目指せ!映画批評家

時たまネタバレしながら、メジャーな作品からマイナーな作品まで色んな映画を色んな視点で楽しむ力を育みます★

Everything Everywhere all at once ★★★★

2023-06-11 15:18:17 | ★★★★
Everything Everywhere all at once
サンフランシスコから東京に戻る飛行機内で鑑賞。
なかなか挑戦的な作品でした。母と娘、そして家族の物語だと言ってしまえばそれまでなのですが、いわゆるマルチバースの世界観が複雑に絡み合います。この作品を振り落とされずに最後まで理解するにはなかなか骨が折れるやもしれません。自分が今どの世界線の彼女を見ているのか、わからなくなってしまったらそれはそれで流れに身を任せてしまって楽しんでもいいのかもしれません。
中国からアメリカに移り住んで駆け落ち同然でコインランドリーを経営する夫婦とティーンエイジャーの娘。自分の父親は年老いてから引き取ることになり同居することになり…日々に追われて家族の会話も出来ない中で、夫は離婚を考え、娘はガールフレンドを連れてきて…妻は必死で家と稼業を回そうと奮闘し続け、でも、アメリカの複雑なTaxの仕組みに打ちのめされて…みたいな混沌とした状況が一気に描き出されるのですが、そこに突然エレベーターに乗ってる間に訪れるマルチバースの非日常から、なんと、ずーっと基本は税務署の中で話が進むという展開。
あまりに素っ頓狂な展開ですが、力技で一気に持っていかれます。
この作品でアカデミー賞主演女優賞をミシェル・ヨーが受賞したわけですが、彼女は確かに様々なマルチバースの役を、とてもうまく演じ分けています。彼女がまさにレッドカーペットを歩くシーンが劇中に出てくるのはオスカーを予見していたのでしょうか?なかなかに象徴的です。

マルチバースという言葉は最近ではマーベル作品でよく使われるようになり、また、DC作品でもその要素が現れたりとかなり頻繁に目にするようになりましたね。マーベルであれば、ロキやwhat if?、スパイダーマン、ドクター・ストレンジなど。昔の作品だと、バタフライエフェクトみたいな作品ですかね。
そしてDCではこれから公開されるフラッシュがまさにマルチバースの要素を備えたお話になっています。CG技術の進歩によりマルチバースのお話をうまく整理してそれでいてローコストに描けるようになったこと、そして、観る側にもかなり下地が出来てきたというのは大きな要因なのでしょう。いかんせん、マルチバースはともすればなんでもあり、みたいなところもあり、観客が白ける可能性もあり、緊張感を持たせる工夫は必要になります。

この作品でもそこは常に保たれつつも、果たしてどこまでがどの次元の話だったのか、分からなくなるようなところはあるのですが、一気に最後まで持ち込んでいきます。
役者の演技があればこそ、と言えばそうなのかもしれませんね。

フェイブルマンズ ★★★★

2023-06-07 12:38:04 | ★★★★
フェイブルマンズ

サンフランシスコ行きの飛行機の中で観ました。
映画界の巨匠スティーブン・スピルバーグの作品。スピルバーグの前半生の自伝とも言える生き生きとした映画でした。スピルバーグ一家をフェイブルマンズ一家に見立てた話で登場人物の構成やキャラクターは殆どがノンフィクションに近い内容になっています。(が、フィクションだよ、と言い訳できるような構成にもなっている。)
スピルバーグは本当に映画を撮る天才だと思わされます。
エンドショット、なかなか印象的でした。まるで、教えを守るかのよう。なぜポスターは教えを守っていないものがあるのか!笑。

結構ドロドロッとした話も含みつつも、1950-60年代の古き良きアメリカを感じさせる素敵なシーンが沢山ありました。
父親の仕事の都合で様々なところを転々としながらも、翻弄されるユダヤ系アメリカ人主人公サム・フェイブルマンとその家族の物語。(フェイブルマン一家の話だから、フェイブルマンズ、なんでしょうね)
映画そのものがまだ世の中に出てきて間もない頃から、徐々に発展していく時代、フィルムカメラで動画を撮影してそれを映写機で見る時代。音が無いから音楽を代わりに流す、そんな時代。
動画になると、さらには音と映像が組み合わさるとここまで威力を発揮するのかというスピルバーグが幼少から青年期に体験したいわゆる「原初体験」をこれでもか、というくらいに描き出します。
人は衝撃を受けたそうした経験を糧に様々な創造性を発揮します。例えばそれは、映画かもしれないし、音楽かもしれません。スピルバーグが生きてきた時代はまさにそうした映画技術や映写技術がどんどん発展していく時代なわけです。
なかなか面白いのは父親がまさにエンジニアとしてRCAからGE、そしてIBMに移っていくことでしょう。これもまた時代の移り変わりと共に技術が発展していき、アメリカの産業史の中で活躍していく企業が移り変わっていったことを示しています。
そして、父親の仕事の都合と、母親の都合とが重なり合いながら様々なドラマを一気に描き出していきます。母親役は非常に魅力的なキャラクターを演じます。ユダヤ教徒に絡む話もいくつも登場します。(スピルバーグがシンドラーのリストを監督したのはユダヤ教徒であったところによる)

キャンプに行ったり、ボーイスカウトに参加したり、映画を観に行ったり、とひとつ一つのエピソードはなんてことはないどこにでもある家族の話だったりもするのですが、積み重ねが段々と様々な唯一無二の人間模様を描き出していきます。
様々なところで主人公のサムが撮影する映画がこの映画そのもののターニングポイントにもなっていくわけですが、サムがある映像を撮影し、編集し、見せることで大きくその家族の運命も変わっていきます。
この映画がスピルバーグの自伝的映画なのだとしたら、劇中のサムのセリフにある「僕が映画を作ることになってもこの話は映画にはしないよ」と約束したことも破って、フィクションとはいえ、映画にしてしまっていたりするわけですが、それもまたスピルバーグなりの半生記なのかなぁとも思うわけです。
お話的にも、スピルバーグが経験したことでなければ、作品になり得ないようなリアリティのある話になっています。
スピルバーグの年齢を考えればこうした作品を彼が意識的に製作しなくてはお目見えしなかったエピソードが数多くあるように思われます。
「唐突に家にやってきて去っていく母親のおじさん」に「お前は映画作りを続けていくだろう」「しかし、それは家族を傷つけることにもなるし、お前はずっと孤独だろう」と言われることや「プロムでフラれるガールフレンドとの家でのあれこれ」と「妙にリアルな下から見上げたキリスト」なんかはまさにそんなスピルバーグの原初体験のひとつを時系列は違うかもしれませんが、見事に描き出しているように思えます。
これらのエピソードはたとえ無くても映画的には成り立つと思うんですが、それでもこのエピソードを挟んできたあたりがその証左ではないでしょうか。

ネタバレします。

親の都合で転々と転勤する家族、そして、何かをきっかけとして一家が離れ離れ、というのは、その全てとは言わないまでも、経験することもあるかもしれないライフイベントではあります。生活する場や付き合う友人を変えなくてはならないというのは相当にストレスのかかることです。(死別や離婚に匹敵するストレスとも言われます)
家族との別離もそうでしょう。そうした出来事が生き方や心根に与える影響は決して小さなものではないでしょう。
「奔放な母親に振り回される家族」というのは私には小学生以降、母親がいないのであまり経験は無いのですが、父親の仕事の都合による転勤が何回かあった家に生まれた息子として、そして、今子どもの親として転勤を何度かしている身としてはちょっと他人事ではないなあと感じるわけです。

さて、サムは父親に言われて作ったホームムービーの編集中に母親の重大なことに気が付いてしまいます。そして、もやもやを抱えて、母親やその友人に辛く当たるしかなくなります。母親もサムにしびれを切らすわけですが、そこでサムは気づくきっかけとなった自身が撮影編集したムービーを母親だけに見せるわけです。思春期のサムにとってはこの経験は耐え難き苦難だったことでしょう。心痛むシーンです。それにしても完成度が高いなあと感心してしまうシーンでもありました。
映像の持つ力を実感するシーンでもあります。人を幸福にもするし、不幸にもするのだなと。
同様にプロムで上映したムービーでもフィーチャーされた上級生からの思いもよらない反応を得ます。サムはまさか上級生がそういうリアクションをするとは夢にも思っていなかったことでしょう。これもまた、映像が持つ力が人を感動させもするし、動揺させもする、ということを端的に著したエピソードと言えます。

フェイブルマンズという映画は、派手なスペクタクルシーンは無いですし、ひたすらに古き良きアメリカのヒューマンドラマ、言ってしまえばファミリーの話ですが、非常にバランスが取れた脚本、演出によって見事にフェイブルマンズ一家が活き活きと劇中で描き出されており、ある家族の肖像、として非常に質の高い映画となっていました。

追記
2017年にスピルバーグを扱ったドキュメンタリー「スピルバーグ!」があり、そちらを観ると、この映画の光景がどれだけスピルバーグの半生をうまく描き出しているのか?そして、彼の映画のそれぞれのシーンがどれくらい織り込まれているか?ということがよく分かると思うのでお勧めです。お父さんやお母さん、完コピじゃないか!と舌を巻きました。