シビル・ウォー アメリカ最後の日
新宿TOHOシネマズで鑑賞。
(以下、映画.comより抜粋)
「エクス・マキナ」のアレックス・ガーランドが監督・脚本を手がけ、内戦の勃発により戦場と化した近未来のアメリカを舞台に、最前線を取材するジャーナリストたちを主人公に圧倒的没入感で描いたアクションスリラー。
連邦政府から19の州が離脱したアメリカでは、テキサス州とカリフォルニア州の同盟からなる「西部勢力」と政府軍の間で内戦が勃発し、各地で激しい武力衝突が繰り広げられていた。就任3期目に突入した権威主義的な大統領は勝利が近いことをテレビ演説で力強く訴えるが、ワシントンD.C.の陥落は目前に迫っていた。戦場カメラマンのリーをはじめとする4人のジャーナリストは、14カ月にわたって一度も取材を受けていないという大統領に単独インタビューを行うべく、ニューヨークからホワイトハウスを目指して旅に出る。彼らは戦場と化した道を進むなかで、内戦の恐怖と狂気を目の当たりにしていく。
出演は「パワー・オブ・ザ・ドッグ」のキルステン・ダンスト、テレビドラマ「ナルコス」のワグネル・モウラ、「DUNE デューン 砂の惑星」のスティーブン・マッキンリー・ヘンダーソン、「プリシラ」のケイリー・スピーニー。
(以上引用終わり)
面白い。
なぜ面白かったのか?端的に言えば、今後のアメリカの、世界の分断を暗示しているから、ということになるのだろうか。
アメリカの文官統制は割と見た感じうまくいっているため、実際にはこのような事態に至ることは無いのかもしれない。
合衆国陸海空軍以外に州兵などが存在する仕組み上、全くあり得ないとも言えないがよほどの分断が起こらない限りは劇中で描かれるようなことは起こらない、とは思う。
アメリカという国に少しでも住んでみて思うことではある。
彼らは建国のために、そして、南北戦争で文字通り国を分断をして戦ったわけだが、それと同じようなことが起こるか?というと、どうだろうか。
日本で、地域別に起こる分断を考えても、イデオロギーが違いすぎて、地域別に分断が起こる、というのは考えにくいというのが実際のところではなかろうか。物質的にもアメリカは豊かになったわけで。よく指摘されているが、現時点ではアメリカのイデオロギー的にはカリフォルニアとテキサスは相容れない。が、劇中では共闘している。こうした作劇は敢えてこうしているそうである。
勿論アメリカは選挙のたびに国を二分して民主党と共和党が競うし、これまでは考えられなかったこと(議事堂襲撃事件とか)が起こったりもしてきたので、全く100%否定するのは難しくなってきている。(この議事堂襲撃事件やその他の事件でのトランプの責任が有耶無耶なまま、再び大統領選に出馬していたり、トランプが暗殺されかけたりとこれまた映画のような展開が現実にも続いている)
そんな、「もしも、アメリカが大きく分断したら?」という思考実験の映画ではあるが、あり得ないから面白く無いということは全く無く、今のところ、あまり起こり得ないと思われるけど、描かれているその現場というのは今、アメリカ以外の場所では起こっていること、起ころうとしていること、そのものなんですよね。
ガザ、イスラエル、レバノン、ウクライナ、ロシア、その他様々な地域で。
そして、映画は別段、ミリタリー的に、ポリティカル的、思想的にそうした対立の何かを解決しようという話では全く無いのでそこは注意が必要で、あくまで、プレス、つまり、記者たちがそのあれこれを現場で見て知って記録していく、という形を取っている。
映画として観た時には絵的にドーンオブザデッド風味とか、どうしてもしてしまうのは仕方ないところなんでしょうけども。
高速道路のカットとか、時が止まった街とか、「お前はどのタイプのアメリカ人だ」、とか。(ドーンオブザデッドのTVシリーズなどはアポカリプスなアメリカをかなり描き切ってしまってて、後の作品は困ると思うんですよねえ…)、そこを差っ引いてもアメリカの分断というissueを映像でわかりやすくエンタメとして表現して見せたところは喝采を浴びても良いのだと思います。
ネタバレします。
ニュートラルな視点を維持しつつも、政府はプレスを殺し14ヶ月もインタビューには応じないというトンデモ振りで、最後の際まで大統領は無様に描かれているし、そういう意味ではニュートラルとは言えないかもしれない。かなりトランプに寄せて作られたキャラ造形です。
結局、主人公たちはWFという政府とは対立している西軍側で従軍記者をやるわけですし。
大統領の最後の一言を得られたらあとは死のうがどうなろうが、知ったことでは無いというのも含め。
どうしても、大統領やその側近たちの言動に共和党的な香りがしてしまったのもまた致し方ないことなんでしょうね、今のアメリカを思えば。
また、キルスティン・ダンスト演じるベテランカメラマンであるリーが撃たれるシーン以降も、取材は継続される様は何とも言えないところがある。
鑑賞後にピリリと痺れるケレン味があるのはこの辺りだろうか。従軍記者たちも歴史的なシーンを撮影しているという自覚があるからこその緊張感の継続なのだと思う。
この映画はジリジリと後半に向けて不穏さが増していくが、序盤のシークエンスで十分に不穏だ。この先にはデスしかないぞ、とサミーが警告する例のイヤなシーンと同じくらいやばい瞬間に遭遇しているが、事も無げに振る舞うリーとそれを見てヒリヒリして思わずカメラを向けてしまうジェシー。この最初のシークエンスから既にやばいわけですよ。リーは後少し、ジェシーを引き倒すのが遅れていれば自分が爆発を食らっていたわけで…。そんな間一髪が続くんですよね。結局。それは決して普通のことではないけれど、それにいちいち動じていたら、良い写真は撮れないわけですね。この皮肉。
ガソリンスタンドでの給油時に、ジェシーはカメラを向けることすら出来なかった瞬間がありましたが、そんな危機一髪なところでも、まさに動じないわけですね、リーは。
逆にリーはどうして、最後のシークエンスでホワイトハウス突入前までかなり腰が引けていたのか?は気になるところでした。正直、あそこまで激しい陸上戦闘に従軍するとなると、命の覚悟は必要でしょうし、もっと前から覚悟していたであろうリーがなかなか飛び出せないというのはきちんと、サムの死を受けて、きちんと写真を世に出したいと思っていたからなのかもしれません。ここは解釈が分かれますね…。
以下は監督のインタビュー記事ですがこうした記事を通して作品の描きたかった世界観がよく見えてきます。
https://www.cinra.net/article/202410-civilwar_iktay
新宿TOHOシネマズで鑑賞。
(以下、映画.comより抜粋)
「エクス・マキナ」のアレックス・ガーランドが監督・脚本を手がけ、内戦の勃発により戦場と化した近未来のアメリカを舞台に、最前線を取材するジャーナリストたちを主人公に圧倒的没入感で描いたアクションスリラー。
連邦政府から19の州が離脱したアメリカでは、テキサス州とカリフォルニア州の同盟からなる「西部勢力」と政府軍の間で内戦が勃発し、各地で激しい武力衝突が繰り広げられていた。就任3期目に突入した権威主義的な大統領は勝利が近いことをテレビ演説で力強く訴えるが、ワシントンD.C.の陥落は目前に迫っていた。戦場カメラマンのリーをはじめとする4人のジャーナリストは、14カ月にわたって一度も取材を受けていないという大統領に単独インタビューを行うべく、ニューヨークからホワイトハウスを目指して旅に出る。彼らは戦場と化した道を進むなかで、内戦の恐怖と狂気を目の当たりにしていく。
出演は「パワー・オブ・ザ・ドッグ」のキルステン・ダンスト、テレビドラマ「ナルコス」のワグネル・モウラ、「DUNE デューン 砂の惑星」のスティーブン・マッキンリー・ヘンダーソン、「プリシラ」のケイリー・スピーニー。
(以上引用終わり)
面白い。
なぜ面白かったのか?端的に言えば、今後のアメリカの、世界の分断を暗示しているから、ということになるのだろうか。
アメリカの文官統制は割と見た感じうまくいっているため、実際にはこのような事態に至ることは無いのかもしれない。
合衆国陸海空軍以外に州兵などが存在する仕組み上、全くあり得ないとも言えないがよほどの分断が起こらない限りは劇中で描かれるようなことは起こらない、とは思う。
アメリカという国に少しでも住んでみて思うことではある。
彼らは建国のために、そして、南北戦争で文字通り国を分断をして戦ったわけだが、それと同じようなことが起こるか?というと、どうだろうか。
日本で、地域別に起こる分断を考えても、イデオロギーが違いすぎて、地域別に分断が起こる、というのは考えにくいというのが実際のところではなかろうか。物質的にもアメリカは豊かになったわけで。よく指摘されているが、現時点ではアメリカのイデオロギー的にはカリフォルニアとテキサスは相容れない。が、劇中では共闘している。こうした作劇は敢えてこうしているそうである。
勿論アメリカは選挙のたびに国を二分して民主党と共和党が競うし、これまでは考えられなかったこと(議事堂襲撃事件とか)が起こったりもしてきたので、全く100%否定するのは難しくなってきている。(この議事堂襲撃事件やその他の事件でのトランプの責任が有耶無耶なまま、再び大統領選に出馬していたり、トランプが暗殺されかけたりとこれまた映画のような展開が現実にも続いている)
そんな、「もしも、アメリカが大きく分断したら?」という思考実験の映画ではあるが、あり得ないから面白く無いということは全く無く、今のところ、あまり起こり得ないと思われるけど、描かれているその現場というのは今、アメリカ以外の場所では起こっていること、起ころうとしていること、そのものなんですよね。
ガザ、イスラエル、レバノン、ウクライナ、ロシア、その他様々な地域で。
そして、映画は別段、ミリタリー的に、ポリティカル的、思想的にそうした対立の何かを解決しようという話では全く無いのでそこは注意が必要で、あくまで、プレス、つまり、記者たちがそのあれこれを現場で見て知って記録していく、という形を取っている。
映画として観た時には絵的にドーンオブザデッド風味とか、どうしてもしてしまうのは仕方ないところなんでしょうけども。
高速道路のカットとか、時が止まった街とか、「お前はどのタイプのアメリカ人だ」、とか。(ドーンオブザデッドのTVシリーズなどはアポカリプスなアメリカをかなり描き切ってしまってて、後の作品は困ると思うんですよねえ…)、そこを差っ引いてもアメリカの分断というissueを映像でわかりやすくエンタメとして表現して見せたところは喝采を浴びても良いのだと思います。
ネタバレします。
ニュートラルな視点を維持しつつも、政府はプレスを殺し14ヶ月もインタビューには応じないというトンデモ振りで、最後の際まで大統領は無様に描かれているし、そういう意味ではニュートラルとは言えないかもしれない。かなりトランプに寄せて作られたキャラ造形です。
結局、主人公たちはWFという政府とは対立している西軍側で従軍記者をやるわけですし。
大統領の最後の一言を得られたらあとは死のうがどうなろうが、知ったことでは無いというのも含め。
どうしても、大統領やその側近たちの言動に共和党的な香りがしてしまったのもまた致し方ないことなんでしょうね、今のアメリカを思えば。
また、キルスティン・ダンスト演じるベテランカメラマンであるリーが撃たれるシーン以降も、取材は継続される様は何とも言えないところがある。
鑑賞後にピリリと痺れるケレン味があるのはこの辺りだろうか。従軍記者たちも歴史的なシーンを撮影しているという自覚があるからこその緊張感の継続なのだと思う。
この映画はジリジリと後半に向けて不穏さが増していくが、序盤のシークエンスで十分に不穏だ。この先にはデスしかないぞ、とサミーが警告する例のイヤなシーンと同じくらいやばい瞬間に遭遇しているが、事も無げに振る舞うリーとそれを見てヒリヒリして思わずカメラを向けてしまうジェシー。この最初のシークエンスから既にやばいわけですよ。リーは後少し、ジェシーを引き倒すのが遅れていれば自分が爆発を食らっていたわけで…。そんな間一髪が続くんですよね。結局。それは決して普通のことではないけれど、それにいちいち動じていたら、良い写真は撮れないわけですね。この皮肉。
ガソリンスタンドでの給油時に、ジェシーはカメラを向けることすら出来なかった瞬間がありましたが、そんな危機一髪なところでも、まさに動じないわけですね、リーは。
逆にリーはどうして、最後のシークエンスでホワイトハウス突入前までかなり腰が引けていたのか?は気になるところでした。正直、あそこまで激しい陸上戦闘に従軍するとなると、命の覚悟は必要でしょうし、もっと前から覚悟していたであろうリーがなかなか飛び出せないというのはきちんと、サムの死を受けて、きちんと写真を世に出したいと思っていたからなのかもしれません。ここは解釈が分かれますね…。
以下は監督のインタビュー記事ですがこうした記事を通して作品の描きたかった世界観がよく見えてきます。
https://www.cinra.net/article/202410-civilwar_iktay