれるという話ではないんですけどね。)
消費者には欲望のままに購買行動をとらせる一方で、システムの中で働く人々の幸せは考えられておらず、ひたすらに仕組みをうまく回せ、という人間性の喪失したプロセスを回させているわけですね。こうした皮肉が、やるせなさを思わせるラストに集約していくから、この映画は観終わった後も、もやもやするのかもしれません。

オッペンハイマー

2024-04-28 12:50:00 | ★★★★★
やっとオッペンハイマー観られた。
IMAXではもうやってなくて悲しみつつ…
これ、IMAXで観たらもっとググッと来るところ、いっぱいあったなあ…
とはいえ、普通に観ても十二分にぐいぐい来る映画だった。
あくまでも彼の映画で、描いている部分と描かれていない部分がある。
赤裸々なシーンもありつつも、案外と原爆の威力を確認するシーンではそれそのものは描かれなかった。

私は別段、広島や長崎のシーンを描くべきとは思わなかったが、現地の様子のフィルムを目にしたのであれば、そこは直視して映して欲しかったようにも思う。
彼が罪の意識を感じた根源はまさにそこにあるはずであり、実は一番重要なシーンだったのでは?とは思う。
ただ、そのフィルムを直接的に映してしまうと映画のフォーカスはズレてしまう。
これは難しい問題で、だからこそ、日本でも論争になったのだとも思う。
多くの米国人にとっては真珠湾は忘れないが、広島・長崎はどうだろうか。
日本人もまた同じで自分達がしたことは忘れている人も多いかもしれない。

全部を覚えておくことは出来ないにしても、互いに知っておく必要があることはあるのだろう。
岸田首相が国賓待遇で招かれた晩餐会でのスピーチで彼は6回、最後の最後にまで、広島の名前を口にした。
これはなかなか出来ることではないだろう。
アメリカ人大統領が日本の晩餐会で真珠湾を何度も口にすることはないであろうことを考えると、その関係からしてもなかなかに考えさせられるものはある。

この映画が描きたかったのは何だったのかなあとは考える。
ストロースはオッペンハイマーを引きずり落とすために策を弄したことにより閣僚になれなかった。
オッペンハイマーの名誉は回復された。
しかし、とは思う。そして、不穏に映画は終わる。

世界を焼き尽くすだけの力を人類は得てそれを2度使った。
そして、さらに水爆に発展していく。
鑑賞後、テラーの生涯などを知ると、オッペンハイマーとは対象的であり、そして、20年前までは存命で最後まで核開発推進論者であったと知り慄然とする。
科学者はその自らが開発した成果物を想像して良心の呵責を感じるべきなのか、否か。
こればかりは人によるのだろう。
ノーベルはダイナマイトを開発した、と劇中では述べられている。
核開発に逡巡した人たちもいた。

アメリカの論理からすれば、本土決戦にならなかったことにより、アメリカの人民の命は救われた、とも言え、それは確かにそうなのだろう。
グローブス少将の主張した通り2回落としたことで日本は降伏したとも言えるのだろう。

恐ろしい核爆発や東京大空襲の下で何が起こったのか、克明に描かれる映画がハリウッドで作られることは今後もあんまり無いかも知れない。
インディジョーンズのクリスタルスカルなんかで描かれたような馬鹿げたシーンが描かれなくなれば良いなあとは思う。
クリスタルスカルのシーンは科学的におかしい。
そんな細かいことを娯楽映画で言うなよと思うかも知れないが、核を描くのならば、そこには厳然たる覚悟を持って描いて欲しいとは思うのですよね。
後世の無邪気な人が勘違いしないようにね。

8/6、8/9、8/15を日本人は忘れないと思うが、米国人が12/8や9.11を忘れないのもまた然りなのよね。

オッペンハイマーできのこ雲としてでも広島、長崎が表現されなかったのは良かったのかもしれない。
なぜなら、きのこ雲はあくまで米軍機からの視点でしか見ることができない映像でしょう。
つまり、米国の視点なんですね。それは本当にリアルではないわけですね。被爆者にとっては。
痛みを伴う表現こそが、焼け爛れた皮膚の被爆者たちの映像であり、直視に堪えないものだったはず。そこを描き切ることもできただろうけどノーランはそれはしなかった。あくまで、オッペンハイマーの視覚や想像の中で起こるものが描かれた。

ここを捨象するのか、拾うのかで映画のトーンはものすごく変わったと思う。なんなら、多くの米国人は直視出来なかったと思われる。(=興行収入にダイレクトに影響)米国人もヒューマン系と思って観に行ったらとんでもない映像出てきたらやはり物議になるだろうし避ける人もいるだろう。
戦後オッペンハイマーが反核に近い立場を取ったのは放射能によって何が起こるかを本当の意味で理解したからだと思うのですよね。その他の人たちは本当の意味では理解してない人が多かった。この差分を表現するためには、やはり被曝のフィルムを映画に収めない、というのが選択になりえるのよなあ…

直視せよ!と思う人が多いのは当然と思う。いつの日か、そうした作品が出てくることを切に願うばかり。オッペンハイマーはまさにその途中の作品なのだと思えば、これはこれで大変に意義のある作品だと思える。米国民の原爆に対する意識はまさにきのこ雲であり、それをTシャツにするくらいなので。

この手の話になると思い出すのは核の街、プルトニウムを作ったアメリカの街に留学した子の動画だ。アメリカと日本の認識の差分はかなり大きいことがわかる。
そのほかにもウルヴァリンやダークナイトライジングでも被曝シーンの出来は酷い。ちょっと強力な爆弾みたいになってる。出すならばちゃんと描いて欲しい。











ある男 ★★★★★

2024-03-03 11:35:52 | ★★★★★
ある男

(以下映画.comより)
芥川賞作家・平野啓一郎の同名ベストセラーを「蜜蜂と遠雷」「愚行録」の石川慶監督が映画化し、妻夫木聡、安藤サクラ、窪田正孝が共演したヒューマンミステリー。

弁護士の城戸は、かつての依頼者・里枝から、亡くなった夫・大祐の身元調査をして欲しいという奇妙な相談を受ける。里枝は離婚を経験後に子どもを連れて故郷へ帰り、やがて出会った大祐と再婚、新たに生まれた子どもと4人で幸せな家庭を築いていたが、大祐は不慮の事故で帰らぬ人となった。ところが、長年疎遠になっていた大祐の兄が、遺影に写っているのは大祐ではないと話したことから、愛したはずの夫が全くの別人だったことが判明したのだ。城戸は男の正体を追う中で様々な人物と出会い、驚くべき真実に近づいていく。

弁護士・城戸を妻夫木、依頼者・里枝を安藤、里枝の亡き夫・大祐を窪田が演じた。第46回日本アカデミー賞では最優秀作品賞を含む同年度最多の8部門(ほか最優秀監督賞、最優秀脚本賞、最優秀主演男優賞、最優秀助演男優賞、最優秀助演女優賞、最優秀録音賞、最優秀編集賞)を受賞した。
(以上映画.comより)

Amazonプライムで鑑賞。事前情報を全く入れずに観ました。日本映画賞総なめしてたんですね。
それすら知らずに観ましたが、面白い作品でした。

テーマにも触れますので、ネタバレもあるかもしれませんのであしからず。
傑作!とまでは言いませんが非常に面白くよくできた映画だったと思います。

簡潔に言えば、日本社会に広く通底する差別や偏見が生むアイデンティティクライシスのお話でした。
冒頭から気になる引きで始まりましたが最後まで緊張の糸はほぼ切れず、この話はどこに着地するんだろうと思いながら、不穏な感じも残しながら最後まで引っ張ってくれました。出てくる役者さんがベテランも若手も含めて非常にバランス良くレベルの高い演技を見せてくれました。

ラストのシークエンスで、妻夫木演じる城戸までもが、他人の人生になりすまそうとしていて、なぜ?となりましたが、この映画の主題がアイデンティティだと思えば、それはすごく納得感がある終わり方だと思わされたのでした。

劇中、城戸は大祐の人生を追いかける過程で、自分の義理の親からの発言や獄中の男からの発言により、自己のアイデンティティに向き合わざるを得なくなる。
そして、また、その調査の中で浮き彫りになっていく大祐の過去を城戸による調査報告として知ることで、里枝の息子もまた、アイデンティティで苦しむ。ころころ苗字が変わる自分は果たして何なのか?と。
大祐もまた、殺人者の父を持ち、その様を目の当たりにしたことで消えないトラウマを心に抱え、鏡に映る父に瓜二つの自分の顔に戦慄し続けている。逃げても逃げても追いかけてくる亡き父の影に怯える。そして、「何かのきっかけ」で他人の戸籍と交換し人生をリセットする。(しかし、作中ではその何かのきっかけは

自分を自分として規定しているものが戸籍なのか、親なのか、それとも国籍なのか、家族なのか、妻なのか、それとも妻の両親なのか。自分の実家なのか。はたまた、遠い遠い三代も四代も前の祖父や曽祖父なのか。

人殺しの子はやはり人殺しの子だからといってお天道の下を歩けず、人から蔑まれないといけないのか?
在日朝鮮人の子どもは何代かかっても本当の意味で帰化できないのか?謂れのない差別を受け続けなくてはならないのか?
苗字は自分の意思ではないところでどんどん変わってしまい、それでも苗字が自分を構成する要素なのだとしたら、自分は一体何者なのか?そして、それを他人にどうやって説明すればよいのか?

現状、この衰退していく中で極右化が進み差別と偏見の蔓延する日本社会の中で自らの出自や己は何者か?と言ったアイデンティティで苦しむ人たちがそれぞれに結論らしいものは出せず、それでも自分たちなりに自分とケジメをつけて、折り合いを付けながら歩いていくしかない。
どこまで逃げても自分は自分で変えられず、逃げられない、しかし逃げることによって得られた幸せも確かにあった、という話とも思いました。



余談ですが、
多数の死傷者を出した連続ビル爆破事件の指名手配犯 桐島聡が偽名で日常を過ごして、存命かつ、自分の身分を名乗ってから、逮捕もされず、亡くなるという事件が最近ありましたね。結果的にその彼は、人生の大半を偽名で生きて働いていたことが明るみになり、意外と東京都に近いところで、全国指名手配にも関わらず、ずーっと偽名で生きていました。
最後の最後に「桐島聡として死にたかった」と病院で証言したと言われています。
まさにその人のアイデンティティは何だったのか?という話でもあったと思っています。
(勿論、多くの人を殺したから指名手配になっていたわけで、逃げていたこと自体、褒められることではないわけですし、犯した罪を彼は逃げずに司法の場で裁かれ、償うべきだったと強く思います。)
そういう意味では映画の描いた主題に少し近いようなお話なのかなとも思ったのでした。
原作小説や映画が描いているのは、少し違っていて、本作の主題は「偏見や差別が起こすアイデンティティの問題」ではあるので、ずれがあるんですけどね。


THE FIRST SLAM DUNK ★★★★★

2023-05-07 15:08:33 | ★★★★★
これはすごい作品だわ。
TOHOシネマズ新宿で22年末に友人たちと鑑賞。
アニメでここまでスポーツを描けるものなのかと驚愕しました。

バスケットボールのアニメ作品としてこれ以上の作品は出てくるのだろうか。
漫画作品としてはいまだにスラムダンクは金字塔だと思うけども。
アニメとしてはこの作品を超えるのはなかなか難しいくらいすごい表現の目白押しだったと思う。
あらすじは色んなところでも言われているので触れませんが、個人的には宮城をフィーチャーしたのは支持しますね。
掘り下げ方も好き。
あまり描かれることが無かった彼の内面や生き方が色々と描かれていて好感が持てました。
声優総入れ替えで物議を醸していたけど、それでも全然いけたかな。
脳内置き換え余裕でしたが、それは初代アニメの声で何回も漫画読んでたからなんだろうな。
漫画スラムダンクは買ったことはないくせに何回も色んなところで読みすぎて相当覚えてたな…。
当時としては相当頑張ってた初代アニメを美しく超えていきました。

文句ある人は一度観てみたらと思うくらいには素晴らしい作品でした。

エルピス 希望あるいは災い

2023-03-09 00:37:44 | ★★★★★


連ドラのレビューはあんまりやらないのですが、Amazonプライムで全話一気見鑑賞したので少しだけ。
1話は冒頭、だるかったのだが、途中からだんだん加速していく流れに目が離せなくなった。まさに連続ドラマでなければやれない展開。後半、ありきたりな展開にいくのかなと思いきや、そこは割と現実的な、ハッピーエンディングでもない着地へと向かう。
パンドラの箱を開けた先には希望があったのか、それとも…ということをタイトルで既に言ってしまってるわけで、「パンドラとは何か」も割と早い段階から目配せがある。
ありきたりな展開というのはまさに最近のドラマでよく見る揉み消したのは国の中枢…といった権力側との対立構造である。エルピスではこの権力側に立つ者として鈴木亮平演じる政治部の斉藤を配しているが、彼がまた絶妙な佇まいなのである。他のドラマのキャストとは全く違う空気を纏えている。(他のキャストは基本、バラエティ系という設定があるから、というのもあるのだろう。)
テレビ局が政治部を上層として報道、バラエティというヒエラルキー構造にある、というのは言われてみるとそんな気もするが、なかなかピンと来ないもの。マスコミの本来の役割を考えれば納得と言えば納得なのですが。

また、このドラマはエンディングクレジットで9冊もの参考文献が紹介されていることでも話題となった。以下の書籍だ。

 「冤罪 ある日、私は犯人にされた」(菅家利和)
 「訊問の罠 足利事件の真実」(菅家利和、佐藤博史)
 「殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件」(清水潔)
 「足利事件 冤罪を証明した一冊のこの本」(小林篤)
 「刑事弁護の技術と倫理 刑事弁護の心・技・体」(佐藤博史)
 「冤罪 足利事件『らせんの真実』を追った400日」(下野新聞社編集局 編)
 「東電OL殺人事件」(佐野眞一)
 「偽りの記憶『本庄保険金殺人事件』の真相」(高野隆、松山馨、山本宜成、鍛冶伸明)
 「21世紀の再審 えん罪被害者の速やかな救済のために」(日本弁護士連合会人権擁護委員会編)

特に足利事件をモデルにした内容が大いに含まれている。

が、単なる冤罪事件モノというわけでもなく、マスコミの内部構造であったり、そこに働く人たちの群像劇としても観られる重層構造になった作劇。

長澤まさみはこれまでも様々な映画やドラマで主演を演じてきて、特に近年ではコンフィデンスマンJPでのコメディエンヌぶりが目を引く活躍。シンウルトラマンでもどちらかというとヒロインなのだが、コメディエンヌ寄りのキャラ設定であった。
目標とする女優は松たか子と公言してるが、今回は松たか子のように歌唱にも挑戦しておりエンディングテーマでは毎話変わるアレンジの中でボーカルを務めている。近年では3D CGアニメSingの吹替版でも歌を披露している。
今作では努力家でもあった落ち目のキャスターを演じているが、芯の強い、それでいて時に弱い女性を見事に演じている。
一方、もう1人の主演と言える真栄田郷敦は千葉真一の息子、新田真剣佑の弟ということでそうとは知らずに観ていて俳優として良い素質があるのでは、と感じさせました。芸事というのは観る者の感じ方に大きく依拠するところがあるので、親が誰かというのは割と大きな要素だが、その前情報を全く入れずに観ていたので、今調べてなんだか納得してしまった次第。良い役者さんになるだろうなあと思わされた。今回の役が母に過度に可愛がられていた息子という設定だったわけだが、そこもまた現実との面白い符号具合であった。
鈴木亮平は強烈な存在感で、いわゆるザ・テレビマンっぽくない豪胆な感じやダンディさを出し続けていた。普段から相当鍛えているのでは?と思わされるスーツの着こなし、立ち姿であった。
本作での白眉、1番美味しい役どころだったのは岡部たかし演じる村井だった。強烈な出立ちとセリフとで場をさらっていった。カラオケで毎週どんちゃん騒ぎするだけでなく、途中から芯があり、信念があり、報道魂を見せ始める。
この村井が動き始めるあたりからドラマとしては一気に面白さが出てくる。それは長澤まさみ演じる浅川と眞栄田演じる岸本が2人では超えられそうにない壁を越えることができたからなのだが、この辺りがドラマとしては最大にフィクションに近いところなのかもしれない。(実際、ああいうどうしようもないバラエティで調査報道パートが制作されることはあるのだろうか…と気になってしまった)最終話の浅川の本番前の斉藤との対峙シーンもまたフィクション感が凄まじい。10分の休憩という無理矢理な展開からの対決。ギリギリの駆け引きに痺れる展開でした。斉藤が最後に交換条件に応じるところで、大門?と電話で会話しているシーンが何とも言えない。浅川に妥協したところで、実質斎藤の負け。そして、でも、あと数分しかないところで、岸本がTV局のロビーにいるのが痺れますね。最後の最後まで、信じてその場に立ち続けることの意味を教えてくれます。

調査報道自体はTV番組でも見かけることが出てきたわけだが、時と場合によっては記者にも様々な嫌がらせがあろう。また、情報化社会で耳目を引く動画などに人々が群がる現代社会では、なかなかコストのかかる調査報道はウケづらいだろうし、ましてや政治の世界に手を突っ込むのはなかなかTV局からするとリスクなのかもしれない。

それにしても本作では冤罪事件において、誰もが蓋をしたがる構造であることが手伝って、本当に色んな形の妨害が入ってくる。そこに落ち目のキャスターの報道に対する意地とか、ぼんぼんの若手ディレクターののめり込み、過去の贖罪、そして没頭が拍車を掛けていく。劇中、どうしようもない状況に、部屋でまどろむ浅川や岸本のリアルな姿、全て終わった後の牛丼屋とか印象に残るシーンが多かったです。

最後の最後まで、厳しい戦いを強いられ続けるものの、最終話でなんとか一矢報いることができる、そんな話で、途中本当にダウナーな展開で重圧もあるのだけど、それでも…

すずめの戸締まり ★★★★★

2022-12-29 16:14:51 | ★★★★★

これはかなりの傑作になっているのではないでしょうか。新海誠作品の最新作。アマプラで12分ほどの本編映像のティーザーを観てしまったことでどうしても気になり、新宿のTOHOシネマズで観て参りました。土曜朝の回でしたが、かなり混んでましたね。新海誠作品でもついに○○(キャラ名)の△△(何か)といういわゆる「王道タイトル」での作品が出てきたなあと思わされます。

ネタバレしますのでまだ観てない方はここで読むのをやめてください。




色々と気になる目配せはあります。
特に、日本アニメ映画の大家である宮崎駿に対する目配せは2度3度出てくるわけですよ。
ビジュアル的にモロ・シシ神様的なミミズ、勤労少女描写、ユーミンのあの曲、と。
更に芹澤のオープンカーはOn your markで、と一体どれくらい宮崎駿作品へのオマージュ、ないしはインスパイアがあったろうか。
テルーの歌っぽいエンディングとか、電車に乗る猫という意味では猫の恩返し、宗像はハウルだったりハク(aka.千と千尋)だったりと…盛りだくさん。
元々、少女2人のムービーを考えていたというインタビューからも分かる通り、これはまさに魔女宅的な要素やもののけ姫的な要素が含まれているわけですね。(神をなんとか沈めるという話としては似通ってしまう要素があるのはまさにそうですよね。)
宮崎駿やジブリ映画への目配せがこれだけありつつ、思想的には真っ向から対立?するアプローチなのが面白い。
宮崎駿は戦争的なガジェットや舞台装置を好みつつも、左翼的だったり、反戦だったり、する思想の持ち主で(風立ちぬでしっかり描かれる) 神の捉え方もまた独特なところがあった。(それはもののけ姫と千と千尋で描かれる)
新海誠は割と、右寄り思想なのは以下のふせったーなどでも伺える。(そして、たぶん、左も右も作品のクオリティには関係無いとも思ってそう)

https://fusetter.com/tw/KXi4ajFr#all

https://fusetter.com/tw/livpWjp6


一方で10年ほど経ち、日本では3.11という題材をなんとか取り扱える時代にもなったわけです。なんなら主人公のすずめは震災経験者かつ、被災者で幼い時に母親を震災で亡くしている高校生なわけです。つまり、それくらい現実世界でもアニメ作品世界でも時間が経った、という描写が可能になり、直接的に地震の描写ができる時代になったということでもあります。
震災の記憶は時間でしか癒すことが出来ませんし、被災者の記憶は薄れることはないわけです。その意味ではなかなか東北の人には直視が難しいシーンも出てくるやもしれません。

日本ならではというのが、たびたび全国各地で起こる大きな地震であり、この20年で増えた廃墟であり、今も変わらず続く土着の神さまへの信仰だったり、神社や要石なのでしょう。本作のオリジナル要素でもある閉じ師と廃墟の扉という組み合わせもまた変に新鮮で面白さを感じました。
実際には地震大国であるのは火山国だから、というのが科学的な通説である一方で、こうした神道も絡んだかのような非現代的な描写や設定は「君の名は」「天気の子」でもありましたが、面白いですね。少し不思議的なSF。

何度となく登場する描写である「地 スマホでの緊急地震速報のアラーム」などはその精度や頻度からくる利用度や必要性から考えてもまさに日本独特ですよね。
こうした日本独特の文化や生活感が随所に出てくるのもまた、描き込み上手と言えるのでしょう。(音を変えているとは言え、ドキッとする人も多かったかもしれませんね。)

日本は先進国でしたが、いまや衰退国であり課題先進国と言われています。人口は少子高齢化と都市への集中、晩婚化、GDPの減少などの複合要因で減り続けており、高度経済成長期に作られた様々な建物が廃墟と化しており地方では社会問題となっています。3セクが作ったような箱物も急激な人口減により、かなり無用の長物化しており、次から次へと寂しい場所が生まれていっているわけです。そんな苦しい地方の各都市に、忘れられたような扉があって、そこと、死後の世界的な常世が繋がっているというのも、突飛ながらも面白い設定と言えるのでしょう。絵の美しさで、かなりアニメらしい表現ながらも、美しく描き切っています。(実写だとうまくいかない絵面ですよね。)
神戸と東北、そして東京を同じ地震をテーマにしたビッグバジェットムービーでそれぞれに市井の人々も含めて映し出した作品は空前絶後だったのではないでしょうか。普通は観客の反応が怖くて出来ないですよ、こんな絵。これで東海地方まで描いてたら色んな意味で怖すぎたろうなあ…四国は描いてるので南海地震は想起させるわけですが。
エンターテイメントにどうやって現実の本当に深刻かつ苦しい情景を入れるかは永遠のテーマかもしれません。普通は避けます。が、果敢に挑戦する人もいる。そんなことを感じた一作でした。

トップガン マーヴェリック ★★★★★

2022-08-17 22:01:31 | ★★★★★
トップガンマーヴェリック、これはヤバいね。IMAXで観られて感無量。

宇多丸さんのレビュー聴いていても経ってもいられなくて映画館来てよかった。

トム・クルーズの白眉はこの後にまだミッションインポッシブルも控えてるところよね。それにしても…もう60歳なのにあの肉体美、若々しさ、映画作りに賭ける情熱、執念…伝説を劇場に観に行ってるんだな、と思うほかない。

IMAXレーザーで観てよかった。無理して出てきてよかった…昨年グランドキャニオンの帰りモハヴェ砂漠で砂嵐に遭ったのだけど、そんな砂漠から話が始まるので勝手にテンション上がった。第五世代戦闘機から第六世代戦闘機の流れを知ってた方が、よりトップガンは楽しめるのね。もう少し技術的な背景は理解した上で観るべきだったかな…第4世代戦闘機と第5世代戦闘機には音速戦闘の面ではあまり差が無いのね。一方でドッグファイトをする機会というのは劇的に減っているので、それを前提とした戦闘機ではなくなってきている、というのがなかなかに興味深い。F-18関連のwikiを読んでると米軍ですら空対空戦闘は殆ど機会がなく、F-18ですら就役から10数年でようやく初のドッグファイトだった、という記述をみると驚く。むーん、殆ど爆撃とかがメインミッションなのね。

あまりに機会が無いから敵機撃墜自体が戦闘機乗りのステータスになる、ってのがなんともはや。
確かに敵機に見つからずにドッグファイトもせずに、爆撃完遂して離脱するのが1番だものなあ…序盤にドローンの話が出るが確かに戦闘機乗り、自体が時代遅れになりつつある、ってのはそうなんだろうな…冷戦構造ですら、そうだったのだからいわんや、いまをや、ということか。

CGバリバリ全盛の時代に敢えて本格的な空戦の撮影に拘りぬいたのが、また泣かせると。
映画撮影におけるリアル追求と、戦争における戦闘機乗りの腕前追求が見事にダブるのね。日本には飛行機乗りという括りで更に高齢の方も。うーん、限界が無い世界というのもあるのだな。自衛隊だと最近墜落したとされるF-15のパイロットが52歳で自衛隊最高齢パイロットだったという記事があった。大体それくらいよねえ。

良い解説記事を発見した。

https://eiga.com/movie/91554/review/02816174/

ネタバレなので、観た人だけ。それにしても、これくらいの事前知識が無くても楽しいけど、あったら尚楽しいだろうな。

敵が謎すぎじゃないか?という話があったが、このご時世、ここまで徹頭徹尾、どこの国か分からなくしたのはむしろ僥倖だったのでは?明確な人死は描かなかったのも良かった。戦闘機もほぼパラシュート脱出してたし。戦闘ヘリくらいかな?脱出不可能っぽかったのは。

トップガン一作目は、まさにお話のフォーマットとして鉄板になって後年、類似のお話が様々な形で作られた。が、元ネタは「愛と青春の旅立ち」という別の映画なんですねえ。
日本でこのフォーマットで成功したのは海猿。と思ったらナタリーは伊藤英明にトップガンネタでインタビューしてた。

https://natalie.mu/eiga/pp/topgunmovie03

伊藤英明自身がサンディエゴにも旅行するほどトップガン好きってのが面白かった。

トップガン一作目を改めて観た。
2作目の後でもお話はしっかりしてるので観られる。
ただ、編集の面では素直にやはり撮影技術の差は感じる。カット割のテンポとか音楽の使い方はやはり時代が出る。
あと、やっぱり編集の繋ぎ方やコックピット内のリアルさという面では2作目が圧倒的。2作目の「上位互換感」は抜群。
改善/改良というのは1作目の難点を全て克服して初めて改良というのだ、というのをまざまざと見せつけた感じ。

シン・エヴァンゲリオン ★★★★★

2022-08-17 21:44:33 | ★★★★★
映画 シン・エヴァンゲリオン 劇場版
なるほどなあ、と納得。今作は相当わかりやすかった。解説や考察をあれこれ、一通り読むと解釈が人によって違うのがよくわかる。映像からしか判断できないことも多いものなあ…でもこれで長い長い長い「もやもや」が晴れて少し寂しいながらも一区切りついた感じがする。それにしてもついにちゃんと向き合ったのか、という気はする。Qからどう続けるのか気になってたけど、きちんとQの落とし前をつけつつ、長らく気になっていたことにようやく向き合った。
具体的には碇シンジというよりはゲンドウ側の話にフォーカスしたのが良かったのだと思う。子による父殺しの物語というのはありふれてるからか、展開としては父殺しでもないところは今風なのかもしれない。

鬱展開の後、ラスト2話で謎な展開が続いたTV版最終回。
その後の期待された旧劇場版でも結局は視聴者が観たかったものではない謎展開で観客はみんな置き去りになってしまった。
思わせぶりな謎や難解設定ワードを数多く作り上げつつ、新劇場版も完結まで足掛け14年?も掛かってしまった。25年前、TVアニメ版を観ていた時、わたしはそれこそ中学生だったが、今では子どものいるいい歳したおっさんになってしまった。
毎度毎度気になっていたのが、碇ゲンドウや冬月、ゼーレの面々の目的やその手段の謎具合が激しく、旧劇場版では碇ゲンドウは「ユイと出会う」という目的を達成するも、LCL化してしまい、息子であるシンジとの間の距離は縮まらないままに終わってしまっていた。そもそも、エヴァンゲリオン という作品世界では父親は常に息子への理解が無く、息子を突き放す存在として描かれてきた。そのことそのものが、シンジの中の空虚感にも繋がってきたし、「父親に認められたくてエヴァに乗る」というシンジの動機を物語として生み出してきた。
そんなずーっと距離しか描かれてこなかったゲンドウとシンジは今作では対話を通じて両者の「理解」は進んでいるとも言える。そしてこれこそが、エヴァンゲリオン に不足していた物語ではあったのだと思う。
日本のアニメでは例えば、ガンダムでも父親は殆どいつも理解が無いことが多かったとは思うが…(アムロにはテム・レイが居たが、アムロの良き理解者というわけでも無かった) ジブリアニメなどでも父親が肯定的に描かれることはあまり無かったように思う。昔のアニメだと巨人の星での星一徹のような極端な例もあるが、時代とともに父と息子の在り方も変わってきている。
ゲンドウの場合、今作では明確にほぼ全ての心情を明言して吐露しているため、大変わかりやすい。ユイに恋に落ちるまで、そして、その後の葛藤も含め、細かく描かれている。そして、その葛藤や迷いがシンジを遠ざけた理由であることも語られる。

この世界の片隅に ★★★★★

2020-08-15 02:12:20 | ★★★★★
昨年、とあるニュースを見た。

・アメリカで原子爆弾のためのプルトニウムを製造した場所にある街に留学した女子高生の話だ。
・その街では原子爆弾は戦争終結のために必要不可欠だったもの、戦争を終わらせることにこの街は貢献したのだと、原子爆弾によるきのこ雲そのものを非常にポジティブかつ前向きに捉えており、きのこ雲をあしらったTシャツすらある。
・この街にたまたま留学した女子高生が日本における原子爆弾がいかな存在であるかを涙ながらに訴えた、という話だった。

https://www.nishinippon.co.jp/sp/item/n/533053/


アメリカという文字通りのアウェイにおいてのこの勇気ある行動は称賛されて然るべきだが、実際に自分が留学生と同じ立場に置かれれば同じ行動を冷静にきちんと取れるかは甚だ怪しいところはある。

アメリカという国に住んでいると、75年前にもなる日本との戦争における勝利は輝かしい戦史の1ページとして描かれており、自国の軍隊や退役軍人もまたポジティブに国を守る存在として捉えられている。(日本で自衛隊が微妙な立ち位置であることとはかなり異なる)

「日本から見たアメリカとの戦争」と、「アメリカから見た日本との戦争」は大きく異なるものであり、たとえばカリフォルニア州サンディエゴにあるUSS ミッドウェーは今は戦史博物館となっており、日本にとっては不名誉なミッドウェー海戦における華々しい戦果を称える博物館になっている。
同じ文脈で言えば、たとえば真珠湾攻撃は9.11と似た文脈で捉えられており、当時の帝国主義だった日本はハラキリ特攻のクレイジーな国として理解できない国としても捉えられている。

下記ニュース記事ではトランプ大統領は9.11やパールハーバーを同列に論じている。
https://www.aa.com.tr/en/americas/trump-covid-19-worse-than-pearl-harbor-9-11-attacks/1831790


もちろん、その後の経済復興と長年の同盟関係によってそうした歴史を実際に知る者は徐々に減り、直接歴史を後世に伝える人もどんどん高齢により、亡くなっている。
日本に対するそんなイメージは無くなり、その後の失われた30年によって、ジャパンアズナンバーワンと呼ばれた経済大国というイメージからも脱落し、今は中国の近くにある極東のエキゾチックな、飯が旨い物価の安い、アニメ大国くらいになっている。
しかし、日本が世界にも類例の無いアニメ大国になったことにより、ポジティブ面もある。

 先日ようやく北米版Netflixで「この世界の片隅に」を観た。劇場公開されてから自分が実際に観るまで、随分経ってしまった。
 日本がアニメ大国になったことによって、Netflixという、きちんとマネタイズされる手段で英語でもこの映画がアメリカで合法的かつ幅広く観られるようになっている。(実際にどの程度視聴されているかはわからないが)英語字幕で鑑賞することも可能だ。

それにしても強烈な作品だ。パッと見た感じ、ほんわかポップな絵なのに、物語の中ですごくあっさりと人が死んだりするので結構冷や冷やしながら鑑賞した。

事前知識を何も入れてなくても日本の近代の歴史をある程度知っていて、方言を知っていれば、この作品の舞台となる場所が広島近辺ということはわかる。
基礎的リテラシーさえあれば、この作品が何を描こうとしてるかは類推できる。私は鑑賞時の気持ちをしっかり感じたかったので、ほぼ予習無しネタバレなしで見た。結果として、ポップでほんわかな絵柄なのに物凄く怖い作品とも思えた。年代表示にいちいちドキドキする。
原爆ドーム(旧広島産業奨励館)が壊れる前の姿で出てくるところでビクってなった。
戦中を描いたアニメ作品ということで蛍の墓とついつい比べてしまうが、家族がいるからマシなのかもしれないが、戦争が悲惨であることには変わりが無かった。
広島がなぜ原子爆弾の攻撃目標だったのか、は呉の描写から納得感があった。

実際には原爆の効果を確認できるようにするために比較的無傷であることや、軍事拠点であることなどが挙げられている。

米国が広島に原爆を落とした理由
https://www.cnn.co.jp/world/35141021.html


原爆によって、7万人ほどが一瞬で亡くなったと言われている。
<引用>
原爆の爆発によって少なくとも7万人が殺害され、さらに7万人が被爆のために死亡した。「がんなどの長期的影響のため、5年間で合計20万人、あるいはそれ以上の死者が出た可能性がある」。エネルギー省はマンハッタン計画に関するサイトの中でそう記している。


◻️主人公と家族、人生観

戦前から戦中にかけての時代の空気感や雰囲気を非常に巧妙に描いている。主人公のすずはなんとなーく、知らない家に嫁入りするのだが、住所も知らぬままに嫁入りしたりするのはさすがにすずがぼーっとしすぎてはいるものの、それでも当時の結婚に至る流れは戦後とは大きく違う。自由恋愛などというものは存在せず、家と家の結婚みたいなところもあったわけで…。最後まで、どんな目にあっても家に居続けるすずが一見頼りないのに、たくましい。

◻️戦争作品として

戦争を描くのは色んな手法があるが、段々と戦争の足音が近付いていく姿を描きつつ、家族や当時の結婚も描き、さらに戦争時の日本の困窮までをも丁寧に描いていた。
戦争になるともちろん貿易が滞り、資源がない国である日本では真っ先に物資が不足する。日々暮らす人々には正しい情報はおりてこず、ひたすらに値上がりする日用品や食料、そして横行する闇市なども明るいトーンであっけらかんとして描かれる。(多分にすずの視点によるところが大きいのだろうが…)物の価格があがりつづけるインフレとなる中でも、誤って砂糖を蟻に食べられたり、水に沈めてしまったりと、すずの底抜けにドジかつノロマな様が何故か苛立ちを覚えさせない。この辺りはすずの声を演じたのん(能年玲奈)の力量の賜物ではないかと思った。

憲兵のシーンはヒヤヒヤしたが、そのあとに皆んなが笑い出すシーンでのほほんとした。憲兵もまた理不尽な存在だが、平時なら笑い飛ばせるようなことがなかなか笑い飛ばせない状態というのが普通の市井の人にとっての戦争なのだなと思わされるシーンだった。

◻️手を失う

主人公のすずにとって唯一といってもいい、娯楽が絵を描くことで、才能もあり、しかしその才能は埋もれ、日々の暮らしの中でなんとなく時間が流れてる中で戦争になり絵を描くこともたまの隙間時間になり、そんな中で戦火に遭って手を失う。
言ってみれば、自分の唯一の特技であり、ほんの些細な趣味まで理不尽に奪われて、不自由な一生を余儀なくされ、しかも救えなかった姪っ子のことをも一生背負っていかなくてはならないという重すぎる仕打ちを受ける。
戦争の理不尽さをパーソナルな問題と結びつけて描く上ではこの展開は不可避だったのだろうが、否が応でも観ている側にも憤りを感じさせるような展開だった。