目指せ!映画批評家

時たまネタバレしながら、メジャーな作品からマイナーな作品まで色んな映画を色んな視点で楽しむ力を育みます★

テルマエロマエ ★★★★

2012-04-30 10:36:25 | ★★★★
テルマエロマエ

梅田のTOHOシネマズで鑑賞。これは面白かった。

まず、テルマエロマエは漫画原作でして現時点で単行本が四冊出てるものの未完の作品です。ローマ時代の大衆浴場テルマエを設計する技師ルシウスが来る日も来る日も風呂の設計で悩んでいて、風呂で溺れたら現代日本へタイムスリップしてしまい、最新のお風呂の技術や日本の奥ゆかしい入浴文化に触れてそれを取り入れてローマ時代のテルマエ作りに活かしていき天才技師として評価されていく、というお話。

漫画は四巻まで読みましたがこれは漫画自体がかなり面白く、目の付け所の勝利とも言えるような作品になっています。ローマを舞台にお風呂の技師が主役の作品なんて、そうそうにはないわけで。そもそも、こういう文化史っぽい作品にエンタメ要素を盛り込むのが難しい。説明過多になればつまらないし、説明がなさ過ぎても読者はついてゆけない。

タイムスリップして現代に迷い込んだ過去の人間が現代の技術に驚愕するお話というと最近だと「ちょんまげプリン」(小説原作)
とかもそういう内容でしたし、別段珍しいものではないのですが、タイムスリップするのが、過去の日本人ではなく、「過去の【ローマ人】が現代日本へタイムスリップしてくる点」と「タイムスリップするのがお風呂の技師であり、同じように【お風呂を愛してやまない日本】にやってくる、」という点が二重にひねりが効いていて非凡な作品だと感じるわけです。しかも、お風呂やローマの文化については単行本内でも注釈が付くような形の非常に親切な作り。日本人にはいまいち親しみが湧きづらいかもしれないローマの文化への心理的障壁の高さも融解させるようなつくりになっています。

この二重のひねりのおかげで、タイムスリップモノの定番である現代日本の高い技術に驚愕するというお決まりの展開にも二重に笑えるようになっているのです。ここが、テルマエロマエという漫画が持っている構造的強さ。ローマの文化に対する考察もしっかりやって、舞台装置となる、背景にも手を抜かないことが、より、この漫画の面白さを増大させてると言えるように思います。

ここまでが、漫画テルマエロマエの話。

では、映画としてはどうか、というと、この漫画が日本で実写映画化される場合、一番問題になるであろう、ルシウス役に阿部寛を持ってきた時点で予告編の引きはバッチリです。なんせ、ルシウスは作中で日本人のことを「平たい顔族」と呼ぶわけで、そんじょそこらの彫りの浅い俳優ではルシウス役はこなせないと思っていたのでこれはまさにベストな配役と言えるのではないでしょうか。彼と並ぶ彫りの深い人というと平井堅になるのでしょうが、彼は歌手ですしねえ。

次に私が心配していた点が言葉の問題です。漫画では全編日本語で展開するものの、ルシウスはラテン語を、日本人は日本語を話してることに「なっており」、その辺りは脳内補完しながら漫画を読み進めていくことになります。
これを映画化した場合、どういう風に演出するんだろう、ということです。「観客が物語世界に没入し易くするのにどういう手法を取るのか」、ということ。

まず、冒頭、ラテン語のテロップに日本語のナレーションと字幕。さらに、ルシウスたちの会話は日本語。周りはさすがのイタリアロケでチネチッタ借りて多くのエキストラにも出てもらったことで、完全に古代ローマの市井を再現してます。ここが結構すごいな~と感心するところでして、日本映画のルックでいながら、ここのシーンは本当に洋画を観ているかのよう。並み居るエキストラに混ざっても存在感のある阿部寛のキャスティングの妙もあいまって、しっかりとしたカットに仕上がってます。んで、そこで残念な点というのが言語。こればっかりはセリフ数の都合もあるし、全編ラテン語というのはあまりにもハードル高過ぎるということで、おそらくは日本語での会話シーンとなっているのでしょう。ただ、そこがすごいミスマッチ。また、観客もずーっと日本語テロップを観続けるというのも日本映画の体では厳しいと考えたのかもしれないし、阿部寛のモノローグまで、全部ラテン語にするのか、という問題もある。結果的に、日本語での会話シーンとなり、日本にタイムスリップして来た場合にはルシウスのラテン語は理解してもらえず、日本人の日本語もルシウスは理解出来ない、という描写になっている。が、ルシウスは脳内思考では日本語で考えてる。ここが映像化されると非常にややこしいことになっていた。

さて、ここからはネタバレ入りますので未見の方は気を付けて!


そして、途中から上戸彩演じる漫画家志望の山越真実がラテン語をマスターし始めるところから、この映画の複雑さが増していく。ラテン語を勉強した真実はルシウスと会話することに成功するものの、なんと、真実までローマに迷い込んでしまう、超展開。しかも、真実の実家のお父さんやら従業員まで。

この真実が迷い込んでくるシーンからは全てが日本語で展開するシーンになっており、先ほどまではラテン語で意思疎通を図っていたのに皆、日本語になる。さりげなく、画面右上にバイリンガル、という字が出て思わず笑ってしまった。あー、こういう形で乗り越えてくるのね、と。ギャグ描写であっさり言語問題をクリアしてくるとは。正直、真面目にやるなら、ラテン語で延々と展開するというのが恐らくは正解なのだろう。キャストに余裕と学識があれば、それも良かったかもしれないが、TV局主導の日本公開前提のGW映画でそこまでの手間をかける事は出来なかったわけで、折衷案としてのこの展開だったのだろう。ここはラテン語で踏ん張って欲しい部分もあった。なにせ、後から来たラテン語を話せない真実のお父さん方はやはり日本語ではルシウスとは意思疎通が出来てなかったのだから。そこから考えると、かれらはラテン語を話せないから、ルシウスとは話せてない、という事になる。
ここは全て観客の脳内補完が求められており、ここはなかなかに複雑な展開と言えるだろう。

まあ、ハリウッド映画で古代モノやるときもみんな、現代のアメリカ英語話してるし、そこを責めることは中々難しいんだろうなー、と。むしろ、上戸彩や阿部寛はこの複雑な展開の中、ラテン語も一部は勉強したわけで、そこは良かったのではないかなあ、とも思う。別にこの映画の良さをスポイルするほどの問題だとは思わない。

まあ、ラスト近辺の「大儀であった」「ありがたき幸せ」の流れなんて、まさに時代劇のそれだし、セリフ回しも含めてローマ人の生活言語やら儀式言語体系なんてそこまでしらべて忠実に再現は出来ないんだから、どの点に妥協点を置くか、という話なのだと私は思います。エンタメ映画で目くじら立てるほどのことではない、と。

さて、この劇場版オリジナルキャラとしての漫画家志望の山越真実は中々にうまく構築されてる。多少無理のある設定ではあるにせよ、短いストーリーの連なりである原作にうまく絡めてあると思う。ただ、色んな役割を一身に背負わされてる割に、キャラとしてはもう一本芯が通った部分も欲しかったのも事実。ものづくりに文字通り命をかけるルシウスに影響されて、絵を書くことにもう一度可能性を見出す真実。ルシウスはルシウスで、平たい顔族に影響を受けてやはり協力することの大事さなどを学んではいくものの、その精神を活かしていくシーンが無かったのは少し残念。ただ、「異なるバックグラウンドを持つ両者が互いが互いの運命や生き様に共感して相互理解する」、というのはタイムスリップモノではどうしても必要な描写だったので、あの焚き火のシーンはなかなかに良かったと思います。

その後、皆が何事もなく現代日本へ帰れるのはあまりにご都合主義展開すぎるけど、まあ、もうそこはギャグだと思う他ないね。

真実は原作四巻に出てくるローマオタク美女の要素も多分に含んでおりながら、他の要素もじゃんじゃん詰め込まれてる良キャラで、上戸彩自身も悪くないのですが惜しむらくは、もう少し落ち着いたキャラが良かったかなーと。阿部寛演じるルシウスとのギャップが激し過ぎて…まあ、それもまた味と言えばそれまでなのですが…。ってか、ローマ人と日本人だから、あのくらいのギャップはもともと狙ってるのだ!とすればこれはお見事、なのかも。上戸彩は結構薄めの日本人顔なんだなー、ということがこの映画観てるとよくわかる笑。

神格化~のくだりは真実がローマのお勉強をしてたからこそ、なのかもしれないが、神格化というのが、唐突過ぎてそこは説明セリフになり過ぎてて残念。もうちょっと前に神格化に関しての言及を皇帝にさせておけばよかったのに。ここは残念な点。

賛否あるタイムスリップ描写については私はアリだと思う。タイムスリップもまた、誰も経験したことがないし、そもそも、水のあるところから水のあるところへタイムスリップしていくシーンは殆どがギャグというか、ウケ狙いの部分であるので、ドラマパートとのギャップを緩和するためにも必要だったのではないか、と。適度な笑いが適度なタイミングで差し挟まれる、というのは結構劇場映画では大切なことで、エンターテイメントしてたなあ、と感心する。
トイレに人形が流されてく様は見てて笑える。人の運命なんて時にそんなレベルで流転するんだよなー、という。


色々語ってしまいましたが、総じて今の日本映画の中ではかなりレベルの高い映画化になっていたと良作であり、GWにもし一本映画を観にいくとしたら、私はこれをオススメしたいところです。(このクオリティの映画を原作なしのオリジナルストーリーでも出来たら最高なんですけどね)

SPEC 天 ★★★

2012-04-24 16:47:22 | ★★★
SPEC 天

TBSの人気TVドラマの劇場版。ケイゾクと世界観を同じにしてあるそうですが、残念ながらケイゾクは未見です。TVシリーズとTVスペシャルは鑑賞しました。

SPECは超能力サスペンスモノなんですが、独特のユーモアセンスが織り交ぜられてる作品なので少し取っ付きにくい作品です。しかも、TVシリーズも最初から伏線が張られてるタイプの連作モノなので、一話から観ておきたい作品です。きちんと伏線は張っては小刻みには回収はしていくのですが、いつまで経っても途中でも更なる伏線をばら撒いていく作品でもあったので、終盤になると劇場版での続編展開は間違いないな、とは思ってました。

劇場版は当然これらのシリーズを全て観てきた人が最も楽しめる作品になっていますので、TVを観ずにこの映画を観るのはご法度です。さっぱり何のことかわかりません、たぶん。

好きな人には楽しい映画だし、そうじゃない人はわざわざ劇場には足を運ばないと思います。

私はTVシリーズをリアルタイムに観てて、再放送とTVスペシャルも観て万全の体制で臨みました。

ネタバレします!



TVシリーズでも終盤に大きな謎を複数残して終了しており、TVスペシャルではそのうちのいくつかは回収されます。

TVスペシャルの話もしなければこの劇場版の話は出来ません。

TVスペシャルでの展開は実は当麻もスペックホルダー(能力者のこと)で、しかも、「全ての死んだスペックホルダーの能力が使える」、というやたらとチートな能力でそのおかげでTVシリーズ最終話での絶体絶命のピンチから助かっていた、という展開でした。

TVシリーズから結構色んな超能力が登場してました。憑依する能力、物凄い筋力と脚力の能力者、衝撃波を発する能力者、未来を予知する能力者、自分の体感時間を早くすることで時を止めたかのように動ける能力者、人に病を処方する能力者、人の病を治す能力者、相手の動きを止める能力者、記憶を改ざんする能力者、
相手の思考を読む能力者。

こういった手強いスペックホルダーを当麻の持ち前の人並外れた推理力とバラバラの事実を組み合わせる考察力によって真相を掴む、というのが、TVシリーズの醍醐味でした。


TVスペシャルのラストには能力者の血を吸うことでスペック(超能力のこと)を手に入れることが出来る能力者が立ちはだかります。
(これ、わかる人にはわかるんですけど、海外の超能力ドラマの「HEROS」のサイラーと似てる能力なんですよね。)

ただ、結局、超能力対決では主人公、当麻が辛勝します。

で、TVスペシャル観てて感じたのは超能力対決はつまんない、ということ。しかも、どっちの超能力も万能過ぎたのがさらに良くなかった。何でもアリになってしまったことで、TVシリーズの醍醐味である、凡人がスペックホルダー(超能力者のこと)にあれこれと工夫して勝つというテーマが薄れてしまった。その懸念は作り手側にもあったのか、TVスペシャル終盤に主人公は超能力を封印し、
劇場版では主人公は一切、そのチートな超能力は使いませんでした。ここでの瀬文からのあくまで、スペックホルダーではなく、刑事として事件を解決すべきだ、という矜恃に触れ、能力と左手を封印するくだりはなかなか良かったように思う。(というか、この作品は瀬文が本当にいい味を出してて彼がいるから救われてる部分は大きい)

劇場版では、冷やす能力者には凍結防止オイル、一十一には電撃爆弾、という対抗策でスペックホルダーとの戦いに勝ちます。

それでも残念なことは、劇場版天のラスボスが一十一であること。しかも、オチがクローンという…そこまでやったら何でもアリやなーっていう展開。勝ち方はアレでもいいのですが、一十一とはTVシリーズでも戦ってるので少し新鮮味に欠けるんですよね。そこが最大の残念な点。まあ、時を止めるかのごとく能力というのはすごくチートなので、その能力者との戦いというのは面白いんですがね。(劇中、一十一と伊藤淳史の会話シーンではジョジョのDIO巻が大写しになっており、作り手側も十二分に意識してることが伺えます。)

個人的には瀬文というキャラクターは加瀬亮の新境地として非常に見応えのあるキャラクターだと思います。「それでも僕はやってない」あたりが代表作というのが大方のパブリックイメージだったのでは、と勝手に思っていますがこのSPECでのSAT仕込みの坊主頭の堅物刑事というのもなかなかにいいキャラでした。これでかなり加瀬亮の既成イメージは塗り替えられたように思います。
そういう意味では戸田恵梨香もこの映画では相当に際どい役どころで、特にラスト付近の餃子好きからくる口臭ネタなんかは旬の女優としては中々に際どい描写なのですが、それも難なくこなせてるところが、ライアーゲームやデスノートの頃とははっきりと違う印象を受けますよね。ただ、戸田恵梨香ってキャラ的にバリッバリのヒロインってあんまり無くて毎回少し癖のあるキャラクターを演じてて、少し薄幸な役柄を健気に生きてることが多いように思います。

SPECは独特の世界観と
台詞回し、キャラクター設定がすんなり受け入れられて能力者バトルモノが好きなら楽しめる作品とは思います。決して万人にはオススメ出来ませんが、ファンには嬉しい劇場版、是非ぜひ劇場で。

で、結はいつやるんですかね?

バトルシップ ★★★★

2012-04-24 09:29:21 | ★★★★
バトル・シップ ★★★★

横浜ブルク13で鑑賞。
ユニバーサル100周年記念作品、ということでしたが、えらく笑わせてもらいました。いやー、これはイイですよ!
予告からはそこはかとなく、B級感が漂ってましたが最初から最後までそのテイストをスポイルすることなく、突き抜けてくれました。ツッコミどころはあまりにも多過ぎて突っ込んだら負けな作品です。これは

「宇宙人の戦艦と駆逐艦や戦艦が戦ったらどっちが強いのー?」

「そんなの、我らがアメリカ海軍が勝つに決まってるだろ!HAHAHAHA!」

ということを描くためだけの舞台立てです。

ここから少しネタバレします。未見の方で観たい方は早く映画館へ!




どうして宇宙人の戦艦が空を飛ばないのか、とかどうして宇宙人はろくに航空戦力を備えてないのか、とか、宇宙人、あまりに人型過ぎない?とか、宇宙人の攻撃判断が結構何気に紳士的だったりとか、あのグルグル回る車輪みたいなやつで最初から攻撃しとけよ、とか、地球の通信インフラ、そんなに簡単に使えるんだ!ケーブルの規格同じなの?とか、退役軍人さん、時間ないからアルマゲドンみたいにカッコつけてないで、早く降りてきて!とか、さまあーきゃんぷかーらーのー、眩しいっ!とか、宇宙人の船、防御力なさすぎ!とか、たまたま航空戦力を分断出来たけど、分断出来てなかったらあっという間に爆撃でアウトじゃん、とか、あれだけ頑丈な装甲服あるなら、速攻で白兵戦を挑めば宇宙人の勝ちだったんじゃない?とか、言い出したらキリがないのです!

そして、そんな穴だらけの設定も全ては駆逐艦やミズーリvs.宇宙人の戦艦をやりたかったから、に尽きますよね、多分。だから、戦艦だけで勝てない最後の展開はちょっとだけ残念。

それにしても大金と大規模なCGでよくここまでの作品を作り上げましたね~これは愛すべきB級大作ですよ。

浅野忠信が美味しすぎます。この役柄でしかも見せ場が艦長としてもスナイピングでもあって、
ここまでフィーチャーされてるのは日本の観客は喜んでしまうんでしょうねえ。浅野忠信の英語もやたら流暢でした。激昂すると日本語になるのも面白かった。「あのバカ…」みたいな台詞回し、かなり好きでした。

浅野忠信演じるキャプテンナガタが途中で策を講じるシーンではまさに昔からある紙と鉛筆があれば出来る「潜水艦ゲーム」を現代のCG技術でやっちゃうわけなんですが、ここは非常に緊張感あるシークエンスで撃破するまで敵戦艦を映さないことで、クルーと同じ緊張感を観客に与えてる良い演出でした。そうそう、潜水艦ゲームの緊張感って命中するかどうかは推測とカン、っていう醍醐味がうまく演出されてました。

スナイピングシーンでの眩しい!
からの一斉攻撃やミズーリの急ストップからの一斉攻撃は非常にトリッキーなのですが、潜水艦ゲームの描写だけはまさに艦隊戦の醍醐味が活かされていて、ここが一番の見所かなあ、と思いました。

この映画、なんで宇宙人が攻めてくるの?とかも少しだけ語られますが描きたいのはそんなことではなくて、まさにバトルシップの勇壮な戦いっぷりを描きたかったことが窺い知れる作品になっています。まあ、確かに昨今の宇宙人モノって基本的に航空戦力か陸上戦力で雌雄を決してますものね。こういう限定された空間での限定された条件だからこその艦隊戦が現代のCG技術で観られるならそれはそれで面白いなあ、と思いました。

マネーボール ★★★★

2012-04-09 20:23:05 | ★★★★
マネーボール
DVDで鑑賞。

(あらすじ)
ビリー・ビーンは、かつて超高校級選手としてニューヨーク・メッツから1巡目指名を受けたスター候補生だった。スカウトの言葉を信じ、名門スタンフォード大学の奨学生の権利を蹴ってプロの道を選んだビーンだったが、自身の性格も災いして泣かず飛ばずの日々を過ごし、さまざまな球団を転々とした挙句、引退。スカウトに転進し、第二の野球人生を歩み始める。2001年ポストシーズン、オークランド・アスレチックスはニューヨーク・ヤンキースの前に敗れ去った。オフには、スター選手であるジョニー・デイモン、ジェイソン・ジアンビ、ジェイソン・イズリングハウゼンの3選手のFAによる移籍が確定的。アスレチックスのゼネラルマネージャー(GM)となっていたビーンは、2002年シーズンに向けて戦力を整えるべく補強資金を求めるも、スモールマーケットを本拠地とし、資金に余裕の無いオーナーの返事はつれない。ある日、トレード交渉のため、クリーブランド・インディアンズのオフィスを訪れたビーンは、イエール大学卒業のスタッフ、ピーター・ブランドに出会う。ブランドは各種統計から選手を客観的に評価するセイバーメトリクスを用いて、他のスカウトとは違う尺度で選手を評価していた。ブランドの理論に興味を抱いたビーンは、その理論をあまり公にできず肩身の狭い思いをしていた彼を自身の補佐として引き抜き、他球団からは評価されていない埋もれた戦力を発掘し低予算でチームを改革しようと試みる。
(以上 Wikipediaより)

この映画は抜群の安定感ですよ。面白かったです。実話だけに尚更面白い。マネーボールという統計学的アプローチ自体よりも、そこに可能性を見出して賭けに出るビリーとピーターの二人の挑戦、そして、飽くなき野球愛がこの映画の主なテーマになっています。
守旧派に散々こき下ろされてマネーボールと揶揄される二人のセイバーメトリックス的手法にばかり目が行きがちなところをこの二人の野球への愛と旧態依然とした野球界自体にその守旧派の手法の是非を問うという挑戦を描ききったのは素晴らしい。映画って、何がいいかって、一つの事実をどう料理しても映画として成立するのだけど、着眼点と描き方で同じ事実でも全く違った印象を与える、ということ。本来であれば古き良き時代のそれを懐かしむような映画になりがちですが、このお話の骨子はそこには無いのですから当然と言えば当然なのですが、古いものを打ち壊しつつ、そこに嫌味を感じさせないのは、ビリー自身が旧態依然としたスカウティングの犠牲者(と言うと言い過ぎですが)という側面を描いたからでしょう。実際に「これは復讐なのか?!そうなんだろう!?」というスカウトマンとのやり取りを敢えて描き入れることで、そして、ビリーにそれを否定させることで、いやらしさを感じないようにしてある。これは中々に丁寧な仕事ですよ。こういう場面を描き入れることで、絶妙にバランスを取って映画の描きたい方向性を微妙に調整してあるわけですから。
音楽の控えめな感じも好印象。

ブラッド・ピットもいい老け方してきましたよね。円熟味が増してるように思います。

それにしても、このマネーボール的アプローチは抜群の勝率をもたらすのに、ワールドシリーズのような短期決戦には向かない、と言う事実がまたこの映画の、そして、現実のバランス感を感じますよね。

マイバックページ ★★★

2012-04-09 11:16:13 | ★★★
DVDで鑑賞。
映画の作り次第は結構好きな作り。こういう昭和の安保闘争やら学費闘争の学生運動の時代を切り取ろうとする映画はそれ自体は手法として、嫌いじゃない。三億円事件とか浅間山荘事件とか象徴的な事件っていろいろありますしね。最近だと沈まぬ太陽とかで描かれた日航機墜落事故とか。時代を彷彿とさせる事件事故とそこに翻弄され苦悩する働く大人たち。生き様が深く刻み込まれた形で描かれるし演技派の重厚な熱演が観られる事が多いし。
この映画の場合は松山ケンイチと妻夫木聡の熱演がそれにあたるわけですが…。
二人の演技は文句の付け所もないし、時代の描きこみもかなり好き。いい映画だと思います。
昭和の一時代を切り取った映画としては中々に佳作ではないかと思います。


ここからは雑感です。
でもね、私、こういう松山ケンイチ演じる片桐のやってたような学生運動には全くシンパシー感じないんです。
新聞社が経営する雑誌の記者の心の動きもよくわかる。これって若気の至りってやつですよね。そして、片桐が短絡的で虚言癖であることを見抜けず逮捕までされてしまって。一つの人の生き様として映画化までするには余りに薄っぺらい、人物なんですよね、二人とも。作者としては鑑賞者がそう感じたら成功なのかもしれませんが、それにしても、あんまりにも…。
学生運動に対しては私はアレルギーがあるんですよね。私の通っていた大学には2001年の段階でも学生運動の活動家が大学を根城にしてビラ貼ったり蒔いたり課外活動棟を占拠してたり、中々に時代錯誤な様を見ることが出来ました。カオスな感じがあってそれはそれで「これぞ、大学!」という感じもあって良かったのですが、大学で実際に課外活動団体を運営する立場になってからは本当に健全な課外活動の障害にしかなっていませんでした。コリクコ坂からのレビューの時にも書いてたようにカルチェラタンとは逆に改装の時に課外活動棟から運動家を追い出しました。
それにしても、本当に厄介な人たちでした。ところ構わず糊でビラ貼ったりするし、赤いヘルメットと角材はそこら中から出てくるし、いくつかの部屋にはダンボールに入ったアジビラだけで部屋が埋まるほどの部屋もいくつかあって。大学からの了承を取り付けて夜な夜な部屋を制圧してく様はそれはそれで、とても貴重な経験でした。写真やアジビラも目を通したりしてましたが、まあ、火炎瓶で革命的攻撃を行っただとか物騒なことが書いてあるのですが、そんなこと、一切ニュースにもなりやしないし、(敢えてニュースにしてない可能性はゼロじゃありませんが)本当にそんな物騒な活動してるのかも果たして怪しいものでした。いくつかの写真には大学が封鎖された時の写真なんかもあってあれはあれで中々に貴重な資料だったのかもしれませんが、気持ち悪くて全部捨てました。
学生運動なんてくだらないよ、何も変わらないし変えられないってみんなが白けていったのもわかる気がします。論理を突き詰めていって内ゲバやらなんやらにどんどん陥っていって。革命だなんて、そんな簡単に起きませんよ。しかも、当時の日本はまさに高度経済成長時代。誰も食うに困ってるわけでもなく、インテリ学生が革命家に憧れて無茶やってたってだけで。ほんと、はた迷惑な連中だと思います。何十年も経ってから後始末だけやらされた身としては学生運動なんかには一ミクロンもシンパシーなど感じないのです。

全く共感することは出来ないのだけど、胸がざわついた、という意味では観る価値はあったのかなあ、といった次第。